リフレッシュ休暇のススメ┃#11 自己表現、記録するということ
――自分を表現し、伝えるということ
SNSが登場した当時はアーリーアダプター達が割と自由活発に発信していたのに、市民権を得て生活のスタンダードなツールになったここ数年はなんだかちょっと息苦しいというか、やれ女子力高いだの、リア充だの言われるのがカッコ悪くて(なんかそういうつもりじゃないのに、ただ好きなだけなのに、そうやって一般大衆的にくくってラベリングされるのが私は非常に居心地が悪かった。何かに分類したがる風潮があんまり好きじゃない。)、「うわぁ素敵だな」「この瞬間切り取って誰かと分かち合いたい」と思っても、いちいち世間の空気を読んで、素直に表現することに対する抵抗感みたいなものが付き纏っていたような気がする。(結局まあいいやと思って普通に発信してたけど)
けれど、今回少し苦しかった自分の経験も、こうやって言語化し、記録として残すことで、知らない人の役に立つこともあるということが分かった。現時点ですぐ役に立たなくても、未来誰かが壁にぶつかった時に「あ、そういえば」と思い出してもらって価値が出てくる可能性だってある。ストックしていつでも遡れるというのもこういうツールの利点かもしれない。
これはこれからの私にとって結構重要な発見だった。自己表現のスタンスは、私にとっては人生のスタンスに近い。
自分だけの経験や価値観、感覚や感性、スキル、ナレッジ、才能とまでいかなくても個性を自分一人だけで留めておくよりは、それに気づいてあげて、まず自分だけは認めてあげて、外に引き出して生かしてあげた方が、きっと自分を幸せにしてあげられるんじゃないかと思う。他人の目に触れることで、きっとブラッシュアップもされて完成度が上がっていく。基本的には自分の行動によってでしか生かされない気がしている。自分で認められなかったり、タイミングが合わなかったり、そもそも自分で気づかないうちに人生終わってしまうかもしれない。そんな勿体ないことはない。大勢に認められなくたって、世界中の誰か一人に少しだけ豊かになってもらえたら。個人の発信なんて、それでいいんじゃないかと思う。
大衆的で一般的な価値観だけが正解ではなく、人それぞれの価値観があって当たり前な時代に生まれて、1分あればそういうアクションが簡単に取れるインターネットやSNSがある時代に生まれて、少なくとも過去2000年間ぐらいで最も得をしている世代であることを忘れてはいけない。
私は一連の経験によって偶然高まった自己分析力と、この数年のマーケティングキャリアで培った、人の微細な心の動きを観察し、想像し、言語にし、わかりやすく他人にプレゼンテーションする力を使って、今度は私の内面を表現し、1to1で自分の口から伝え、1対nのコミュニケーションとしてツールを介して発信してみた。その文章の中に他人が自己発見をすることだってあるのかもしれない、と淡い期待をしながら。
どれもこれもお休みしなければ、旅に出なければ、思い切って伝えて発信してみなければ分からなかったことだった。全部自分の行動から生まれるものだから、私は動くことを大事にしたい。自分の伝えるということへの価値観もくっきりしてきて、前よりいい感じがする。
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