自分が自分じゃなくなる面白さ
今日は久々の外稽古。それもずっとやりたかったマスクの稽古でした。
顔と声と身体を通して、自分ではない「マスク」という存在になっていく。
普段の自分ではたどり着けないような領域に行けて、衝撃的な瞬間にたくさん立ち会えるのが、マスクの面白さです。
僕がマスクに出会ったのは8年くらい前で、その時に扱ったのがキース・ジョンストンのハーフマスク(トランスマスク)でした。
↓レッスンの様子↓
マスクには様々なアプローチがなされますのが、キースが扱うハーフマスクは、その名の通り、演者をトランス状態に引き込むようなアプローチです。
演者はマスクを被った後、鏡を見せられ、マスクの顔に直面します。
そして、その鏡を見た衝動で声を出し、その声を出し続けていくことで、徐々にマスクそのものになっていくのです。
※その表現にピンと来ない人は、試しに自分の顔を変な顔にしてみて、そのまま声を出し続けてみてください。そうするとその声に引っ張られていって、キャラクターになる感覚がすると思うのですが、これのもっと凄い版です(笑)
僕がトランスマスクを初めてやった時は、衝撃でした。
やってる最中は「自分が自分じゃなくなっている!」という感覚で、マスクを被ってるからか、何をやっても許されるという自由さを感じました。※1
ちなみに、マスクは最初、言語を喋ることは出来ません。
もちろん無理すれば喋れるのですが、そうすると、マスクと自分が乖離している感覚になります。
大事なのは、マスクにコントロールを委ね、マスクに任せるということです。
そのうち言語を教わったり、人がたくさん話しかけてきたりすることで、徐々に言葉が口に馴染んで、喋れるようになってきます。
↓海外(ルースムースシアター)での僕のトランスの様子↓
僕にマスクを教えてくれたスティーブ・ジャランド(上の動画にも出てる人。キースの愛弟子であり、マスクの世界的指導者)は、
「マスクは楽しみながら、遊びながら学ぶもの」だと言います。
「自分じゃないものになる」「トランス」と聞くと、どこか怖い、怪しい印象を受けるかもしれません。
でも実際、役を演じるというのは「自分じゃないものになる」ことですし、「トランス」も良い演技をしてる時には自然と起こったりするものです。※2
なので、究極マスク(ないし演技)というものはごっこ遊びの延長なのだと思います。
子供がごっこ遊びで夢中になってる時、頑張って役を演じようとはしてません。
その役の格好に身を包み、そういうものだと信じ切って、楽しんで遊んでいます。
僕はそんな状態が舞台上での理想の在り方だと思うし、特にトランスマスクはそれを思い出させてくれるものだと思っています。
稽古を終えた後の僕には、今日は終始コーチだったのですが、小さい子供と楽しく遊んだ後のような感覚が残っています。
こんな感覚を、また舞台上で味わえる日が来て欲しいですねえ。
※1 トランスマスクをやった人の中には、自分のコントロールが取れなくなることを怖がり、やりたがらない人も出てきます。が、それはそれで良いのでしょう。違うアプローチを探していけば。
※2 トランスについて深掘りすると「実は人間は、日常で既に軽いトランス状態にいる」という話も出来たりします。その辺について詳しく知りたい方は10/11日のインプロ読書会へどうぞ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?