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血まみれになりながら、それでも笑って踊り続けるそんなダンスみたいなもの。


 仕事の企画を語っていると、

「それもいいけどわたしならこうするね」

 ってさ。
 そうやって被せてくる、それがマウント取りなのかどうかはよくわからないけれど、「俺はこうしたい」って話をしているわけであって「それより優れたよりよい案を私は提示できる」って返しはいらないんだって。いらないんだってば。ここは会議の場でもプレゼンの場でもないんだからよ。

 俺の、この俺の根拠もエビデンスも定量的理屈もクソもない、ただ、心が跳ねた、同じように跳ねる人がいるかもしれなくて、その手にした感性が鋭ければ鋭いほど同じく跳ねて騒いで傷に塗れて血だらけで踊ってくれる人がいる、数なんてわかんない、わかんないけどマスマーケティングなんて絶対信用しない自分としては、だから「1人」から始める、「あなた」から始める、ってずーーーーっと言ってて職場では何年も獣道をトボトボ歩いて

「なんかよくわかんないけど面白いことばかり考えて、でも売れるものを作れない人」

 として歳をとってきた。歳をとっても変わらないから始末が悪い、わかってんだけど、自覚はあるよ、自責も山盛り、でも自信はない。しかし、しかしだ。俺は俺の考えてること、描く絵、紡ぐ言葉を信じてる。

 それって自信があるってことじゃねえか、と件の「わたしならこうする」言いたがりの人たちはいうんだけれどさ、

そうじゃない。そうじゃないんだよな。

 別に俺の語る綴るものを受け入れてくれ共感してくれなんて言わない、ただ、形はない、温度はある、時に誰かの心を揺さぶる揺さぶりまくる、そんなものたちを言語化する、あなたが心に秘めて誰にも見せず触らせず、それが人から見たらゴミかもしんないクズかもしんない、早朝の公園の地面にこびりついたゲロかもしんない、だけど、大切だ、この上なく大事だ、

「かけがえのないものほどくだらないものはない」なんて台詞をどっかで聞いたこともあるぞ、そらそうかもしんない、「かけがえのないもの」は時に自分を縛る、殴る、思考を奪う、ってわかってんだ、だけど、けれど、

「手放せない」からしょうがない。

 で、冒頭に戻るとだ、
「それでもいいけどわたしならこうするね」って話始めたあんたのその御宅はクソつまんない、10万人に刺さるもの? そんなもん極限まで薄まって刺されたことすらわからないものにしかなんねえだろ、と言いたかった、反論したかった、

 でも言えなかった。

 「だから」も「そして」も「やはり」もない、接続詞にも助けてもらえないこんな話は終わりだ。何かに静かに熱狂してその高揚と感動をおくびにも出さず血塗れで笑いながら踊る人のために何かを考える。何かを見つけ出す、それは変わらないんだろう、変えられないんだろう、変えたくないんだろう。

 だからまた独りで獣道を歩いていこうか。

 


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