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誰かの中に生きる

『人はいつ死ぬと思う??人に忘れられた時さ』
ワンピースの有名なセリフ。

忘れられるというのはそれなりに寂しさがあって、
言葉にできないつらさのような苦しさのようなもので
胸が詰まりそうになってしまう。

だから僕は別れが嫌いだし、
距離が空いていく実感に耐えられない。

とはいえ、
撮影の仕事も1回長くても60分ほどで、多くても年に2-3回。
ずっとやっていた遊び場作りの仕事も1回3時間ほどで次に会うときは1年後だったりするので、
お仕事柄めちゃくちゃ忘れられるという経験をする。

離れたくないと泣いてくれる子も、
手紙をくれる子も、
『またね』と約束をした子も、
忘れてしまうには十分過ぎるほど時間が経つから
忘れられてしまうことに対して『そりゃそうだよね』と思えるようになった。

昔出会った子が初めて会った日に
『のすけ私と遊んだこと忘れないでね。』と言ってくれた。
そんなこと言いながらキミが忘れちゃうんだろうななんて思ってると隣に居た子が言った。
『でもさ!今日初めて会ってこんなに仲良くなったんやけん忘れとってもまた友達になれるやろ!』と。
この言葉が今でも忘れてしまうこと・忘れられるということの嫌な感じを少し軽くしてくれた。

でもやっぱり寂しいけれど。

ある日、公園で勤務していた保育園の卒園児の子とかなり久しぶりに出会った。
定期的に会う少年につられてソフトの練習に来ていた。

忘れてしまったと思わせたくない、いや、
その現実をわざわざ確認したくないから、
相手が覚えてる素振りが無ければ初めてのフリをする。

その卒園児の彼も話した時に
『キャッチボール一緒にいいですか?』と敬語で話しかけてきた。
『あぁ覚えられてないんだな』という寂しさを
密かに胸に抱えながら
キャッチボールを続けた。
はじめましてでも仲良くなるのなんてそんなに大変じゃない。
初めましてから30分以内で仲良しにならなきゃいけない状況を何千人分こなしてきたから。

卒園して2年半も経ったんだ。
忘れてても当たり前だよね。
敬語が使えるほど大人になった嬉しさと
ちょっとの寂しさと。

そんなことを考えながら遊んでいると彼が帰る時間になった。
片付けをしている時に僕が少しぼーっとしていると
『ねぇ、ぼく〇〇保育園なんだよ』と彼は呟くように口にした。
その時、初めましてのフリをして蓋をしていた懐かしいとか愛おしいとかの感情がブワッと溢れてきた。

『〇〇くんやろ。のすけは最初から気づいとったとよ。もう3年生やんね。』と返すと彼は照れくさそうにはにかんだ。

保育園の頃の記憶なんてなくて当たり前なのよ。
忘れるほど素敵なことが沢山積み重なってる証だから
それでいいんだ。
忘れられていることに確かに寂しさはあるけど、それはつらさとはまた違う。
当たり前だという前提があるから。

でも、だからこそ、覚えていてくれた時
相手の中で僕が手渡した何かが残っていると
気づいた瞬間の歓びは測り知れない。
目がアーニャくらいうるうるしてたんじゃなかろうか。

何をしたかなんて何も覚えてなくてもいい。
なんとなくこの人に大切に思われていた気がするとか
愛されてた気がするとかそんな実感が
ほんの少しでも残っていてくれたら。

誰かの中で自分がきちんと生きている。
その実感があるから僕は生きていける。

学童で遠目で見えた時に手を振ってくれるあなたも
運動会の招待状をくれたあなたも
どれだけ期間が開いても手を広げて飛んできてくれるあなたも。

覚えてくれてありがとね。
言葉じゃ伝えられないけどめちゃくちゃ
大好きだよーって心の中でいまだに叫んでるからね。

いつか必ず忘れてしまう。
それでも、何かほんの少しでもいい
あたたかい感覚があなたの中に残りますようにと
今のあなたたちとの時間を過ごしていきたい。

今年もあと少し。ゆっくり歩いていこう。

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