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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 113:『すばらしき世界』

『すばらしき世界』、すばらしき映画である。

役所広司氏が出演(しかも主演)する作品にはずれはないが(しかも監督は西川美和!)、ある意味、彼のこれまでのキャリアの集大成とも言える作品だろう。やくざ者もできれば、いい人もできる。そして人はその両方の顔を持つ。そう、彼自身がまさにこの映画の主役である三上そのものなのである。

原作は実録犯罪物の第一人者、佐木隆三氏の『身分帳』という事実を基にした小説である。「身分帳」とは刑務所で、収容者の経歴や入所時の態度などが書かれた書類のことだそうだ。つまりそれが厚ければ厚いほどいわゆる問題児なわけだが、この人はその意味ではかなりの問題児である。普段はいい人なのだが、普通の人の目から見ると「?」と言うところでキレる。まあ、本人なりには筋が通っているのだが、しかしそれはなかなか人には伝わらない。ましてや前科者で足を洗ったとは言えやくざ者である。今の社会、彼を受け入れてくれるところはどこもない。

いや、だからこそ、今の時代だからこそ、彼のような人にも救いの道を、という発想も出てくるのだろう。その意味では彼は幸せ者だったのかもしれないし、この映画がそうタイトル付けたように、今は「すばらしき世界」なのかもしれない。しかしそれはあくまでカッコつきの「すばらしき」世界である。彼はその今の社会を自分自身が意識、意図しているかどうかは別として利用するし、同時に今の社会側にも利用される。長澤まさみ演じるTVディレクターは彼を利用することでいわゆる数字を稼ごうとする。このポジション、ある意味憎まれ役に長澤まさみをもってくるのが西川監督のすごいところだが、彼女には彼女の思う「すばらしき世界」がある。そしてそれが彼女なりの「すばらしき世界」である以上、誰も彼女を否定できない。一方、もう一人の主役と言ってもよい中野太賀演じるそのようなテレビの世界を抜け、ルポライティングの世界に進もうとする人物は、そのような「すばらしき世界」には違和感を感じ、彼なりに三上を取材するのだが、しかしそれも結局は彼にとっての「すばらしき世界」のためである。そう、「すばらしき世界」とは、結局は人によって違う。そして人によって違うからこそ、人は自分を変えることでその人にとっての「すばらしき世界」という概念、言い換えれば世界の捉え方を変えられるし、逆に言えば世界の捉え方を変える、世界の捉え方が変わることで、その人も変わることができるのである。

この映画はその人によって異なる「すばらしき世界」の捉え方の、人によって異なるその変化を捉えようとした映画であると言ってもいいだろう。そしてそれは見事に成功している。物語的には決してハッピーエンドではない。しかし、この映画には、ある種の希望がある。人は変われる、という希望である。敢えて言えば「人が変わることができる世界」が万人にとっての「すばらしき世界」なのかもしれない。そして、それ(=変わること)は決して妥協するという意味ではない(一見、この映画を表面的に見るとそう捉えられるかもしれないが)。妥協というよりも「許す」ということが重要なのである。妥協とは自分の信念をある部分あきらめることである。一方、「許す」ということは自分の信念は信念として維持したまま、他者の考え方や行動を受け入れるということである。この二つは大きく違う。我々は妥協すべきではない。しかし「許す」心は持っていてもいい(というか持つべきだろう)、というのがこの映画を見て私が受けたメッセージである。皆さんはどう思うか。とにかくこの映画を見て考えて欲しいし、この映画をみればそれを考えざるを得ないであろう。そう、その意味で『すばらしき世界』は、「すばらしき映画」なのである。


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