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インターネットで推しアーティスト記録を残す課題3つと分析

皆さんは、推しアーティストについての記録をインターネットで調べていますか。星の数だけあるアーティストたちのファンが残した、ファンサイトや写真、SNS、動画はこのインターネット上で残っています。

ところが、アーティストたちを記録したサイトを残す上で、時間とともに訪れる課題が見えてきました。多くのファンが築き上げたアーティストのファンサイト、写真、動画、SNSが、消滅する事態が起きました。近年のインターネット上の技術進歩、提供サービスの終了、運営者の安否不明により、多くの資料が放置され、消えました。

この記事では、インターネット上でアーティストについての記録を残すなかで、気づいた課題3つをまとめました。そして、今後の記録を後世に残すために、ブリたちにできることはあるのか、ブリなりの独自解釈を書きました。明確な答えを出した話ではありません。あくまでも一つの考えとして、受け止めてください。


●「サービス終了」という死の宣告

多くのファンサイトを消滅させた原因がこれです。インターネットの技術進歩は、毎日進んでいます。サイトサービスを運営する企業は、毎日費用を負担して、活動させています。しかし、インターネット技術の向上、競争による利用者低下、企業の運営縮小により、サービス運営に区切りをつけることがあります。利用者がどれだけ不服申し立てを行っても、終了宣言は撤回できません。サービス終了によって、多くのファンサイトが死に絶えました。特に、1990年代後半に栄えていた、個人運営サイトは、SNSの利用拡大によって、運営がサービス終了しました。

ブリが子供時代に、最先端と言われたインターネットの動画技術は、今では安全性がない、利用に不便で、代替技術もできて、企業の買収により、サービス終了しました。それが「Flash」(フラッシュ)という名の動画技術でした。その技術で当時作られたサイトは、今では単なる静止画になり、動かなくなりました。ブリの推しバンドの公式サイトをインターネットのアーカイブサイトで閲覧しても、当時の動画技術は動きません。Flashサービス終了は、当時の資料を「無」にしました。

Flashを使った9mm公式サイト
(2011年当時、インターネットアーカイブから再現)

積極的に最新技術を取り入れても、将来は分からないのです。10年後に弱い技術として、捨てられていくのです。物理的に壊れない限り、長く残せる紙の本やディスク媒体と違って、インターネットは日々、技術が変わっていきます。折り曲げ携帯からスマートフォンへ変わった時代は、スマートフォンの普及で、過去の携帯に向けたサービスの息の根を止めました。

ブリが30年生きていたなかで、親しかったサイトサービスや技術は、過去になりました。インターネットのアーカイブにほぼ全て残っても、当時の技術は、現在のプログラミング言語では再現が難しいのです。昔の言葉とは全く、死語なのです。インターネットの世界は、弱肉強食です。作って栄えて、落ちて壊して、再び生まれて、こうして繰り返して、今日のSNSとブログがあります。ブリが生きている間、今日のSNSとブログはいつかなくなっても、おかしくないと思います。YouTubeもニコニコ動画も、TwitterもInstagramもmixiも、Wikipediaも、このnoteも永遠に続かないでしょう。これらの勢力に負けた、多くの企業や団体がありました。それらはブリより上の世代の間で、語り草になっています。

ブリが見てきたなかで、30年経っても変わらないのは、「文字データ」です。画像や動画より、文字データはインターネットの歴史で、残りやすいようです。回線速度が遅く、限られたデータしか送受信できなかった、昔のインターネットで、文字データは使いやすかったのです。今日のインターネットアーカイブサイトで残った文字データは、技術に依存しない、不変のものだと気づきました。


●運営者の安否不明と士気低下

AIが発達してきた時代でも、人間は必要です。地球上のインターネットを作り出したのは、人間の知恵です。AIはインターネットを運営できません。なぜなら、人間が集めた知識を覚えさせて、プログラム通りに出力することが、今日のAIができることです。インターネット運営ができる知能が発達するまで、まだまだ時間がかかると思います。

インターネットのサイトを運営できるのは、人間だけです。当然、人間は生きている時間が限られています。そして、運営している人間が病になったり、または亡くなると、サイト更新ができなくなります。運営者の命は、サイトの生命線です。
運営者が生きていても、推しアーティストへの愛が冷めたり、個人的事情の忙しさに追われて、サイト更新が止まることがあります。本人の安否不明で、放置されたブログやSNSがあります。SNSやブログの世界でも、冷酷な処置があります。安否不明のアカウントを本人確認もなく、否応なしに削除します。更新が止まったアカウントは、いつか全て掃除されていきます。立ち退き宣告です。サービス終了と並ぶ、終了宣告です。

推し愛は、気まぐれです。情熱が高まっていけば、当然低くなる時があります。感情の勢いで物事に取り組んで、冷めると物事を進めるのがおっくうになる。人生をかけて、サイトを運営する人はわずかだと思います。サイト運営をしながら、仕事と家庭をともに両立させることは大変です。情熱だけではなく、サイトを運営する費用も時間も必要です。研究や記録を残す作業は、地道です。推し愛は不安定なものです。趣味を続けることができるのは、この先分かりません。

本気でアーティストを後世に残したいと思う人がいます。願いは分かります。長く安定した推し愛のもとで、さまざまな不可抗力に立ち向かう覚悟を持つ人しかできません。その場限りの推し愛では、挫折しやすいです。「サービス終了」なる死の宣告、「放置アカウント削除」で立ち退き宣告、天災、感染症、風評被害、人災、忘却に向かう時間、これらを乗り越えながら、アーティストの作品を残していくのは、運次第です。
この音楽愛あふれるブリには、到底向きません。ブリは、楽しく、考える人間です。趣味として、そこまで本気でやりこむ人ではありません。音楽の研究者が、情熱に傾き過ぎず、将来性を考え、記録していく目標を作ってから、後世に伝えてほしいです。

国宝と呼ばれる絵画だって、数々の不可抗力を乗り越えて、今日の美術館に残っています。ある日、美術館で、約150年前の国宝の絵画を見ました。インターネットやコンピューターのない時代に、優れた技巧で描かれた絵画を見て、今日まで素晴らしいものを残してきた人々に感謝しました。長く残り、人々に愛されるものは、どんな困難でも芸術を守る、人々の想いのもとで残ります。いつの時代も、アーティストたちの音楽を愛してくれる人は、誰か1人はいると信じています。コンピューターに依存した判断ではなく、人間自身の意志で、音楽を守る想いは不変です。

趣味と愛情は人間にしかできない喜びです。AIは趣味と愛情を理解できません。人間の愛情は、プログラムより不安定だから、どんな困難に臨機応変に向かえ、生きられます。人間の命は、作品の生命線です。


●権利事情の葛藤

推しアーティストを紹介することは良いことです。ところが、アーティストの作品を紹介する時、アーティスト本人の写真、楽曲や映像を載せると、アーティストの作品の権利を持つ事務所やレコード会社から、反発が来ます。著作権があるので、SNSやブログでは、音楽や映像作品、番組を直に載せることはできません。動画サイトだと、確実に権利者から著作権の申し立てが来ます。

誰でも自由に執筆できるWikipediaでも、著作権があります。勝手にアーティストの写真を載せることはできません。ブリの知る推しアーティストたちは、まだ存命なので、好き放題に載せることはできません。Wikipediaの記事を開くと、アーティストの写真がないのは、著作権の事情ではなく、Wikipedia側のルールがあって、写真掲載が控えられているからです。ブリが生きているうちに、彼らの著作権は消えません。個人がどんな想いを持っていても、Wikipedia運営者には通じません。なぜなら、どこまでも個人的研究を広げてしまったら、みんなの百科事典の方針が不公平になってしまうからです。「編集合戦」なる荒らしが起きないようにするためです。ブリの次の世代には、まるで過去の肖像画のように、推しアーティストたちの写真が並んでいる未来になるのでしょう。

「どうしてみんなに見せたいのにケチをつけるのか」と、ツッコミを入れる邦楽ファンがいます。権利者の立場から考えると、広く人々に知らせたい気持ちは分かります。でも、好き放題に作品がばらまかれると、困るのです。なぜなら、第三者に営利目的で悪用されるからです。日本の法律には、「作った人に許可なく、作品をインターネットにばらまいてはいけない」と、書いてあります。アーティストたちの作品は、多くの人々が関わって、費用と時間をかけて作り出したものです。一般人が勝手に、タダでばらまかれたくないのです。
例えば、あなたが一週間もかけて、お金を費やして、作った動画を誰かにコピーされ、転載されました。誰かがアクセス数稼ぎをしていたり、誰かが理由をつけて「自分のもの」だと主張したり、元の動画に意図しない編集で転載されたりして、あなたはほっておけないでしょう。だから、「著作権」なる法的保護が必要なのです。著作権の申し立ては、「無料でばらまかれたくないから転載を止めてほしい」という判断です。ケチではなく、正当な判断です。

しかし、権利事情は、アーティストたちと作品をがんじがらめにしている、という意見があります。近年のインターネットで、国内外へ向けて、音楽を発信していくなかで、権利事情があって、思うように音楽を広く発信できない状況があります。動画サイトに乗せられない。動画が特定の国々で見られない。写真をホームページに載せたいのにできない。音楽サブスクリプションサービスに配信できない。広く知ってほしいのに、権利者と周辺の人々の間で、数々の葛藤があるのです。どれだけファンが願っても、難しい課題があります。

ブリは、いつまでも旧態依然とした、権利事情を快適に整理してほしいです。このインターネット時代で、どうして規則にこだわり続けるのか、見たい欲望と不満が燃えます。今のところ、見えている将来は、アーティスト本人、権利を守る人間たちが亡くなり、誰もいなくなって、作品が放り出されてしまうことが起きるでしょう。どうなるか分かりません。でも、現時点では好き放題に作品をばらまくことは法律違反です。


●まとめると使命感を持てる人がいると信じてる

以上、ブリなりに独自解釈した推しアーティスト記録についての課題、現時点で出せる意見をまとめました。
きっと、未来でも、使命感を持って、推しアーティストたちのことを後世に残していく人がいると信じています。どんな時代になっても、音楽は滅びません。よほどのことがない限り、アーティストの記録は残されていくと思います。どんな時代になっても、技術に依存せず、音楽は生き残ります。今までの世界の歴史が証明しています。

消えてしまった大切なファンサイトの資料は、運が良ければ、インターネットアーカイブサイトで閲覧できます。もし、サイトのアドレスを覚えていたら、検索して閲覧できます。でも、アーカイブサイトでも全てのサイトを完全に保存しているわけではありません。残念ながら、保存されなかったサイトは、永久に閲覧できません。限りある容量とサービス運営の力は、インターネットの課題です。以下に、インターネットアーカイブサイトのWayback Machine(ウェイバック・マシン)のリンクを貼っておきます。探している方はぜひどうぞ。

Wayback Machine: Internet Archive

アメリカの非営利団体によるサイト(英語)

推しアーティストの記録を本気で残したい人は、冷静になって、考えてください。本気で研究して記録することと、趣味は全く違います。地道な作業ができる忍耐、好奇心と向上心を持てる人は、研究に向きます。どんな孤独や困難があっても、楽しく研究したい人が、優れた記録を作り上げました。
趣味はいつだって、気まぐれでやめられます。冷めやすく飽きやすい人は、記録と研究を続けられません。本気で研究して記録し続ける人は、感情論や営利目的ではなく、物事をほどほどに愛しているからこそ、記録を書き続けられるのです。

ブリが記事を書き続けられた理由は、楽しいからです。書き続けていたら、すらすら記事が書けるようになりました。いつか記事投稿が面倒な気持ちになったり、ネタ切れで書けなくなったりする時が来ます。今の自分が書きたいと思うことを忘れないうちに残しています。もしnoteがサービス終了して、書いてきた記事が消えても、悔いはありません。誰かと少しでも、気持ちを共有できれば、幸せです。


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