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『ドナルドのジレンマ』から考えさせられたこと3つ

皆さんは、ウォルト・ディズニーのアニメ作品が好きですか。ディズニーは、老若男女問わず、何十年も愛されている作品が多いです。ブリは幼少期から、家族と東京ディズニーランドか、シーに行って、楽しんでいました。ブリは、東京ディズニーランドの開園と同じ日に生まれました。家でディズニーの素敵な名作を見て、育ちました。長編アニメ作品も良いですが、起承転結がおもしろい短編アニメ作品が大好きです。

音楽の話とはそれますが、音楽に関わるストーリーなので、ブリが最も印象に残っている短編アニメ作品を挙げました。1947年に公開された、『ドナルドのジレンマ』("Donald's Dilemma")という作品です。
題名通り、ドナルドダック(以下ドナルド)が主人公ですが、ストーリーでは恋人のデイジーダック(以下デイジーちゃん)が、主人公として描かれています。

『ドナルドのジレンマ』(1947年)
精神科に来たデイジー。

デイジーちゃんは、精神科の先生に相談しに来ました。ドナルドが上から落ちてきた植木鉢で頭を打ったショックで、世界一上手い歌手になってしまい、デイジーちゃんと疎遠になってしまいます。そして、ドナルドに会うために四苦八苦して、ウツになり、精神科の先生のところに行きました。そして、先生と話していくうちに、ドナルドを元に戻す方法に気づきます。

ブリは幼少期にこの作品を見た印象は、難しそうな話に見えて、デイジーちゃんが終始悲しそうで辛いと思っただけでした。大人になってから、かわいいデイジーちゃんを見たくなり、この作品を思い出しました。もう一度見たら、印象が変わりました。さまざまな推しアーティストたちの様子と重なり、深く考えさせられる内容だと思いました。

この記事では、ブリが今になって、『ドナルドのジレンマ』を見て、気づいたこと、共感したことを3つにまとめました。あくまでもブリの独自解釈なので、一例としてとらえてください。
記事の最後に、ストーリーのネタバレがありますので、見ていない方はご注意ください。


♪愛しているのは「アーティスト」か「人」か悩む

デイジーちゃんは、世界一上手い歌手となったドナルドを見て、歌声にうっとりします。ところが、歌手ドナルドがデイジーちゃんを見る目が、非常に冷たいのです。恋人にデレデレした表情が皆無で、もはや別人です。

泣いているデイジーに、冷たいドナルド。

ブリは、とある推しアーティストがいて、その人は以前から推していた俳優と結婚しましたが、15年後には離婚しました。どうしてだと、悲しい気持ちになりました。自分の身になって考えてみると、愛しているのは「俳優としての相手」だと気づきました。本当の人間は、現実とは違うのです。ブリたちが見ているアーティストたちの性格は、ほんの一面にしか過ぎません。「アーティスト」として、「人」としての彼/彼女は全く違うのです。現実とのズレで、アーティストや俳優同士の夫婦は離婚しやすいと思いました。
それに誰だって、同じように寝たり、疲れたり、ケンカしたり、食べたりします。絵に描いたような美人は、この世にいません。

ブリの周りから、推しアーティストの離婚に対して、「音楽では温かい人間関係を描いている人だけど、そばにいる人と別れて情けない」と言われました。ブリはその人の音楽をからかってくるのは、よろしくないと突っこみたくなりました。離婚は心労が大きいですが、間違ったことではないと思います。ブリは、音楽が大好きだから、彼/彼女の人間性とは別だと思い、音楽を尊重しています。

ブリの推しアーティストたちと、ブリ自身は、決して分かり合えないのです。あくまでも音楽作品での彼/彼女と、接しているのです。現実とのズレで悩むなら、決して自分のなかで彼/彼女に入りこまないほうがいいと思いました。ほどほどに愛していきたいです。


♪推しアーティストへの愛憎で苦しい

デイジーちゃんは歌手ドナルドに会いにいこうとしますが、チケットが売り切れて見に行けなかったり、楽屋の裏口から忍びこんでも追い出されたり、必死に行動しても、にっちもさっちも行きません。デイジーちゃんはうまくいかないストレスで、ウツになって、早まりたくなりました。落ちこんだなかで、精神科の先生にようやく行きました。

歌手ドナルドの歌声を聞いて、
会えない悲しみにくれるデイジー。

ブリは少年時代、とある推しバンドが大好きで、毎日のように考えていた時期がありました。推しバンドは日本全国を巻きこんだ大ブームになって、毎日のようにバンドの音楽がどこまでかかっていました。ブリは大好きで、世界中はバンドで幸せだと思っていました。
ところが、ブーム中にインターネットの感想を見たら、バンドを嫌う邦楽ファンから、アンチコメントやデマが音楽レビューと掲示板で山のように書かれて、本気で怖くなりました。ブーム中は楽しいけど、いろいろメンバーの好きなじゃないところが見えて、この先どうなるか不安になりました。ある日、バンドから人気メンバーが脱退しました。
メンバー脱退以降、ブームがおさまると、周りのファンが急に冷めて、「メンバー脱退から、バンドは終わってる」と、関心が急降下しました。ブリは、ブーム後のバンドの音楽を聞いて、大衆向けじゃなく、バンドのイメージらしくないと、複雑な気持ちになりました。次第に大衆向けの音楽を作らないいら立ちが重なり、数年以上も離れました。大好きになった分、憎しみがふくらみました。

成人を過ぎてから、推しバンドがブームの頃を振り返るインタビューを読んでから、ブーム後の音楽について、「本当は自分らしく作りたいためにブームを区切らせたかった」と語っていて、改めて音楽を聞いて、良いバンドに出会えてよかったと気づきました。

大好きな気持ちは本当にエネルギーが大きくて、何もかもがんばれる気持ちになります。でも、憎しみと隣り合わせだと思います。「ファンの願いに応じて、音楽を作るのが当たり前」と勘違いしていました。下手すれば、アンチコメントと同じ思考になっていました。感情は、はなはだ疲れました。アーティストへの思いやりを持って、自分の気持ちを大切にしていきたいと思いました。


♪不特定多数よりただ自分を愛し愛されたい気持ち

デイジーちゃんは、先生からこんな質問をされます。

『あなたは、彼と彼の美声を全世界のアイドルにしておきたいのか。
あるいはあなた一人のものにしておきたいのか。
つまり、2人にひとつの決断ですよ。』

『ドナルドのジレンマ』精神科の先生

デイジーちゃんは、ドナルドを歌手として愛される存在にするか、デイジーちゃんの恋人としてのドナルドにしたいか、どうするか先生から聞かれました。デイジーちゃんは、「もちろん、ドナルドを自分のものにしたい」と、叫びました。

決断したデイジー。

ブリは、アーティストたちはさびしくないと思っていました。なぜなら、不特定多数の人々に愛されているから、彼/彼女たちはうれしいと思っていました。ところが、実は本当は、彼/彼女たちは周りに分かり合えないストレスがありました。100人全員に愛されても、さびしい気持ちはなくなりません。なかにはアンチ行為を行う人もいて、こんなに歌手ががんばっているのに、文句を言われると辛いです。誰か本当の自分を認めてくれる人間がいないと、自信を失います。ちやほやする人々に巻かれて、自分が何を求めているのか、分からなくなります。

ブリの推しアーティストたちは、音楽を分かってくれないさびしさに苦しんだ日々がありました。唯一分かってくれるのは、家族や友人だと語っていました。身近な人だけが彼/彼女を分かってくれます。不特定多数の人々のなかには、彼/彼女を理解しようと思う方々がいると思います。でも、家族や友人のほうが信頼関係は強いのです。

デイジーちゃんを描くディズニーだって、散々批判されてきました。素敵な作品を描いても、「ファンが求めるストーリーじゃない」とか、「世情に配慮しすぎて、かわいいデイジーちゃんを台無しにした」とか、クリエイター達は賛否両論に耐えてきました。さまざまな意見を乗り越えて、クリエイター達が作った、デイジーちゃんは今日もファンから愛されてきました。

ブリの父に、もし配偶者が歌手になってほしいか、ただ一人の人間を愛してほしいか、どっちが良いか質問したら、「配偶者が、金を稼いでくれるなら歌手としてやってほしい」と、答えが来ました。気楽で良いですが、困ったものです。


以上、ブリが『ドナルドのジレンマ』を見て、考えさせられたことでした。
人生経験を重ねて、さまざまなアーティストたちの様子を見ていくなかで、この作品のストーリーが染みてしまいました。人間は、誰でも孤独で、愛し愛されたいと求めているのです。ファンである私たちも、愛する対象を求める生き物だと思いました。

最後にデイジーちゃんは、歌手ドナルドをどうしたかというと、先生の助言通りにもう一度、あの時の同じように、ドナルドの頭に植木鉢を落として、元に戻しました。普通のアヒルに戻ったドナルドは、デイジーちゃんに再会して、相思相愛になりました。ディズニーらしい、はちゃめちゃなオチでした。

始めからそういう方法をやればよかったと思う、デイジー

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