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こっちの病院にいきたくない

父が認知症かもしれないと疑い、姉や兄にメールを送った。ふたりとも驚きつつも、とうとうきたか、という感じでその事実を受け取ったようだ。

認知症を診てもらうためには、精神科にいかねばならない。そのことを母に伝えたら、案の定の大反対。

お父さんは認知症じゃない。
この辺に精神科なんかあるもんか。
精神科になんて連れて行きたくない。

ある程度の抵抗は受けるだろうと思っていた。母にとっては「精神科」というのは何をしているところかわからず、鉄格子が窓枠に張り巡らされていて、夜な夜な奇声が上がっているというイメージでしかなかった。

さらには、近隣の病院に対する不信感が強かった。父母ともに30年以上東京の都心にある大病院に通っており、「東京の病院に通っていること」自体がアイデンティティになっていたから。

○○の病院にずっとかかっているんだ。
東京大学や、慶応大学の先生たちが見てくれるんだ。
このへんの病院はろくな医者がいない。
わたしたちは、そこの病院で5本の指に入る患者様なんだ。

たしかに、実家がある埼玉県は医師の数が全国最小(https://www.ishikyujin.com/medical_column/column.html)。
都心に向かう縦の交通網は各種あるものの、横の交通が弱く、意外と病院の行ききが難しい。医師へのアクセスの良さという意味では埼玉県は難しい地域ではある。
だが、父や母はアクセス面よりも「東京の」「有名大学の先生」「名医(と思われる)人に見てもらっている自分」というプライドから離れることは難しかった。

ならば、いっそのこと、東京の精神科の病院でもいいのか? と
一瞬考えつつも、いやいや、だめだ。
わたしはそのアイデアを振り払った。

高齢者の病院通いは遠ければ遠いほど大変だ。電車に乗るのもスピーディーにすることはできない。エレベータまで歩くのでさえ、雑踏の中だ。さらには、父は180cm近くの大男に対し母は150cm台という身長差。これで、母が腰の悪い父を支えて、東京に通わせるのは無理がある。

なんどもなんども「近くの病院にいくのは大変だから、近所にすべき」ということをいっても父も母も拒否。東京の病院の受診日となると、「助けてくれ」「一人じゃ大変だ」「通院手伝えよ」の電話。仮に二人だけで病院にいくことができても、母から「わたしが支えて病院にいったんだ」の自慢電話。

病院に通う頻度が増えても、わたしも、そして姉や兄でさえこれ以上通院を助けることはできない。

絶対に近所、もしくはタクシーで通える範囲の病院を探さなければならないと
探し回ったところ、ひとつだけ大きい病院系列の精神科の病院があった。

母に「この病院は東京の○○病院の系列だよ。普通の町医者と違うよ」と伝えた。母にはその○○病院という言葉が響いたのだろうか。最終的にはその病院にかかることに了承した。

「父が認知症かもしれない」と疑ってから、約1ヶ月が経とうとしていた。

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