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ダサいと思ったデュオが実はスーパースターと気づいた出来事

ブリが、数年前に偉大な推しデュオである、CHAGE and ASKA(チャゲアス)に出会った出来事をつづった、長編記事です。数年前のある日、よく知らないデュオの名前を見つけて、聞かないと思ったら、不思議な偶然の出会いから好きになるのです。



♪ぼんやりとしていた存在

皆さんは、アーティストへの第一印象が微妙と思っていたら、後に大好きな存在になっていったことがありますか。ブリは長くかかって、とある偉大な推しアーティストに出会いました。

ブリは少年時代に、バラエティー番組で名曲を替え歌にしたネタを聞きました。それは、「CHAGE and ASKA」なるアーティストの『YAH YAH YAH』と『SAY YES』という曲でした。ブリは「2曲売れただけのアーティスト」だと思い、関心は皆無でした。
高校生の時、千代田区の神保町で、CDショップのディスクユニオンにある中古CDを見ていたら、「チャゲ&飛鳥」のアルバムを見つけました。ブリは「CHAGE and ASKA」か、「チャゲ&飛鳥」なのか、何か表記違いがあると思いました。「チャゲ」という名前が変わっている響きで、「飛鳥」は女の子のような名前に見えました。

ブリが高校時代にチャゲアスを見つけた
神保町のディスクユニオン
(現在は別ビルに移転)

名前から古くさい感じで、すぐにそっぽ向きました。ブリは昔の邦楽の古くさい雰囲気が苦手で、ずっと聞くと嫌になります。ただひたすら、新しい音楽を求めていく姿勢でした。一生、そのチャゲやら飛鳥とかいうアーティストを聞くことはない、ブリの人生には一切関わってこないと思っていました。

成人を過ぎた頃、SNSで知り合いの邦楽ファンと話していたら、相手が昔から聞いているアーティストを知りました。それは、あの古くさいと思った、「CHAGE and ASKA」でした。ブリは「チャゲアス」なる略称を知りました。ところがその頃、チャゲアスに大問題が起きました。飛鳥が刑事事件を起こしたと知りました。ブリは、いろいろ大変そうと感じただけで、無関心でした。

知り合いは非常に悲しんでいる様子でした。相手は、その飛鳥が大好きで、ショックを受けていました。知り合いは「彼らの歌は素敵だから聞いてほしい」と、言ってました。ブリは軽い気持ちから、図書館でチャゲアスのアルバムを聞きました。すると、子供時代にインターネットで聞いて、口ずさんでいた美しいメロディーに似た曲がありました。それは『野いちごがゆれるように』でした。歌詞が人生を描いた壮大な内容で、良い曲だと気づきました。
歌声が独特でした。透き通ってゆったりなハイトーン。力強く色っぽく響くハスキー。一緒に歌うと、ツヤがついた、迫力ある声域を響かせるハーモニー。ブリは終始幸せな気分で、うっとりしました。全く知らないのに、夢で聞いたことあるような、美しい歌声でした。心の中で宇宙のビックバンが起きたような、大きな衝撃を受けました。ずっと頭から離れられませんでした。これは、ブリの好みの歌声だと感じました。

『SAY YES』(1991年)
美しいハーモニーと詩で、純愛を表現したバラード。
チャゲアスの代表曲として、多くの邦楽ファンに知られている。

散々ネタになっていた、あの有名な『SAY YES』と『YAH YAH YAH』を聞きました。前者をじっくり聞いて、ロマンチックな世界にうっとりしてしまいました。後者は元気が高まり、楽しいと思う気持ちがあふれました。あの2曲を聞き終わって、気づいたことがあります。
あの2曲がミリオンセラーになるのは、分かりやすい曲にして、ドラマ主題歌として売ったと思っていました。決して手を抜いて作ったのではなく、繊細で情緒が豊かで、リスナーを飽きさせない楽曲になっていました。


♪次第に高まる興味

ブリはチャゲアスの2人の写真を見て、かっこ良さにくぎ付けになりました。サングラスと帽子で神秘的な雰囲気を出して、中性的な魅力を持ったチャゲ。まとまった髪型と服装で、きれいな瞳で色気とたくましさを持った飛鳥。知り合いにアルバムの写真を見せたら、こう言ってました。

アルバム『GUYS』(1992年)
歌詞カードの写真で、くぎ付けになったチャゲアス。

「このアルバムの2人が一番好きよ。いつの時代も、イケメンのかっこ良さは変わらないから。力強かったり、癒やされたり、いろんな表情が見える良い曲があるよ。2人は個性あふれる歌手よ。一緒に歌うと、強大な魅力を持った存在になるわ」

知り合いのチャゲアスファンより

「いつの時代も、イケメンのかっこ良さは変わらないから」という言葉で、音楽とともに、2人の姿が強く印象に残りました。写真をじっと見つめて、ブリは2人が好きなタイプかもと思い、わくわくしました。

ただ、その飛鳥という人物にまつわる問題で、ブリは防衛反応を出しました。ブリが今まで見た、刑事事件を起こしたアーティストは、追い出されたり、目立たなくなったり、社会で関わらないようになるのが当たり前でした。ブリはチャゲアスと飛鳥に対して、「これ以上、好きになっちゃダメだ」と念じました。でも、彼らを禁じても、興味はおさまりませんでした。むしろ、かっこ良い姿と歌声が頭から離れませんでした。彼らが夢に出るくらい、印象が強く残りました。


♪最初からスーパースターじゃなかった

チャゲアスのアルバムを聞いて、どれも歌詞や曲調がおもしろく、似たりよったりな感じがなく、個性あふれる良い曲がたくさんあって、癒されたり、楽しかったり、かっこよさに圧倒されました。30年ぐらい前の楽曲なのに、歌詞や曲調に古くさい感じがなく、今聞いても、とても良い音楽でした。
それから、「チャゲ&飛鳥」表記のアルバムがあって、聞いてみました。最初のヒット曲は、『万里の河』だと知りました。そのジャケットを見て、驚きました。

シングル『万里の河』(1980年)
遠距離の恋を雄大な河に乗せて描いた歌謡曲。
写真左がChage、右はASKA。

昭和の雰囲気あふれる、フォークデュオの格好をした、チャゲと飛鳥を見て、ギャップに驚きました。『万里の河』を聞いて、落ち着く歌謡曲の雰囲気で、古くさい感じがなくて、とても美しい歌声と曲調でした。
ブリの両親は、『万里の河』のチャゲアスを当時見ていました。

「それなりに売れると思った。2人はこの曲が売れてから、見なくなったから消えたと思った。でも、SAY YESが売れた時、時代の流れに合わせ、人気を感じた」

ブリの両親

ブリの両親から、ブリが知るチャゲアスになるまで、時間がかかったと初めて知りました。ブリはさらに2人を知りたくなりました。

図書館で、1980年代のチャゲアスの活動記録本を読みました。売れなくて、リスナーからの関心が低かった、1980年前半のチャゲアスの様子を見て、ふと気づきました。
『万里の河』のヒット以降、若きチャゲアスは、ライブコンサートは売れても、音楽は売れずに、プロモーションが切られていました。良い曲はアイドルブームに埋もれていました。まるで、ブリの推しアーティストたちと似た状況でした。ライブコンサートは盛り上がっているのに、素晴らしい音楽は大きなヒットがない様子です。音楽活動を続けても、売上がはなはだ低下していました。良い音楽なのに、全然世間に表れない。低質な楽曲がもてはやされる。ブリは近年の邦楽と、1980年代の邦楽の状況が似ていることに驚きました。先人のアーティストの話で、今の状況と変わらない事情に共感を持ちました。どんな時代でも、アーティストたちは音楽を作っていくと、熱い想いが伝わりました。

それから、チャゲが初めてサングラスをしたジャケットがありました。『モーニングムーン』というシングル曲です。『万里の河』の次にヒットした曲です。ついにサングラスを付けたチャゲを見て、ブリはようやく彼の個性が出たと驚きました。この曲はかっこいいノリで、シンセサイザーのロック作風が良いです。さらに興味が増して、パンドラの箱を開ける勢いで、彼らのことを知っていきました。

シングル『モーニングムーン』(1986年)
月の下で、恋の復縁を歌うアップテンポ曲。
写真左がASKA、右がChage。
サングラスをかけたChageのイメージを刻んだ。


♪知らなかったミスターエイジア

チャゲアスのアルバムを探していた頃は、事件の自粛によって、CDが回収されていました。中古の古い再販盤を手にしました。レンタル店からCDを借りて、全てのアルバムの音源をそろえました。ブリは自粛だろうと、堂々と聞いていきました。周りに彼らのことを話しても、誰も反対する声を言いませんでした。ブリは一部の人たちが騒いでいるだけだと思いました。反抗心から、とにかく聞いてみたい姿勢がおさまりませんでした。はばかられる様子でも、ますます聞きたくなり、彼らの歌声と音楽を欲していました。音楽が好きな気持ちを密かに育てました。

実は、彼らの出身地はブリの両親と同じ、福岡県生まれと知り、親近感がわきました。チャゲは北九州市、飛鳥は大野城市に生まれました。
インターネットで、役立つファンサイト(こちらから)を見つけて、楽曲と活動の歴史を学びました。2人はどんな魅力があるのか、一体どうしてあの音楽性になったのか、楽曲解説を読み、理解が進みました。彼らはさまざまな作風とメロディーを多く持ち、情緒豊かな歌詞と楽曲を作り出していたのです。チャゲアスファンの話から、チャゲと飛鳥の関係、2人の個性や性格を知って、おもしろくなりました。

ファンからの情報を集めていて、衝撃の事実を知りました。なんと、1990年代前半は彼らのブームで、日本中で音楽が流れていたと知りました。日本国内だけではなく、アジア中で彼らの音楽が布教されて、アジア人アーティストとして初めて、ワールドミュージックアワードで受賞した記録を残しました。

1993年、ワールドミュージックアワードのトロフィーを持ったチャゲアス。

ブリの幼少期は、チャゲアスが邦楽史で確固たるスーパースターで、曲名通り「Mr. ASIA」(ミスターエイジア)になった時代でした。ブリは衝撃の事実を知り、仰天していました。チャゲ、飛鳥は、1990年代のJ-POPの生みの親だったのです。

ブリは25年も生きてて、彼らの存在にどうして興味を持たなかったのでしょう。1990年代の邦楽は、B'z、DREAMS COME TRUE、globe、電気グルーヴは知ってるのに、チャゲアスの存在を全然知らなかったです。学校の先生も、友人も、誰も教えてくれませんでした。
振り返ると、ブリの推しアーティストたちの話で、彼らの名を何回か聞いたことがありました。でも、知らなくて、関心が全くありませんでした。自分が気づかなかっただけで、知るきっかけはたくさんあったかもしれない。ブリが夢に見たスーパースターが、ブリの幼少期にいたとは、夢のようです。ブリに使命感のような愛情が生まれ、周りにはばかられる状況でも、彼らがとても大好きになりました。


♪膨らむ推し愛

動画を見て、ライブでも歌声が上手くて、くぎ付けでした。上手いだけじゃなく、音楽の魅力と盛り上げ方を表現しているようです。愛情をこめて、「チャゲちゃん」、「あすちゃん」と呼ぶようになり、ブリの推しアーティストに入りました。
すぐ飽きると思っていたら、ますます大好きになりました。他の音楽にない、心に響くメロディーがあります。チャゲちゃんの爽快感ある澄んだハイトーンで、心がくすぐったく、ノリノリに楽しく癒やされました。あすちゃんの力強く色っぽいハスキーに、心が温かく包まれて、繊細で深い快感に夢中になりました。2人一緒のハーモニーであらゆる苦痛が消えるような、魔法使いみたいな癒やしの力を感じました。ブリの心の中で、至福の推し愛があふれました。

興味が増して、チャゲソロ、チャゲのバンドMULTI MAX、飛鳥ソロも聞きました。2人はデュオの時とは違い、ソロは全く音楽性が違うと気づきました。マイペースで、マニアックな作曲でノリが良い音楽を奏でるチャゲちゃん。繊細で、独特な歌詞と曲の世界観を展開するあすちゃん。どっちが良いかと聞かれると迷ってしまうほど、2人とも大好きになりました。全てのチャゲアス作品、ほぼ全てのソロ作品を聞き終わった後、1980年代、1990年代の邦楽の創世記のような、壮大なストーリーを見た気分でした。ブリの人生で、史上最高の充実感と達成感を持ちました。

彼らの音楽を聞いていくうちに、チャゲアスと飛鳥に対して、「好きになっちゃダメだ」と思っていた気持ちがなくなり、「素敵な音楽だから守りたい」と思うようになりました。飛鳥を「あすちゃん」と呼んで、少しずつ受け入れるようになりました。彼が少しずつ病から立ち直ってほしいと、願うようになりました。チャゲちゃんがうまく過ごせるようにと、祈りました。毎日のように、2人のことを浮かべました。

チャゲアスが大好きになるにつれて、全てのシングルとアルバム、ファンサイトに書いてあるチャゲアスの活動歴史をすらすら覚えていきました。今まで知らなかったデュオなのに、なぜかすらすら覚えられるのが不思議でした。昔から知っているような感覚でした。大好きになってから、熱心にチャゲアス研究をしました。いつもと違う自分になったような、楽しい気持ちになりました。もしかしたら、ブリはもっと早く知るべきだったと、気づきました。今までチャゲアスを知らなかった25年間を取り戻したい気持ちが芽生えて、毎日少しずつ、彼らの音楽を聞いて、大切にするようになりました。誰にも評価されなくても、彼らの音楽を愛していきたい。誰からも知らなくなっても、彼らがいたことを伝えたい。彼らが社会からはばかれた世界で、推し愛を育みました。


♪夢の区切り

ブリがいろんな作品や本に触れていた間、あすちゃんに変化がありました。復帰初のアルバムを発売し、シンフォニックコンサートを行い、世間や常識を打破していきました。次第に、回収されていたチャゲアス作品と飛鳥ソロ作品が解禁されていきました。ブリは解禁された配信から、アルバムに収録されていないチャゲアス作品と、飛鳥ソロ作品を手にしました。そして、チャゲアスのデビュー40周年を迎えた時、あすちゃんはデュオから脱退しました。チャゲちゃんとは事情があって、話ができない様子でした。
ブリの両親は、冷静に脱退の様子を見て、こう言いました。

「老兵は死なず、消え去るのみ。いつかそうなる。新しい音楽に道を譲るべきだ。私は、老いた2人を見たくない。かつてのファンは若い時のイメージが強い。年を重ねた貫禄は、若さには勝てない。しかたない」

ブリの両親

デュオの終わりを見たブリは、両親の言葉で吹っ切れました。次第にブリは、興味ある若いアーティストのほうへ行き、自然とチャゲアスを聞かなくなりました。知り合いのチャゲアスファンも、違う趣味へ行ってしまいました。でも、完全に忘れることができず、心の中で大切にしまったままになりました。
出会いと別れ、いろんなことを忘れていくのは、他のアーティストでもよくあると思っていました。しまったままのチャゲアスをずっと忘れてしまうと思ったら、まさかの出来事が起こるとは想像しませんでした。

長くなるので、続きはまた今度にします。

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