春の訪れと、失恋と。
コンクリートに囲まれたオフィスから外に出ると、
ふわりと空気に暖かさを感じた。
2月半ばのお昼過ぎ。
まだ風は冷たく、セーターを着ているほどだというのに、
どこか空気の中に暖かさがにじむ。
こんなふうに季節を感じる瞬間が好きだ。
夏の終わりの気だるい暑さが少しだけ緩んだ夕方や、
半袖が少し物足りなくなる秋の初めの空の高い朝。
そして冬の終わりの、暖かさがにじむ日中。
いつの間にか夏も冬も当たり前になっていくから、
季節は移ろいゆくものだと気づかせてくれる瞬間は結構貴重。
ふと、こんな春の始まりを、私はあと何回迎えるのだろう、
この先どんなふうに迎えるのだろうと、センチメンタルな気持ちになった。
28歳。寿命を感じるには早すぎる。
でも人生を考えないとといけない歳にはなっている。女だから、なおさら。
気づいたら、周囲の友人たちの中に既婚者が増えている。
婚約するのしないのという噂が聞こえる。
そうでない友人も、多くは結婚を前提に付き合っているパートナーがいる。
一方の私はというと、
2年付き合った恋人と、冬のはじめに別れたばかりだった。
この先どんな人生を、どんな人と歩むのか。
それまで漠然と夢見ていた見通しがふっと消えて、
空っぽな行く先を見つめている真っ最中。
だからこそ、春のはじめに、センチメンタル。
付き合っていた当時、私は彼との結婚も考えた。
だけど彼は、私との結婚を考えはしなかった。
そんな時間が長引くにつれて、関係性が歪んでいった。
別れたことは、一切後悔していない。
でも、別れないといけないような関係性にしかできなかったことは、
ずっと後悔している。
大切な人だった。大好きな人だった。
人生、心の底から愛せる人なんてそう何人も出会えるものじゃないと思うが、私にとって彼は間違いなくその一人だった。
でも、どうやら彼にとって私はそんな相手になれなかった。
それがわかったから、身を引いた。
この人の運命の人になれないのなら、この人が私の運命の人だとしても、
一緒に至って私も相手も幸せになれないじゃないか。
仕方ない。この選択は間違っていない。
それだけは、わかる。
いつか彼は私よりも大切な人に出会って、
私が教えた愛し方や別離のつらさに感謝するのだろうなと思う。
私との関係を踏み台にして、心の底から愛せる数少ない誰かを、
大切にしてあげるのだろうなと。
それを喜ばしいと思えるほど、まだ今の私は立ち直っていない。
だけど、あと何回か春を迎えた先に。
彼の中に刻まれた日々を肯定できる日々は来るのだろうか。
もしくは、私自身、心の底から愛せる誰かに、
もう一度出会える日々は来るのだろうか。
ほんのりと暖かさに触れる冬の終わりに、これからの私の人生を重ねる。
真面目に日々をこなしていけば、きっといつか、ちゃんと春は来るのだと。
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