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そういえばあいつの叩くスネアの音はやたら尖っていたんだった。(映画『くれなずめ』)

 もう10年以上前になるだろうか。大学の軽音部で毎日のように顔を合わせていた男が亡くなった。どういうわけか通夜、告別式などはとっくに終わっていて、その世代でヘタクソなコピーばかりやっていた俺を含めた7人くらいの仲間のところにメールが来たのは、奴が死んでから2ヶ月くらいたった頃、発信元は奴の奥さんからだった。

 せめて焼香を、ということで、やっぱり10年ぶりくらいで顔を合わす軽音楽部の連中と、奴が家を建てた埼玉の奥の方の街、名前も初めて聞くような駅のロータリーで待ち合わせた。

 よぅよぅよぅ久しぶり、おまえ今何やってんの? 変わんねえな、いや、変わったか。

 亡くなった、という事実から時間も経っていたせいか、しんみりもせずどんよりもせず、そうだ、今更あいつがこの世にいないってことを悲しんだってよ、だって2ヶ月前だぜ? とっくに三途の川なんて渡り切って、天国だかあの世だかでよろしくやってるだろうよ。なぁ?

 駅前からはタクシーに分乗してそいつの家まで行った。奥さんはなんだかもう吹っ切れた様子でとても明るく、俺たちがかわるがわる線香に火をつけ仏壇に向けて手を合わせる間、残された2人の小さな子供たちがきゃっきゃと居間を走り回っていた。

 ご連絡するのが遅くなってごめんなさい、と奥さんはお茶を出しながら言う。言うが、なぜ2ヶ月が経った、経ってしまった今なのか、という理由は口にしなかったし、俺たちも逆に尋ねたりもしなかった。

 そんなものなのかねぇ、と帰りのタクシーの中で1人が呟く。その程度の間柄だったのか、ということだろう。その呟きに応えたり被せたり相槌を打ったりする奴もいなかった。俺を含めて。

 ともあれ、10年以上ぶりに俺らは顔を合わせた。

 通夜でもなく告別式でもなく、自分がすっかりこの世界から居なくなってしまったことが当然のことのようになるのを待ったのか。
 初めて降りる駅前の、コンビニひとつないような、これから町ができるのであろうけれども今は何もない、いやわかんねえ、クルマに乗って国道だかバイパスだかにちょろっと出れば、ロードサイドにひと通りの店やら馬鹿でかいショッピングモールがあって、

『意外と便利なんだぜ』

 そんな風に言うんだろうか、お前は。

 暇さえあればスティックで何かを叩いて、俺のギターに文句をつけ、たぶん誰よりも多くお前のドラムスで弾いたのが俺だ。

 卒業したあとお前は猛勉強して、国税専門官だかなんだかになった。それ、どんな仕事だよ、そんな堅実な未来を心の中に秘めながら、あの、突き抜けるような、刺さるような、空気を切るようなスネアを鳴らしていたのかよ。
 そんで、また俺らに断りもなくこの世から消えて、

『2ヶ月くらい経ったら、来いよ。そんくらいがちょうどいいだろ。何がちょうどいいのかわかんねえけど』

 そういうことかよ。

 …その後どうしただろう。とりあえず大宮だか池袋だかまでみんなで戻って、酒でも飲んだ気がする。

 学生時代、多くの人たちが過ごしたであろう、馬鹿で、みっともなくて、恥ずかしくて、根拠のない自信と、底なしの不安を抱えながら生きた時間。卒業すればバラバラそれぞれ散り散りの「人生」って沼に次々飛び込んでいって、もがく、あがく、諦める。
 そんな俺らが集まるきっかけが、誰かが結婚したときと、誰かが死んだときくらいになるなんてさ。

『だろ? だから2ヶ月待ったんだよ。久しぶりにみんなで騒いで来いよ。喚いて来いよ。俺が死んだからって、わざわざ泣きにくることなんてねぇって』

 そういうことかよ。

 俺はまだギター弾いてるよ。趣味程度には。おまえがなんども俺に言ったよな。バッキングのときはピックをナナメに弦に当てろ、思い切り、って。確かに、そんな風に品のないカッティングじゃないとお前のスネアに勝てないよな。

 一度だけでもいいから、セットに座ったお前から、俺の後ろ姿はどんな風に見えていたか聞いてみたかったな。

 でもまあ、たぶん。

 いつか聞けるんだろうな。

 いつになるかわかんねえけど。

 その時まで。

 じゃあな。

 またな。

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