1月4日は何記念日と名付けようか?

今日で向精神薬を断薬して3年目に入りました。

断薬一年目はようやく初恋(笑)からの失恋のお陰で退薬症状を乗り越えれました。

ビタミン剤とか汗をかくとか色々方法はネットに流れてますが(他のクスリに一旦置き換えとかはそもそも当時のセーシンカイが私の断薬を面白く思ってなかったのでそう言った協力はしてもらえませんでした。)、結局まだ今の段階では「気合い」が1番大事だったりするので、想いの強さ=色恋ははっきり有効だったのでしょう。

退薬症状で辛くても「あの人の顔を見たいんだ!笑わせたいんだ!」で通所先に気持ち的には命懸けで行ってました。
失恋後も「せっかくあの人のおかげで3ヶ月(山場と言われています)飲んでないんだ!無駄にするもんか!」と、気持ち的には命懸け((ry

で、複数飲んでたクスリを少しずつ減らしていくわけですが、当時飲んでたのが

ストラテラ
ハルラック
イソミタール+ブロバリン+ノックビン(3種の細粒をパケにカクテル←言い方)
ジプレキサ

でした。

で、このセーシンカイ

まずストラテラ(ADHD薬。このお医者様のお見立てで私はADHDだそうです。100人に私を知ってもらって私をそれだという人はこの名医だけでしょけどね)から2週間に1/3ずつ減らし

次にハルラック(睡眠導入剤。有名なハルシオンと同成分のもの)を切り(半量錠剤とかに置き換えずバサッと)
そしてイソミタール+ブロバリン(睡眠導入剤と持続のカクテル)をこれも確か2週間に1/3のペースで(処方できるMAXの量からのこのペース)。

で、最後に抜きづらいで有名らしいジプレキサを最後のひと絞りはひと月かけてくれたけどそこまでは他と同じペース。

と、クスリをコントロールしました。

少し断薬の知識がある方ならわかると思いますが、睡眠を確保しつつ他をまず片付けるものらしいのです、断薬って。
これだとジプレキサをまず片付け始める。退薬症状が出てもできるだけ眠りは取れる様にイソブロは続ける。

なのでこのスケジュールはイソブロ切ったら眠りは浅くなる(ってか寝れない)し、ジプレキサの退薬症状でだるい死にたいしになりました。

でもここでクスリスリップさせたり、死んだりしたらこのクソセーシンカイに負けっぱなしの利用されっぱなしで、

更に断薬したい!と思える自分「クスリなくても大丈夫なはず」と私に思わせてくれた「病名」「障害名」ではなく、「私」を好いてくれたり信じてくれたり、叱っり褒めたりしてくれた人たちに「あなたがたのおかげで!」ってお礼が言いたい!

(は、3割で7割は先の初恋のお姫様への想い←)
(いや、恋愛感情をもてるようになれたのは、その「あなたがた」のおかげなんだけど)

で、スリップせずにいわゆるところの今日の断薬3年目まで繋げてこれたのです。

…向精神薬は3年目なんですが、上記ノックビンは2年くらいかな?

これいわゆる「抗酒剤」というやつで、アルコール依存症者は治療や生活の為にアルコールはとにかく飲まないが鉄則の基本の1番難しい事でもあり、この抗酒剤を服薬しているとアルコールが身体に入っても分解して水と酢酸?にするっていう身体に酷いことが起らないように処理をするってのができなくなり、めまいやら動悸やら、ってか痛い苦しい気持ち悪いで、救急車レベルの事が起きてしまう身体になるそうです。

そんなおクスリをクソセーシンカイ様のお見立てで処方されてました。
上記の通り睡眠確保用のイソブロと粉でカクテルされてたので「寝たければノックビンも一緒にのめ」とされていたのです。

ま、お酒に問題あったけど、その理由は処方されてたクスリが全然会わなくて、言っても「様子を見ましょう」しかいわなくて、それで仕方なしにアルコールも一緒に飲んでたのです。そうするととりあえず寝れるから。

アルコール取り上げらてれよかったんでしょうけ…ど

そもそもイソブロってなかなかのカクテルなんで長く飲むものではなさそうだし、

謎のADHDの見立てとか、

その日の布団とご飯を守る為に常に預けられてた先の大人の顔色を伺ってた幼少期の事を「それって虐待?」って言ってのけて大人の発達障害系の本を押したけたり、

ふと優しくして見てこちらが上向くと「君は過去にこんな失敗をしているね、これを君はもう二度と繰り返さないのかな?」と不安を煽ってみたり、

解離について知り(私は追い詰められると上から自分を見下ろします。一部の人のあるある)それについての本を持って質問すると「ボクはめったに解離性障害の診断は出さない(んなこと聞いてないんだけどね)。その教授のトコに転院したら?」とお怒りになられ「解離の先生が発達障害の勉強してくれればなぁ」とかよくわかんないこと言ったり

で、必殺技に思えた「このクスリを飲むことは君の周りの人のためなんだ」を繰り出す。
(こちとら幼少期に悪い子、捨て子、呪われた子供と預けられてた先の大人にやられてたから「自分は迷惑な奴」になるのは息するより簡単なんよね)(なぜかその捨て子だーをやる時高島易断の本見ながら言ってたんだよね。そんなん書いてあんの?あれって)

断定は出来ないんですけど(と、保険ワードを打ち)このセーシンカイ、大人の発達障害が大好きみたいなんです。
初診で診察室から出てきた人の手に「大人の発達障害とは」というリーフレットが握られていたのを何度見たことか。

で、このイシャ、元々アルコールやドラッグの得意なタイプで、一時期乱用が問題になった「リタリン」というクスリ(構造式がアンフェタミンに似てて、乱用するとハイになれてもちろん落ち方もアンフェタミンに似て)は、希望されても出さないし必要とする人は他所へ行かせてたとかいう話なんですが、このリタリンを徐放剤にして発達障害用にした「コンサータ」というクスリは発達障害なら出してたらしく、他の病には出しちゃダメだから当たり前なんだけど、発達障害なら出すの?だし、

このイシャ、私にしっかり診断名は言わなかったのですが、支援施設への書類には「広汎性発達障害」と、このセーシンカイは書いていて、時々私に「あなたは自分を何の病気だと思ってますか?」と聞いてきて、そもそも診断名を言われた事ないけど、知らないというと「わからなくていいの?」と詰めてくるので「広汎性発達障害」と答えてました。

で、ある日「あなたにピッタリのくすりがあります」と。
「このクスリがはまればほかのクスリ相当減らせる」と、いうセールスワード付きで。

それがADHD用クスリ「ストラテラ」でした。

メンヘラらしく日々クスリの情報は私の方でも仕入れてたので、ストラテラの名前も知っていました。  ただ

ADHDに特化したクスリとして。

私自身は虐待による認知やら、脳への損傷で発達障害に「似た」特性が出ていました。

これは似てはいるけど、特性のでる仕組みが違うので(認知の癖か脳そのものの信号の出し方の問題か、と、私が知る限りでは)治療法も違います。

ってか、私ADHDの特性一つもないんだけどな…。どちらかといえばアスペルガー。。。

それに、当時私は高血圧の気がありました。
このクリニックには血圧計もあり、時々測っていたのですが、平均140-90くらい。備え付けの表で行けば立派な高血圧。

で、当然それをこのイシャに報告すると

脈も高いから参考にならない。

と突っ返されてました。

確かに脈もいつ測っても90くらいありました。

今思うと「なぜ脈が高い?」となぜこのイシャは考えなかったのか?

(こういうこと以外にも疑問がこのイシャにはたくさんありました。しかし、下手の質問をすると先に書いたように過去の失敗を引き釣り出してこじつけて詰めてきたり、一度は「実家に帰るか?」と思いっきり弱点をついてきたり、とにかくこちらが何も言えなくするなるような、今思うと、なにも脈絡のない圧をかけてくるのでした。)

そしてこのイシャが今喜々と説明を始めた(初めてかも。普段を何も言わず、副作用の報告をこちらから言わない限りは聞いてこず、言ったら「製薬会社に聞いときます」と言って答えはもらったことが無い)ストラテラは

高血圧の患者には慎重に処方するように

、とあります。

すでにこのイシャには何度も血圧が高いのではないか?心配はないのか?と、聞いているので、説明の中で対処法なり記録をつけるなり(そう推奨してるWebもあったので)等の助言もあるのでは?と淡い期待(なぜ淡いかは…略)をしたのですが、「じゃ、また来週」と何時も通りに切られかけたので、「高血圧のようなのですが…」と聞きました。

すると

「そもそも高血圧ってなに?」

と、お得意の哲学問答を頂きまして、何も言えずにいると、本棚から「血圧は薬で治すな」という本をだして「こんな本もあるんだよ」と言って「ではまた来週」と、今度こそ切られました。

そしてストラテラの服薬をして、イシャの満足そうな増量の時の顔を毎週見ながらストラテラとしての満量(青いカプセル3つ)のなった頃から(&なんでかこの時期にイシャは種となるジプレキサをインヴェガというクスリに変えようとして、ジプ減らしのインヴェガ倍々で増量をしてました。なので下の奇行がどれが原因なのか、それとも相互作用なのかはわかりません)

眠りは完全におかしくなり、夜中3時に目が覚めて、マンガを描き始める(何か形になることをしてこの状態から抜け出したい)朝ドラまでそれをやり、朝ドラを観てしばらくすると、気を失うように寝落ちする(座ったまま。毎回首が落ちてるので起きると痛い)

夏場だったので汗をかくのだけど、クーラーが壊れたら嫌なので、寝るとき以外は扇風機で過ごし、畳に汗が落ちると畳が腐るかも知れないのですのこに座椅子を置いてそこから動かない

外からの話し声が自分の悪口や、ここから追い出そうと大家が画策していることなのではないか?と思えて座椅子の上に身を横たえて外から気づかれないようにする。

裏の空き地で大家が何かしている音がして、追い出し?監視?と思えて身を伏せる。

(インヴェガを飲むととにかくだるくてしょうがなくて、インヴェガ3ヶ月くらいでを切ってもらう。ジプレキサもその頃ゼロになっていたが、その穴をイシャは埋めようとしなかった(!)ので、恐ろしい妄想がはじまり)
畳が腐っているのではないか?という考えが止まらなくなり、大きい家具をどかして畳を確認する。(家具を戻したすぐあと「汗を落とした?…はずだ!拭かなきゃ乾かさなきゃ!!」と、また家具を動かす。

それが育って「畳の裏が腐っているかも!!」となり、家具をどかして畳を剥いで確かめる。色が変。匂いが変。と思えてならず、でも大家を通すと追い出されるかも知れないのでこっそり畳屋に依頼をする。新品に張り替えても気になって週4くらい畳、家具を動かしまくる

クリニックで血圧を測ると測定不能(脈がおかしいんだろか?)になったり180-110とかでてしまう(高く出てしまうのでは!!と思い込んで測るしね)

…おかしすぎますでしょ(笑)

これ全て、イシャに報告してました。すると「大変だね」とか「ま、様子を見ましょう」とか、更には「畳腐ってたら払えるの?」とかなぜか不安をさらに煽ったり。

結局とことんまで追い詰められて「死にたい」しかイシャに言わなくなったらジプレキサをMAX時の半分を処方するようになり、説明のつかない奇行は収まりました。

血圧は150平均くらいまでしか戻らなくなったけど。

で、このとんでもない状態に戻らないにはどうすれば?社会にもどれるの??となり、イシャには言わずに地区の保健所に作業所とか、なにか出来る、やれるところはないか?と相談をしたら、とある施設に繋いでくれました。

そこに繋がってから4年かな?まだ。
偶然つながったボランティア活動と、この施設での訓練(っても人と会って話すが主なんだけど)から、障害者枠で働いてみない?とかになってそういう訓練施設に繋がって、上記お姫様に出会い、その頃、世の中から少しずつ向精神薬の害が聞こえてきて、断薬過激派みたいな人もでて、私も明らかにクスリ、を出す「セーシンカイ」にいいようにやられて、クスリ漬けになってる限りはあのセーシンカイにいいようにまたやられるかも知れない、今なら断薬への理由もサポートもある、

命懸けでも会いたい人がいる(笑)

で、転院は難しいし(ってんなことないんだけどさ、これもイシャのコントロールの成果よ)、なによりこいつに断薬のサポートさせて責任を取らせたい、と、好き勝手なのか、良かれと思ってなのか不明のカクテルを処方し続けていたセーシンカイに断薬を申し入れました。

「減薬はするけど断薬は協力できない」

と言われ、でも何度も願い入れて、先に書いたような途中で根を上げそうなスケジュールで減薬をしました(不安定になったら中止してすぐ戻す、ってイシャが目を合わせずに言ってたから、どんなに苦しくても診察室では「順調です」と言い続けました)

で、セーシンカイが最後に残したのはノックビン、抗酒剤でした。

他のクスリが抜けて、日々前向きなっていき、顔色も良くなり、就活も始めようとしてました。

抗酒剤をなぜ処方し続けるのかを聞いたら「君が信用できないから」だそうで。

ま、今の生活失うくらいなら酒なんかいらんのだけどねぇ、なんて思って。

そんなある日、街を歩いていたら献血の呼び込み。
私、服薬をする前の時期、骨髄バンクに登録してました。
そして、色々と有り、向精神薬を飲み始めた2週間後?くらいになんと型の適合者が出たった通知が来てしまい。

当然、服薬してるのでこの話はお流れに。それをずっと悔いていました。

誰かさんのおかげで、降圧剤は飲むことになっていまいましたが、ある日ネットで調べたら、薬もモノによっては献血ならいけるってのを見ていて、その献血ルームに入ってお薬手帳も持ってたのでそこの医師に調べてもらいました。

ら…

ノックビンだけだけがアウト…。

ほんとに要らんクスリなんだよこれ…。

で、物は試しにセーシンカイに「献血したいからノックビン切ってくれ」と言ったら「なんで理由がそんなにくだらないの?」だそうで。。。

で、自分で切りました。

今思うとバカなんだけど、ノックビン、毎夜しっかり飲んでたんです。

で、元々が脳をいじるんじゃなくて、肉体の酵素がどうのってクスリだったので、特に苦もなく切ってからのOKになる6ヶ月を過ぎて献血に行きました。

向精神薬断薬してから、いろんな人と出会って、いろんなとこに行って、とあるシアトル系で働きたい!!って、頑張っても見て(笑)、マ○コ会議にも出させてもらったりって馬鹿でかい思い出もできたりね、で、今は今はバイトだけど目標から少しずれたシアトル系コーヒーショップで仲間(と、わしは思っとるのよ)と楽しく、愚痴も言いながら店員さんできてて、

泣いたり笑ったりが日々自分のモノになっていくのがしっかり実感できて、

どこからこんなに好転したんだろ?

って、はっきりとはわかんないし、これからもっといいことや、当然やばいことも起きるんだろうけど、今のこれらは「私」が起こしていくもので、喜びも責任も引き受けられるし、そういう覚悟もできる。

ずっと支援者さんに「両足で自分で歩きたい」と言ってました。

んで、今両足まであと少し。

んじゃ、自分で片足でも四つん這いでも進み始めたのはいつだっけ?

それが二年前の1月4日なのかな?

向精神薬=浅草のセーシンカイのコントロールから抜け出た日。

という事で1月4日は記念日なのです。

再出発?初出発?どっちだろね?

今日のその記念日は、正月ずっとバイトしてやっとの年始休み的の連休で(シフト通りなだけなんだけどね)ずっとベットの中でゴロゴロしてました。

ガラスから明るい光が刺して、誰にも取り上げられない布団にくるまって、最近やらたもさもさと咲き始めた自分で育てたスミレの香りを嗅ぎながら、だらしなくゴロゴロ。自分でやったのです。自分がやりたいから。

良い記念日。

らしい記念日。

ふさわしい記念日。

でした◎◎◎

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たまにくるから蛇足だけど補足。
どこにも発達障害、精神障害の薬なんて効かない、ろくなもんじゃない、とは書いてません。思ってもいません。薬でQOL高めてシヤワセに生きてる人もたくさん知ってます。勝手に私を反精神医学原理主義者にしないでくださいね。

あとそんなにひどい目にあっておきながらなんで逃げない?イシャ変えない?は、何年も監禁された人に「逃げる気あれば逃げれたんでは?」というのと同じです。恐怖の支配ってすごいんです。なまじか心の専門家だし。うちの場合は多分本人なほんとに良かれと思ってやってる。だから強大でした。

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