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自己肯定って大事だよね

お久しぶりです。
復職まであと1週間切ってドキドキが止まらないKanamoryです。
とんでもないチキンですw
今日は自己肯定ということについて。私なりに。

👉自己肯定ってなに?

・ありのままの自分を受け入れ、尊重する感覚。
・悪い状況に置かれたり不運に見舞われたりしても、「それでもなお、自分には価値がある」と思えること。

「ありの〜ままの〜姿受け入れるのよ〜 ありの〜 ままの〜」
ってことですね。

「それでもなお、自分には価値がある」と思えること
ってサラッと言うけど日本人て日本の美学として自信を蔑み相手を立てるという文化があるから結構難しい。「謙遜」することが奥ゆかしく美しい人とされているからね。

確かに。

最近は自信を持って確固たる理念を持つことに対して嫌悪感を抱く人はそこまで多くないかもしれない。でも、私が過ごした思春期はやっぱり飛び出たことをしたり、人と違うことを言ったりやったりすると「おかしい」「非常識」「恥ずかしい」と言うネガティブな感情が強かったと思う。それと同じく、自己肯定が強い人って根幹があって正当な主張だったとしても「自信家」「プライドが高い」「鼻につくやつ」とか同じくネガティブな感情があったし、今もあるかもしれない。

うちの親世代なんぞ、本当に自己肯定に関してはネガティブ。
もう60歳を超えてきているので今話題になったり活躍する若い人のドキュメンタリーを見たりすると80%くらいの割合で「生意気ねー」とか「言ってることは正しいのかもしれないけど、なんか腹が立つ」と言ったりする。

それは、至極当たり前のことなんだと思う。
私の親世代が育ってきた昔は世間一般として、「謙遜する美学」を全うしてきていて自分を下げて相手を立てることが普通だったし、そこに異を唱える人もいなかったんだと思う。そうすると、ここ数年声を大きくして「自分すごいんです!」と言わんばかりにTVに出てきたり、顔も名前も知らないのに(TVには出ないから)急にTVに出てきて知ったような話し方をして「すごーい!」とされる人(YouTubeでは有名とかで)の活躍や社会に受け入れられている様を見たときに、大衆心理に甘んじた自分を認めることになって嫌味でも一言言いたくなっちゃうんだろうね。

👉自己肯定感が高い人

じゃあ、そんな世代の親御さんたちが育てた子供でも異端児が生まれるわけってなんだろう。私自身、自己肯定感は低かった。今も低めだと思う。

 明らかに自己肯定感が上がったのは高校3年間を通しての全ての経験。私が通ってた高校は都立校でも校則があってないようなもので、自主創造を掲げていた。今思えば学校全体が今で言うダイバーシティーを体現していたと。なので、突拍子もない悪さをする生徒もいなかった。特に私の学年の友達は自分と違うジャンルの人たちでもグループをなして歪みあったり、反発することもなく「みんな違ってみんな良い」の精神だったなぁとつくづく思う。休み時間に超陰キャな男子とキャピキャピが止まらない原宿系女子が一緒にお昼食べて楽しく喋ってたり。積極的に話したことない人と関わろうとしていた感があった。今でこそ言語化できるけど、あの時は不思議な良い違和感を感じながら多感な時期を過ごせたなと思う。黒髪メガネの吹奏楽部の女子と、金髪でバスケ部マネが放課後に教室でめちゃくちゃ話が盛り上がってたり。(好きな漫画が一緒だったらしい) 急にドイツに留学するので、来年1年学校に来ません!でもドイツの単位を補填できるので、留年しません!と言ってドイツに旅立った人とか。「うおおおおおお!」とクラス総出で送り出した。ドイツは16歳から飲酒OKな法律なので(その当時)半年後くらいに堂々とパブでビールを飲んでる写真と大量のチョコが担任宛に送られてきたw

そんな過去を思いながら、何が違うんだろうかとふと思う。
私の息子がADHDかもしれないことも相まって、ADHDに子供の育て方の中にもよく「自己肯定感が下がるので〜」と言う注意すべき子供の伸ばし方のような文言をよく見る。ふと、これってADHDじゃなくたって通常でも当てはまることだと思ったし、それが出来ている親に育てられた人って大人になった時にすごく力を発揮しているんだと気付かされた。

例えば、
キャピキャピが止まらない原宿系女子は、「自分とかけ離れた人と話す方が楽しい」と言っていた。聞くとご両親がとても交友関係が広くいろんな人が家にきたり、いろんな人のところに出向いたりして育った過去があった。
金髪のバスケ部マネちゃんは、ご両親とも何をしても「○○ちゃんすごいね〜」とか、「人の言うことは気にしなくていい。自分がいいと思ったらそれでいい」と言われて育っていた。
ドイツに行った破天荒女子は、家族全員おかしいくらい秀才家系だったのもあるけど、家族討論みたいなのをしてて最後にはお互いを称えていたらしい。

これすごい自己肯定感が上がることらしい。
確かに、体裁や一般論に思考が引っ張られて「◯◯しちゃダメよ!」とか「ここ出来なかったの〜」と言う声をかけられるより、「◯◯しないように、□□しよう!」とか「ここ出来なかったけど、こっちは出来たんだね!」と言われて育てた方がいいに決まってる。でも実際、やろうとしても難しい。頭では分かっていてもつい口に出てしまう。これが正しく「教えの連鎖」なんだろうな。親の背を見て子供は育つと言うけれども、背中だけではなく言われること全てが五臓六腑に染み込んでいて、幼少期から刷り込まれた方法でしか自分の子供を育てられない。お手本は両親しかいないから。でも、そう言う言葉をかけられるのは、謙遜の美学からきているはず。横柄に見えないように、飛び出た釘にならないように。そして関わる人を大切にできるようにと親は願うものだ。だけど、結果それが自己肯定感を下げていて社会に出たときに力を発揮しないのではないか?子供の時破天荒でもそれを身近な両親が受け入れることで自己肯定感って爆上がりなんじゃない?という結果にたどり着いた。

どこを意識して子育てすべき?

日々迷う。日々悩む。夜たまに子供に言われる「どうして僕だけ怒られるの?」それは、家族の中で子供は息子だけであとは老人と私だから。どうしても子供は怒られる。でも、そこで私がきちっとフォローしてあげなきゃいけないんだ。そう気付かされた。父親がいない分、怒った後はちゃんと私自身が拾ってあげなきゃいけない。彼のマインドを底辺まで落としたまま見放してはいけないんだ。叱るのと怒るのは違うし、どっちのパターンでもフォローしてマインドを浮上させないといけない!

ただでさえ、
息子は親目線で見ても、学校が持て余す生徒なはず。
彼自身に悪気はないが、思ったことを正直に言ってしまうし気が乗らないと作業に取り掛からない。ノリノリになっちゃうと止められない。思い立つと考える前に発言しちゃうし行動しちゃう。
でも、きっといつかこんな子が大人になるとすごい人になれると信じているし、そう言う未来を迎えるには今私がしっかり息子を拾い上げていかないといけない。

無駄に自分を蔑んだり無碍にしないよう、ダメなところはダメだけどしっかりフォローをしていこう。と改めて私もマインドセット。

私も心にゆとりを持って。
2021年はゆとりのある女性になって自己肯定感が下がってもそれも自分だと認め受け入れられる自分になろう。そして、息子のできることを一つでも多く増やして行こう。


一日一日をありがとう。そして毎日お疲れ様。
まだ見ぬ未知の自分へ、そしてこれから知り合えるかもしれないあなたへ。そして誰よりも味方でいてくれる息子へ。

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