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師匠との付き合い方

ほんの若いころ、俺にも師匠という存在がいた。
アダルトのビジネスでのことで、まあ仕事のノウハウを持っていて、それを学ぶために弟子になったはずだった。

しかし「師匠」は本当に無能で(笑)教えてくれるノウハウは薄っぺらかった。何を教えてもらっても奥行きがない。
わざと薄い情報を渡されて、俺は試されているのかと思ったほどだ。まるでベスト・キッドのラルフ・マッチオのように。
しかし、本当に何も持っていなかった。なんなら師匠自身のビジネスが全然上手くいっていなかった。

自分のビジネスが上手くいっていないのに、よく俺もこいつを師匠にしたよなと自分に呆れたものだった。

いや、待てよと何度も思い返した。
俺が無能だからこそ、師匠が無能に見えるのかもしれない。俺が稼いでいないからこそ、師匠も稼いでいないように見えるのかもしれない。本当は俺の能力では理解できない何か大きな能力や秘密を隠し持っているのかもしれない。そう繰り返し考えてみるのだが・・・

やっぱりそんなことはなかった。本格的に薄っぺらい男だったのだ。

でも師匠を弁護するとしたら、人としては楽しい男だったよ。女にモテたし、話も上手だった。都会育ちという感じで自分のことを「ぼく」と言うんだよね。夜の世界でぼくなんて言ってるやつは見たことがない。
育ちが良かったのだろう。裏のある男ではなかった。

結局のところ、師匠はその後死んだ。
自殺だった。今思うと、ウツだったのだろう。最後は行動も言動も支離滅裂で、ひどい態度で俺にも感情をぶつけ、自分の環境を自分で全部ぶっ壊した。
そして溺愛していたはずの女性を残し、1人くたばった。

俺は師匠から何も得るものがなかった。友達を無くしただけだった。

俺はその後、自分自身のオリジナルのやり方でエロ業界で成功した。誰からも教わっていない。自分で考えて自分で試して自分で失敗して得た方法論を磨き上げて、現在に至っている。

と、ここまで言うと、若い人はよく俺に言う。

「自分のやり方にこだわることが大切なんですね。」とか。

違う。そういうことではない。何言ってんだよ。

俺は自分の師匠に教わっている時(教わっていないが)、どれだけ自分の師匠が無能だとしても、その時は自己流のやり方は一切しなかった。

つまり、ダメはダメなりに教わったやり方しかしなかったということ。それは芽が出ることはなかったけれど、俺は何年もの間、師事する相手に対して浮気をしなかった。二人の師匠についてはいけないのだと、ラルフ・マッチオ演じるギタリストが『クロスロード』の冒頭で、バークレー音楽院の教師に言われていたシーンを覚えていたからだ。

師匠によそで仕入れてきた下手な知識をひけらかしたり、こっちの方がいいんじゃなっすかね、みたいなことを言うことはしなかった。そんなのありえない。

そう考えてみると、あのうだつが上がらない時期に無駄にしたように感じた時間は、決して無駄ではなかった。

あの時期がなければ、俺はオリジナルのやり方を始めようとは思わなかっただろうから。
いや、本当に俺はオリジナルだったのかと自分を疑うこともある。

確かに、師匠に教わったことで今役立っていることは何もない。

でも師匠がなかったら俺は本当に成功できていたのかは甚だ疑問だ。

師匠が死んでしばらくしてから、俺は驚いた。

師匠の自宅のガレージには金をかけてメンテナンスしていた某高級イタリア車が残されていたからだ。一緒に住んでいた女性が実は妻だということも知った。そして、銀行口座にはちょっと信じられないくらいの金額が入っていた。証券会社の口座などにもいくばくかあったとも聞いた。

俺は師匠は金を持っていないと勘違いしていたのだ。商売が売れていないと思い込んでいたのだ。
それはやはり俺の能力のなさゆえに勘違いしていたのだ。

師匠は俺にわざとノウハウを教えてくれなかったのだと思う。薄っぺらい、上っ面の方法論を俺に繰り返しやらせていた。俺がうだつが上がらないのを黙って見ていたということだ。

なぜそんなことをしたのか。
きっとそれは、俺が自分の我を手放さなかったからかもしれない。

結局のところ、俺は師匠が死んでからはじめて自分のやり方を始めるようになった。

師匠の教えたやり方で覚えていること、役に立ったことは何一つない。でも師匠がいなかったら俺は脇道に逸れていた。

師匠が教えてくれたのは、下積みに耐えろということ、アホになって教わったことだねをやれということ、そこだけだったのだろう。

やはりいい友達だったよ。いい奴だった。

俺は自分の弟子っ子には、すべてを教えている。何一つ隠さないし、出し惜しみしない。でもオリジナルのやり方は一切許していない。そこはかなり厳しい。一言一句、オリジナルは認めない。
劇団四季ではないが、1000回同じことをやって飽きるなら辞めろと叱ることもある。
自分でやりたかったら俺が死んだあとでやるか、ここをけつまくって出ていくか、どちらかしかないよと言っている。

オリジナルであるということは、退屈で無意味に思える繰り返しを体験しているからこそ生まれてくるもの。そしてそれはオリジナルではなく、基礎となる教養や所作を覚えたこそのものなのだから。


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