見出し画像

【連載】ワークショップで行う詩の推敲を公開します!(向坂くじら・岩橋由莉)④(終)

この連載では、わたし・向坂くじらが詩のワークショップ内で参加者の方と行う推敲を、表現教育家の岩橋由莉(ゆりさん)といっしょに実践し、そのようすを記録します。詩のワークショップでどのようなことをしているのか興味がある方、詩ができあがっていく工程を見てみたい方、ぜひお楽しみください!
お題:「あるできごとや気持ちが夢に出てきたとしたら、どんな夢になるでしょうか?」

第一回はこちら→

前回は、もう完成かと思いきや、ゆりさんが「気が済む」を「気が澄む」と書いたことにわたしがヒートアップしてしまい、反省しながら終わったのでした。いよいよ大詰め! 今回が最終回です。

案外(?)とくに反発されることもなく、ゆりさんから改稿が届きました。

(ゆり)

公園は作られた四角い緑
砂場には 赤いお椀と黄色いスコップ 
スライスされたたけのこが お皿に載っている

人々はお椀やスコップを手に
向かい合ってわらっている

かお、かお、かお 声、声、声
大人のふるまい
声だけは 甲高く飛び出て
やがては落ちて踏まれていく

お皿のたけのこを生のままかじってる男
掘りたてだから大丈夫 と言う
ばかだなあ、渋いに決まってるのに
はたして
ペッペッとすぐ吐いた
えぐみがあるよ 
と甘えるように上目遣いでわたしを見る
わたしは 
そうなんや とも 
お水飲む? とも 
言わなかった

お腹がつめたくなってきた

砂場に立ってみる

遠くがよく見えるように


歩こう ここから出なければいけない
ここは踏ん張る場所じゃない

拳を握って 大声で悪態をつく

痛い!痛い!痛い!

すぐ近くにいる人には きこえた気配はなく
遠くの人には 届いたようだ

声を あげたら 空気がふるえた
ふるえたぶんだけ 無色になった

おっ!!!!
最後がまるっと変わっています。

(くじら)

遅くなりすみません!ようやくゆっくり読みました!!ゆりさん的にはどうでしょう、これで完成でしょうか?
要素が減って、自分の動きがとてもわかりやすくなりました。「男」との関わりが減る(チラチラ見るくだりがなくなっている)のも、わかりやすくなった気がします。

そして、ラストが個人的にはいままでで一番いいです!!前回めっちゃわたしがしゃべってしまったので「気が澄む」がどうなるかなあと密かにドキドキしていましたが、

>声を あげたら 空気がふるえた
ふるえたぶんだけ 無色になった

ここ、おもしろいです!とても具体的に想像できます。
二転三転してきた問題の「悪態」ですが、前回は「すぐ行くよ!まってて!」だったところ、「痛い!痛い!痛い!」というこれまた強烈なフレーズに変わっています。それで、「遠くの人には届いたようだ」の重みも変わってきますね。

やはり、詩の中の主人公と、周囲の人間たちの距離感が印象的な詩です。「大人のふるまい」にたいする主人公のどこか醒めたまなざし、これはずっと言っていますが「男」のキモさ、そして人々との遠近感ですね。おもしろいです!

これで完成でいいのか、ご自身の中でまだ気になるところがあるのか、なども含め、もし完成だとしてもなにか感想など伺えたらうれしいです!!

前回、一度ゆりさんの方から「完成」と言われたのを棄却しているのですが、今回は終われるような気がします。時間をあけたり、そもそもの方向性を見直したりするとまたわからないのですが、この方向性ではかなり煮詰まってきているように思えました。足しようはあるかもしれませんが、とにかく余分はかなり少なくなりました。そうすると全体に必然性の糸のようなものが張りはじめ、そうすると、あとは酔狂の範疇で、どこで終わってもいい、というふうに思っています。

どこで詩を完成とするかはむずかしい、という話は前回も書いたのですが、単に詩作という面でもそうですし、ワークショップとなるとさらに要素が増えます。(今回は一応、ワークショップでやる推敲の公開版……ということで連載しています)
とくにワークショップの場合、目の前の詩をできるだけいいものにして完成させる、というのはもちろん大事なのですが、その「いいものである」という判断の主体がわたしではなく、書いている方になることがより大切だと思っています。そしてそれ以上に大事なのは、この詩を書き終わった後、つぎの詩を書いてもらうことです。
できるだけいい詩を目指すことには目指すのですが、そのためにはひとつの詩に拘泥していてはどうにもなりません。現状、わたし自身の実作の上では、ひとつの詩を練っていくことが大切なのと同じように、書いては捨て、書いては捨てと数を重ねていくこともまた大切な気がしています。あとから見返すと駄作に思えるものもたくさん生まれるのですが、それはそれでいいと思っています。

このように口を出して推敲してもらっているときは、わたしとしては本当にいくらでもできると思うのですが、それは単に楽しいからというだけではなく、わたしがとても楽な立場にいるからです。手を抜いてはいけないとはいえ、つべこべ言っているだけ。書いている方に比べたら、気楽で、のほほんとしたものです。わたしもどこかで引き際を見つけなければ、相手の方が倍速でしんどくなっていく、くらいに思っています。そうするとお互いに暗路に入ってしまって、結局、どこかでこの詩は完成したとしても、次の詩がもう生まれてこなくなる、ということになりかねません。

といっても、わたしの方でまだまだ言いたいことがあるけれどもぐっとこらえた……というわけではなく、わたしから見てもふつうに完成でいいと思っているのですが、もしかしたらゆりさんにとっては違うかもしれない……ぐらいの余地も感じている、ぐらいの地点でした。

……と、思っていたら感想が届いたので、完成でした。おめでとうございます!
ゆりさんの感想です。

(ゆり)★感想

「あるできごとや気持ちが夢に出てきたとしたら、どんな夢になるでしょうか?」

今になって自分の書いたものを最初から読み返してみると、自分としては、詩を書いたつもりなのに、最初は散文を書いていたように思います。
〈一番最初なんか、完全に工藤直子さんの「哲学するライオン」のオマージュでした。〉

散文と詩の違いは何かと言われると、難しいのですが、くじらちゃんからのやりとりの中で何回か出てきた「説明しすぎている」という言葉が残っています。

「説明しなくてもよい」
このことは頭では分かっていても、実際に書いていると、ついつい説明したくなっていました。
数回のやりとりで、くじらちゃんの言うままに直していたら、あれ、いつのまにか詩というスタイルになっていた!という感じです。

一番興味深かったのは、最後の1っこ手前で私は完全に書き上げたと思いました。
作者がそう思ってるんだから、もう何も言えまい、と思っていたのに、そこからさらに注文が来ました。

特に最後のフレーズ
「声を あげたら 少し 気が澄む」
と書いてなんだかものすごく書けたような気がしたのに、
くじらちゃんから「別の言い方を試してみては?」という指示
えええ?と思いましたが、別の言い方か〜と思ってたらこんなフレーズが浮かびました。
「声を あげたら 空気がふるえた
ふるえたぶんだけ 無色になった」

言われるがままに直してきたのに、この最後が一番自分と近い感じがするのが不思議です。

いわゆる伝わる文章を書く、ということとは違い、
くじらちゃんとわたしにわかるように書いてみる試みが結果として、いつもとは違う角度で表現ができた。
そんな体感です。

ありがとうございました。
この提案をやってみて、すごく楽しかったです!

詩だけではなく、先日は会社のビジョンやミッションに対する校正もしていましたね。
あれも聞き応えがありました!

これからもくじらちゃんの校正力、もっともっといろんな分野に広げましょうね!

>一番興味深かったのは、最後の1っこ手前で私は完全に書き上げたと思いました。
作者がそう思ってるんだから、もう何も言えまい、と思っていたのに、そこからさらに注文が来ました。

はい、まったく恐縮でございます。

ということで、詩が完成しました!!

長きにわたってお付き合いくださったみなさま、そして誰よりもゆりさん!
本当にありがとうございました。

また詩のワークショップも、もしかしたらこういった連載も? していく予定ですので、ご興味のある方はぜひご参加ください! わたしも、詩を書く経験を作ることも、自分自身の実作も、どちらもあれこれ逡巡しつつ深めていこうと思っております。
またお会いしましょう!

(向坂くじら)

★個人的な宣伝★
第一詩集「とても小さな理解のための」予約が開始しました!「こんなえらそうなことをあれこれ言っているけど、実際の自分の作品はどうなのよ?」とお思いの皆さま、ぜひご笑覧くださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?