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この1年を供養する。

鬱不安障害で苦しかったこの1年の自分を書き残してあげつつ、スッキリとばいばいを言いたくてnoteを開きました。このタイミングにしたのはちょうど1年前の今頃、勇気を振り絞って精神科へ足を運んだからです。あと社会的に死んだ去年の私を供養するのにお盆の時期はピッタリだと思って。私にとって思い入れのある時期です。

メンタルヘルスの不調に気づくことや精神科・心療内科に行くキッカケ・治療の参考になればいいなと思うので、できるだけ出来事ベースで書いてみます....!

📍書き終えた私より
詳細に出来事を書き連ねていたらすごい量になりました。私の近況が知りたい人は重いビジネス書をサラッと読むように。メンタルヘルスに関心がある人は順に。こんな感じで読んでみましょう〜(誰)

2020.05:新卒研修を受けながら「私おかしいかも」と考え始める

コロナウイルスの影響で新卒研修や現場での仕事がオンラインで行われ、1人ぼっちで社会人生活が始まりました。(つらすぎたな?!)

メンタルヘルスに関する最初の悩みはこんなものでした。
・ZOOM全体研修で質問したい時、みんなの前で一人話すことを想像するだけで心臓が爆発しそうなくらいバクバクする
・営業研修でフィードバックを受けることが嫌というより「痛かった」

2020.06:現場配属をきっかけに心身がおかしくなった

私の配属先は本当に人に恵まれた場で、人間関係や理不尽さに悩むことはありませんでした。その分、業務と研修が要因のストレスがより際立つ。ストレスが生まれるたびに、こんな異変がどんどん悪化していくのを感じました。

・他人とのコミュニケーションが上手く行かない。言葉が出てこない。就活中の職業体験インターンのときのほうが頭が冴えていた。
・先輩に自分のパソコン画面を後ろから覗き込まれてる気がして怖すぎた。日報のために1日でやったことを思い出そうと工夫しても、どうしても思い出せない空白時間があった。
・休日(何もすることがない時間)に急に悲しくて身体が動かなくなる。

2020.07:心身の違和感についてオンライン診療をうける

5月頃からネットで自分が感じる心身の違和感を「心臓 ばくばく 怖い」「言葉がでてこない 報連相」「悲しい 動けない」などでネット検索しまくってました。うつ病かもしれませんという受診を勧める画面に行き着くことが多かったです。

上に書いた不調をやんわりと上司や友達に相談しても、解決の糸口が全く見えないことが頭に引っかかりました。責任感が変に強い性格なので、高いお給料に対して十分なパフォーマンスが出せないことが申し訳なくて、ネクストステップを取らなきゃいけないと焦っていました。

ここで利用したのがアスクドクターズというサービスです。簡単にいうとYahoo知恵袋の医療版で、質問を掲示板に書き込むと医師が回答してくれます。私の会社にも産業医制度はあったのですが、そもそも元気が取り柄といわれる新卒で体調不良を訴えると呆れられそうで会社で聞けませんでした。

回答をくれた6人のうち5人から精神科受診を勧められたので、勇気を振り絞って近くで評判が良さそうな精神科に予約の電話をしました。(ここについては別のnoteにします。病院探しはかなりきついですね)

2020.08:初診で不安障害と告げられる

社交不安障害要素が強めの不安障害(英語:Anxiety disorder)と診断がつきました。正直、診断名がついてかなーーーり安心しました。悩みを相談できる存在ができたし、解決へと舵を切れたからです。でもここからが地獄でした。

2020.09-10:勤務しながら治療初期をこなす

精神科で処方される薬には副作用が付きもので、薬の効果が出始めるまで数ヶ月かかることがあります。私の場合は倦怠感・眠気・食欲不振が強く、毎朝鬱が起こる状態から頻度が落ちるまで4ヶ月くらいかかりました。

病気のことを両親に話せたのも9月終わりだったかと思います。大量の薬に気付かれないように薬を飲むタイミングを工夫してました。でも鬱で思考するエネルギーがなくて親との会話も成り立たなくなっていき、喧嘩が増えたことをきっかけにカミングアウトを決めました。

両親への打ち明け方は父と母で打ち明けるタイミングを分けたのと、個人的に言いやすかったLINEで伝えたいことの概要を先に送りました。

2020.10:転院&鬱症状with不安障害へと診断変わる

最初の病院を選んだ理由は、私の住む地域のクリニックのなかで比較的ネットの評判が良かったのと、HPで初診希望のひとに向けて優しい印象を受けたからです。でも私の担当医がとにかく相性悪いし、会話しながら目が合わないし会話をリードしない人でした。私の担当医の隣の診察室にいる先生なら 前のクリニックでもよかったかもしれません。ただ運が悪すぎた.......

結局、どんな場面でもはっきり物言える母が同伴して転院したい旨を伝えてくれました。今通っている病院は人気があるので初診予約がかなり取りにくかったのですが、メンタル強すぎる母にアシストしてもらいながらなんとか予約に漕ぎつけました。診断も鬱症状(≠鬱病)に変わりました

ここから前の医師から処方されていた薬から、今の先生が勧める薬へと変えました。前の薬の成分を減らす作業にも、新しい薬の成分を体内に入れる作業も重い副作用が伴います。まじで薬地獄でした。

良い医者であるほど既に人気すぎて予約枠がないと初診を断られやすいという説は当たってると断言できます。今のかかりつけ医はベテラン優しいおじいちゃん先生で、薬物治療において信頼できるなのですが、毎回の通院で待ち時間の間に3件くらいは初診希望の電話を断る看護師さんの声が聞こえてきます。

2020.11-2021.01:休職&マッチングアプリで社会科見学

休職は当時の上長からの提案がキッカケです。両親に相談するのにかなり悩みましたが、会社を辞めるわけじゃないからかあっさりOK貰えました。

この頃は目が覚めてから苦しいという感情に苛まれていると午前が終わり、鬱が晴れたら気晴らしで外へ出かけるのがルーティンでした。当時の私のなかで家=鬱モードという印象が強かったし、散歩で気晴らしすることが多いので色んなところに足を運んでいました。

夏頃から転職サイトに登録していたのですが、人材業界営業1年目の私には競合他社の同業種or営業サポートしか推薦されず絶望したのも覚えています。ただ超肝が座ってる性格は健全だったので「この求人おすすめの狭さはおかしい」と転職サイトを全て退会し、マッチングアプリで他業種で働いてる人に会いまくってキャリアを再検討していました。

学生バーテン、アパレルチェーン定員1年目、20歳上の俳優、ちょっと先輩のIT営業、1周り年上の安泰大手SE、同い年スーパーの店員、商社プレイヤー、大手出版の小説編集、同い年のお笑い芸人のたまご、などなど(日記で全員振り返ったメモが残っていた😂)(誰か読んでたらごめん)

私のストレス解消法が外の空気を吸うこと・誰かと話すことだということがわかっていたので、これが当時の私なりの最適解でした。一概にその男性だけで業界の特徴を判断するのはおこがましかったけれど、就活のOGOB訪問で出会うよりも先輩と圧倒的に仲良くなれるし、忖度なくリアルを聞かせてくれる良い機会でした。自分の感情・ストレス傾向・トリガーは自分の感覚を信じたいなとこの頃から考えるようになりました

2021.11:過呼吸で倒れたけど誰にも気づかれなかった

ある日、友達と夜ご飯を食べながら結構センシティブなトークをしていました。なんとなくメンタルが落ちている感覚はあったものの、友達と一緒のあいだは症状が出ていなかったので油断してました。一人になってからどんどん体調が悪くなり、0時すぎ頃最寄り駅の改札前で過呼吸で動けなくなってしまいました

1回目の緊急事態宣言が明けた頃で、0時過ぎにうずくまってる→酔っぱらいだと周りから思われて1時間くらい多くの人にスルーされちゃいました。なかには「お姉ちゃんかわいいのにかわいそうだね〜」と言ってくる男の人もいたり。

鬱のときは心身を動かすエネルギーが切れてるので、このままじゃいけないとなんとなく思っていても、数十歩先の駅員さんのもとにヘルプ出しに行けなかった。「ああ、これが死ぬ感覚なのか〜」と思って気を失いかけたときに一人優しそうなお兄さんが助けてくれました。

何十人にもスルーされるがままの1時間、頭のなかでは社会って優しくないんだなって考えていました。助けて、という声を出さないと気づかれないorスルーされる世界。見捨てられた経験をしてる私でも、もし同じような人が酔っぱらいか見分けがつかなかったらスルーしてしまうかもしれない。そんな想像をしていたら「自助を謳いながらお互い見捨て合う社会」という大嫌いな社会の一面が見えてしまって、死ぬことが全然怖くなかったです。でも同時に、自分が死ぬことに対して泣いてくれそうな友達の顔が思い出されたのが本当に苦しかったです。死にきれなかった。

生きていてよかったな、と今は結果的に思います。生きていたから出会えた人がいて、生きたから見ることができた世界があったからです。あと鬱を持つ人の「死にたい」は希死念慮という一症状だと俯瞰できるようになったから。

2021.01:自主退職

休職可能期間が終わったら、医者から復職許可証をもらって復職するつもりでいました。本音では業務内容と私の性格は相性が悪く双方にとって退職するのがベストだと思っていました。でも家族と相談して、コロナで転職は不可能とだと判断して復職を選びました。

結果としては担当医から復職許可証がもらえず、私の状況では当時の会社を退職するしか選択肢がないので辞めました。この日がかなり苦しかった。

担当医からあっさり正論&復職不可を言い渡されて退職決定。
親に駅前で泣かせてしまうし、
履歴書は世間的に汚いと言われるものになったし、
コロナで転職は厳しくなっている。
そもそも私は何も悪いことはしていない。
泣きながら上長に退職しますと電話して、
電話を切った直後、わたしでも使える公共支援金を無表情で調べながら、
説明文が鬱患者には難しすぎてリタイア。
ちなみにこの直前に、当時付き合う間近だった人と病気が理由でさよならした。

流石に私の過去の行動のどれが祟ってこんな生き地獄を過ごさなきゃいけないのかわからなかったし、友達以外すべて失った心地がしました。手元になにも残っていなくて。社会的に殺された日でした。

2021.01-06:就職と休職をのらりくらりと繰り返し。

医者から復職許可が降りなかった日、私がその場で泣きました。なぜなら病気を理由に社会から阻害されるのが怖かったからです。病気を隠さないと転職が難しい現実と、自分を偽りたくない(病気にオープンでありたい)という2つの感情の間で葛藤しました。

結論をいうと、私はかなり気持ちを切り替えるのが早いので、退職決定の次の日から私の脳みそが失職期間を「何からも追われない日々」と超ポジティブ変換をしてくれました。まあそうするしかなかった、と言えばそれまで。

地獄×3くらい経験していたので、悪いこともあれば良いこともある。ただやってくる毎日を過ごしていたらご縁から仕事が生まれることが多くありました。

そうしたら今度はかかりつけ医から「なんだこいつ、これから仕事がもらえなかったらどうしようとか時間取って泣いてたくせに通院する度に仕事増えてるやん。こんな若者の考えついていけない(私視点より)」と若干諦められました。(治療ってまじで難しいな)

Now:新しい会社で仕事をはじめ、治療継続中。

休職直後はフリーランスでグラフィックデザインやライティングをしていましたが、今は一つの会社に落ち着いています。フリーと会社員で悩みましたが、金銭面と生活を安定させて「なにげない生活を不自由なく送りたい」という気持ちが一番強かったので会社員を選びました。

正直病気で失職してからお金をかなり失いました。月2〜4日の通院費と毎日の薬代だけでなく、働けないので入るお金がないからです。私は実家ぐらしなので安心して眠れる場所とご飯がありますが、公的支援はことごとく使えないです。生活費さえままならない金銭状況は精神衛生上悪いです。精神疾患とお金と問題は本当に根深い社会課題です。

鬱やパニック、不安障害はまだ完治していません。ただ他人を上手く頼ること、頓服薬を上手く使ったり体力調整すること、健康ファーストだと本気で思えるようになったこと。少しずつできることを増やして新天地で生活しています!

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長くなりましたが、ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。昨年の私は忘れられることがない、とさぞ安心してることでしょう。感情なしで書こうと思ったけど、やはりどうしても情が入って上手くまとめられなかった・・・最後に書きたいことは、私はこれからも病気をオープンにしながら生活したいことです。

病気は恥じるものではないし、過ちでもないです

でも現時点では社会的に鬱・不安障害を含めた精神疾患に対して、間違った知識や過度なマイナスイメージがあります。私も病気を境に失った縁・薄れた縁はあります。そして誰かのサポートなしでは生活できない身です。

でもでも、間違ったことをしていない自分を信じたいし、自分を一番信じてあげられるのは自分だと思います。この1年間、病気なしの自分を他人に信じてもらいたいと願ってもそう簡単にいかない、と悲しい現実も知りました。

いつかメンタルヘルスで苦しむ人のために仕事ができるよう、これから数年キャリアを一度脇に置いて自分の生活を第一に集中してみるつもりです。他人を大切にしたいなら、まずは自分を大切にすることから。自分や身の回りの人を大切にする未来の先に、沢山のひとを大切にできる私がいれると信じています。


- おわり -

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