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僕はこだわる(7)「比べる」【羽地朝和連載コラム】

目黒川の桜が満開だ。花見は自粛だったはずなのにこうこうとライトを照らした出店が並び、スマホやイチゴなんたらを手にした大勢の人が出歩いている。

明日のオンライン研修のことを考えながら、いつもの道にいないはずの人混みをかき分けながら歩くと、自分だけが遠くにいるように感じてくる。


オンラインの環境で、生の研修やワークショップ(こういう言い方をしないといけないことがまだるっこいのだが)で行っているファシリテーションや場づくりでこだわっていることをどう生み出すかをあれこれ考えるのは楽しい。アドレナリンが分泌される。が、もしかしてそもそもそれが間違っているのではないか、という考えもよぎる。これまでこだわってきたものを、この世界でも生みだそうとするのではなく、この世界の構造やルールから新たなものを生み出した方がよいのではないか。

明日の研修テーマである多様性・創造性・コミュニケーションも、僕が生の世界で感じていたもので、この世界では新たな多様性・創造性・コミュニケーションの層があるのではないか。そもそもこれまでの経験に基づいて考えていることが創造的ではないのではないか。

そんなことを今考えていてもしょうがないので、頭の片隅にポストイットで貼っておいて、明日主催の担当者やスタッフと確認することを整理する作業にもどる。


オンラインのワークショップに取り組みだしたわずかな経験からなのだけれど、物理的な距離に関係なく、国も関係なく(時差は影響しているけど)一緒の場を持てるというのは素晴らしい。即興の表現も工夫すると面白いことができる。経験や気持ちを分かち合うこともできる。明日はzoomの機能を使った活発なグループ討議が生まれると思う。多分。

しかし、なのである。僕の場合はオンラインの活動に取り組んでも、どこかで生の活動と比べて、「確かにいい、でも生のワークショップがやっぱりいい」という考えを拭い去れずにやっている。そんなこと考えたってなんの役にも立たないのに、オンラインVS生という考えがどこかにある。ナポリタンとニシンそばどっちが美味しいか、という論争と同じぐらい意味がない。どちらもお腹が空いていたら美味しいし、食べたいものを食べたらいいのである。


比べることは、人生のほとんどの場合、よくない。あれかこれかと比べても、本来どちらもそれぞれいい。比べて悩むとそれぞれの良さに目がいかなくなって、デメリットを考え始める。だから比べることよりも、明日のリモートライブ研修「多様性のある考え方」でいろんなことを試みてみよう。そもそも「多様性」の対極に「比べる」があるのだから。

明日の目玉は、「かちかち山」を使った課題解決ワーク。その中でいろいろな価値観、判断基準、モノの見方・考え方があることを発見し、自分が当たり前だと思っていた枠組みに気がつく、というもの。僕に一番役立ちそうな内容ではないか。


(羽地朝和)

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