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お金の話。

出勤の仕度をしながら時計代わりにテレビをつけている。 ながらで見ている朝ドラだけど、なんとなくストーリーは頭に入ってくる。その日は、また借金をしてしまったにぃにぃに、自分のお店を持つために貯めていたお金を渡した妹に、姉夫婦がお金を援助するというところだった。 姉が妹に言う。 私があなたでも迷わずお金を出したと思う。 そうなのだ。家族のためにお金を出すことは、美談というか当然のこととして受け止めている人が多いのではないだろうか。払う方の無理がない範囲で援助して、問題が解決す

    • What a wonderful world?

      父が亡くなった日の前後の事はよく覚えていない。 少なくとも1年以上、家の中の雰囲気は最悪で、父は口を開けば文句をいい、母は口を開けば愚痴を言っていた。父が外出した後に母から電話がかかってきて、仕事中も席を外して何十分も愚痴に付き合ったなぁ。 父は自宅から車で小1時間程離れたところに工場を構えていた。私が物心ついたころからほぼ会社に泊まり込んで仕事をしており、母は何日分ものお弁当を作って渡していた。帰ってくるのは週に2回程度、それもいつも夜中近く。それでも会社に泊まる日には

      • 花火

        私は父親似です。 snap cameraというソフトで顔を男性に変えてみたら、若い頃の父にそっくりで本当に驚きました。 色が白くて目が茶色くて、ガタイもいいので、ちょっと外人ぽく見えます。第一印象も厳しい感じなので、ちょっと話しかけにくい感じ。通勤に車を使っていたので、夜中に検問に遭遇することもあったそう。 車を止めた後、窓は必要以上開けない。 ジロリと警察官を見ると、若い警察官は困った感じで えーっと、えーっと、、、ドライバーズペーパープリーズ と完全に父を外人と間

        • 父の事を書いてみようと思う。

          自分の人生と向き合い始めてから、いつか家族の事を書きたいと思っていました。やっと、書けるだけの時間が経ったように思う。 父は、誇り高く、気難しい人でした。 昭和一桁世代であることもいつも誇りにしていました。 子供にも頭は触らせなかったし、寝ている時に頭の上側を歩くことも許しませんでした。若い時に結核を患い、片側の肺と肋骨を取る大手術を受けていたので、背中に大きく残った手術痕を今でも覚えています。 最盛期には50名ほどの社員を抱えた、精密機器を製造する会社を経営していました

        お金の話。

          これからの私。の一年後

          あれ?POSIWILLの講座を受けてたのは去年の今頃だったかも、と本当にふいに、年明けから気持ちが本調子にならず加速度的に仕事に追われ始めて突然、思い出した。あの時はとても苦しかったけれど、人生変えたい、という気持ちだけで突き進んでいたんだよな、と。 あれから一年経った今、同じ会社で同じ仕事をしています。 でも、一年前とは全然違う気持ちでいる。 Posiwillで自分に向き合ったということもあるけれど、昨年は、余計な事は考えずにともかく一年間は仕事とも向き合うことに決め

          これからの私。の一年後

          これからの私。

          4回ある面談の中で、一番難航したのは3回目の面談だった。 1回目2回目の面談で、考え方のクセ、どれだけネガティブ思考にとりつかれているか嫌という程認識した。 そもそも私は、現状把握すらきちんと出来ていなかった。 人生をどう生きていきたいか などと考えたことはなかったし、 今、自分が何を物足りなく思っているのか ということすら分かっていなかった。 他人のために頑張ってきた人生ですね という岡さんの言葉がどれだけ胸に沁みたことか。 3回目の面談での一番大きな気づきは 今

          これからの私。

          これまでの人生と自分自身と向き合い、 新しい一歩を踏み出すまで。

          「最後の転職だ、」と覚悟して、「言いたいことはちゃんと言おう、」と捉え方を変えて働き続けた会社の居心地が悪くなり始めたのは、もう5年前くらい。 「次にやりたいことがみつかったら辞めよう、」と考えていた頃に、管理職への打診があり、これも経験だと思いオファーを受けても、この会社で働き続けることへのモヤモヤは増すばかりだった。 同じ気持ちで働いているだろう、と同志のように思っていた人達も会社を去り始め、気づけば50歳。 女子一貫校に10年。 お金だけで行かせてもらったような

          これまでの人生と自分自身と向き合い、 新しい一歩を踏み出すまで。