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男性同士で考える#4「男はどうして自分が被害者だと感じるの?」~”男性差別”はあるのか?

Twitterで
「男性同士で考える」というスペースを不定期で開催しています。
そこで出てきた話を記録しておこうと思い、noteに書き留めていきます。
そのときには話せなかったことも書き加えています。

はじめに

11月19日の「国際男性デー」に
「男性専用車両」を実施するという取り組みを目にした。

その目的のなかに
「女性専用車両があるのに男性専用車両がないのは男性差別」
という言葉
があった。

女性のために作られた「女性専用車両」
それがあることが
なぜか「男性差別」となってしまう
「男性が、女性から差別されている」
となってしまう

それって男性差別なの?
どうして男性は自分が被害者だと感じてしまうの?
今回の問いはそのことからスタートした。

スピーカーさんと話したこと

「男はどうして被害者だと感じてしまうの?」
「それらは本当に"男性差別"なの?」
について、以下のような話が出てきた。

・「専用車両」について
 それは ゾーニング ということがらである。

ゾーニング【zoning】 読み方:ぞーにんぐ
 1 区分すること。特に、都市計画などで、各地域を用途別に区画すること。
 2 物品・情報・サービスなどの購入や利用を、年齢などによって制限すること。アルコール飲料やタバコの販売制限、性的表現・暴力表現を含む映画やウェブサイトの閲覧制限など。→R指定 →フィルタリング

Weblio辞書より

JR大阪駅の「性的広告」炎上の件も
 2次元・性的コンテンツの ゾーニング の問題ではないか。
・ゾーニング されることを
 男性は「排除」されている
 「規制」されていると感じてしまう。
 さらには「恐怖」さえも感じている?
・性的なことがらも含む「合意」ということについて
 女性が「ノー」という意思を示しただけで
 男性は「拒絶」されていると感じてしまうという
 コミュニケーション上で起こる問題について。

・メディア・コンテンツによる
 「女性にケアされる男性」
 「女性は男性をケアするもの」という刷り込み。

「女性専用車両」
女性たちが安心して電車に乗りたい
痴漢や盗撮などの性加害をしてくる男性たちを
警戒したりすることなく安心して電車に乗りたい
そんな女性たちのニーズに応えるものだ。
「女性たちの安心のために、この車両には乗らないでください」
と言っている。
にもかかわらず
「その車両に自由に乗れないのは差別だ」
と主張する男性たちがいる。
ほかにもたくさん車両はあるにもかかわらず。

2次元・性的コンテンツの ゾーニング
女性や若年者など、そのコンテンツを見たくない
必要としていない
そういう人たちに対する配慮として
行われていることだ。
「ほかの人たちへの配慮として、ここには置かないでください」
と言っている
にもかかわらず
「そこに置けない・そこで表現できないことは
 表現の自由の侵害だ」
と主張する人たち(多くが男性)がいる。
そのもの自体が規制されたりしているわけではない
にもかかわらず。

結論として
「女性専用車両」というゾーニングも
2次元・性的コンテンツのゾーニングも
「差別」でも「排除」でもない 
という話になったが
それでもなお
「男性がそれを差別・排除だと感じてしまうのはなぜか?」
「男はどうして被害者だと感じてしまうのか?」
という問いは残り続けた。

たとえば
付き合っていても
交際中という関係性にあったとしても
結婚していたとしても
性的なスキンシップをしたくない
セックスをしたくない・できないという時がある。
「いまは無理。いまはしたくない」と言っている
にもかかわらず
「拒絶されている」「愛されていない」
「受け入れられていない」
と感じてしまう男性 
がいる。
関係性が拒絶されたわけではない
にもかかわらず。

どうやらコミュニケーションにおいて
女性が「ノー」という意思を示しただけで
男性は「拒絶」されていると感じてしまう
ということがあるようだ。
それはなぜなのか。

(女性には)
男性の偉そうで余計な説明に
「そうなんですか?知らなかったです!」
と感心して見せることが求められている。
女性のその反応を受けて
男性の自尊心は満たされる。
逆にその期待した反応が得られなかったときには
不機嫌になったり、暴力的になったりする男性がいる。
そのことが面倒で、そのことが恐怖で、
トラブルや危険を避け、身を守るために
しかたなく愛想よくしている女性がいる。

男性同士で考える#3「男はどうして女性に偉そうに説明するの?」より

考えたこと・思ったこと

最近、北原みのりさん、大島史子さん、アキオさんの
「フェミニストステーション」というポッドキャスト
を聴いているのだが、そのなかでも
「女性だけの場を作ると、『男性が排除されている』
 『男性もそこにも入れろ』『男性の役割はないのか』
 と言ってくる男性がいる」

という話 があった。

男性だけの場所ばかりが溢れている世の中で
やっとこ女性だけの安心・安全な場所を作っても
そこにも自分たち男性の場所を作れ、と言ってくる男性たち

そこには、前の記事にも書いたが
その貧弱な自尊心を、
女性によって保っている男性 
の姿があるように思う。
女性から褒められたり、必要とされていないと
自分の存在意義や自尊心を保てない男性の姿だ。

しかし
男性から女性への暴力や加害を防ぐためにも、
また特権に溢れた男性中心社会から
女性が尊重される場所(スペース)を
少しでも多く、確実に取り戻すためにも、
男性が制限される場や、女性が優先される場を作るという
ゾーニング は必要なこと だろう。
そしてそれは決して
男性差別・逆差別などということではなく、
「女性差別」を解消するための取り組み
"アファーマティブアクション"(ポジティブアクション)
といわれるものである。
(「女性専用車両」とアファーマティブアクションについては
 大阪府の人権学習教材が参考になる)

女性を性的に消費する
2次元・性的コンテンツについては言うまでもない。

もしこれらを男性差別・逆差別であると
感じる男性がいるならば、
女性によって自らの存在意義を確認したり
自尊心を保とうとしてはいないか、
考えてみてほしい。

女性に対して「男性差別だ」という言説については
多くの男性によって様々な事例が語られているので、
一つひとつ、それが一体なんなのか
確認をしていきたいもの。
(シリーズ化しようかとも考え中)

今回のスペースでは更に
「ゾーニング すれば、2次元・性的コンテンツは問題ないのか」
という話にもなった。
これについては賛否が分かれるだろうが
私は 仮にそれが ゾーニング されていたとしても
有害なものである 
と思っている。

それらの コンテンツ に触れることによって
多くの男性たちが(自分自身も含め)
女性に対する一方的で暴力的なコミュニケーションを
刷り込まれている 
と思う。

この
男性の女性に対する
一方的で暴力的なコミュニケーションという問題
については
次回以降のトピックとして取り上げてみたいと思う。


スペースで紹介した本


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