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価値観や、生き方をつらつらと。

生き方について考える時代になった。

はじめまして。ももやんと言います。

大学時代は心理学専攻→脚本家を志望の日々→打ち止め→人間になれてないことにきづく→人間活動開始→広告代理店で働く→人間になりつつある。

という日々を送ってきました。

一般的な人とは大分変った人生を送ったせいか、生きることが結構大変でした。それが故に生きることを真剣に考えざるえなくなりました。

苦しい状況があったこともあり、僕は生きることについて考えることが、とても好きになっていました。なぜなら考えて実行をしていくと、生きることが少しずつ楽になって来たからです。

生き方や価値観は学校で教えてくれない

幸せになるために、お金が必要だ!という考え方があります。それはなぜでしょう。「幸せになりたいから」じゃないでしょうか。大企業に入れば、安泰だということも、長い間語られてきましたが、親が大企業に子供を入れたがるのも、「幸せにさせたい」からです。

でも、不思議なことに僕らは「勉強をしろ!」とは教えられてきましたが、「生き方について考えろ!」とは教えられてきてません。奇跡的に金八先生みたいな人がいたら、いいかもしれません。少なくとも、僕のケースでは、大学卒業するまで、先生から「生き方」や「価値観」について教えてもらったことはほとんどありませんでした。

幸せについて考えないまま大人になる

幸せになり、幸せである。というのが究極の人間の目標のはずなのに、僕らはそこら辺の教育を受けたり、考える機会を持たないまま大人になります。これってすごいことだと思います。

サッカーのことをほとんど考えたこともなければ、プレーしたこともないのに、サッカーに詳しかったり上手になる人はいないと思います。それと同じように幸せについてほとんど考えてこなかったけど、幸せ見つけましたって結構難しかったりします。

僕のように結構辛めの人生を送ると、苦しすぎて「幸せ」について考えることが沢山ありました。でも、そうでないふんわり苦しいとかだと、あんまり考えないまま大人になって、突然その壁にぶつかったりするのではないかと思います。

資格とるより自分を知るほうが大切

最近は減ったかもしれないですけど、興味ない分野や役に立たなそうな資格をとって将来に備える人が沢山いました。その資格はいつ使うかどうかではなく、資格を持っているほうがなんとなく安心ということで、その資格をとっていたのかもしれません。

大企業安泰コース、公務員安全説、資格とってけば安心の根本に流れているのは、根底に安定した人生を送っていきたいという気持ちがあるのではないでしょうか。そのさらに奥には、やっぱり「幸せに生きたい」があるはずです。これらのコースは親が子供に期待しがちな「幸せコース」の代表例ではないでしょうか。

でも、幸せって人によって違うのです。Aさんが感じる幸せポイントは、Bさんにとっては地獄かもしれない。激辛料理を好んで行脚しているAさんの幸せは、Bさんにとっては耐えられない罰ゲームかもしれませんね。

それと同じように頭がよくて、東大出て、大企業になったり官僚になったからと言って、それがその人に「合っている」かどうかは別問題。

結局、何が自分にとって嬉しいのか、幸せだと感じられるのかは、それぞれ違うのだから、自分を知る必要が出てきます。

絶え間ない実験の結果が自分を知るということ

自分を知るうえで、「好きなこと」、「やりたいこ」というのがわかりやすい例だと思います。

では、「ほんとうにやりたいこと」的な漫画みたいな望みがいきなり見つかるのでしょうか。それ怪しいと僕は思っています。それは「夢」の領域で語られていたことにも該当します。

「これ」ってものなんていきなり見つかるのは、宝くじに当たるくらい、いやそれ以上に難しいものだと思っています。

しかし、宝くじは本当に運任せであるのに対し、こっちの「やりたいこと」を見つけていくというのは、徐々に見つけていくことが可能だとおも思っています。

テレビでプリン特集をやっていて、「プリン食べたい」と思ったら、「プリンを食べる」。ああ、プリン結構好きだなってじぶんを知る。反対に食べてみたけど、やっぱりあんまり好きじゃなかったって気づくこともあるかもしれません。こんな些細なことがじぶんという探検の始まりなのです。

じぶんデーターが揃ったら

実験を繰り返すと、データーが揃っていきます。そうすると、自分が何に反応しやすくて、反応しにくい(嫌がる)のかがわかってきたら、そもそも選択しないことが増えてきますよね。

飲み会が好きなのか、嫌いなのか、インドアなのか、アウトドアなのか、友達は多いほうが楽しいのか、少なくて深くなのか、あるいはその中間なのか。といったデーターが揃っていくと、上記で言うとあまり興味のない飲み会に参加するかは秒で判断ができるようになると思います。

大枠がわかればそっちに向かっていけばいいか分かってきます。自分にとっての幸せがはっきりとして来ます。

だから、僕はこの実験を繰り返して、生き方やら価値観を考え続けています。そしたら、確実にじぶんの幸せの濃度は高くなってきています。

このように僕が考えてきた幸せに対する思考法やら、考え方やら、人間関係の対処法などなどこのnoteでは発信していきたいと思います。


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