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ぶきっちょ

とある医師に『僕が考えていること、分かりますか?』と言われる。他所から往診に来て下さった先生だった。

お付きのナースさんが、車へ忘れ物を取りに行って居なくなるなり、そう仰った。

私は、『分かりません。』と即答。

本当は少しだけ分かるような気がした。何故そう問いかけるのか?という理由を。でも、やはり、他人の心なので『分かりません。』というのが一番正解に近い。そう思って、そう答えた。

そこで会話は終了。多分、これで終わりだろうと思った。と言うのも、この先生には何度かお会いしたことがあって、過去、お付きのナースさんや後輩ドクターとやり取りしている様子を見たことがあったから。

会話は、いつもぶつ切りだった。

ある時は、『〇〇病院に電話して。』と指示を出し、ナースさんが「どうしてですか?○○病院のどの先生にかければ良いんですか?」と訊き返すなり、凄い剣幕で「もういい!」と怒鳴っていた。

別の機会には、採血の指示を出したものの、『あ、すみません。その検査項目のスピッツを持って来ていません。』と言われて「もう、いい!」だった。

またある時は、登場するなり不機嫌で、さっさと診察すると廊下の端の壁まで行って腕組みして一言も発しない。その間、他のスタッフが困り果てている。機嫌が直るのを待っているのか。

その時、その後輩ドクターやナースさんたちが「先生は頭が良すぎて、ほとんど喋らないんですよ。いつも『分かれよ!』とイライラするみたいです。」と、何も訊いていないのに、すまなさそうに説明して下さった。

そして、次の瞬間には『聞こえてるぞ!』という怒鳴り声が飛んで来て、首をすくめていらっしゃった。

私は、患者さんの症状を見て『あの専門医に紹介してご依頼してみよう!急がなければ!』と内心焦っている先生の気持ちや、『この症状は前情報で聴いていたんだから、あのスピッツが要るって分かるだろう?』と怒る気持ちも少しだけ分かる気もする。

でも、スタッフさんたちが言うように頭が良いから怒るのか?というと、そうではないと思った。本当に頭が良い人は、どんな人にも分かりやすく、分かりやすい言語で説明する。

どんな難しいことでも、簡単な言葉に訳することが出来るのだ。

例えば100人いたとしたら、例え同じ日本人でも100通りの言語が存在するのだと思う。世界観も、辿って来た道も違うから。

だから、どんな大学を出ていようが、どんな博士号を持っていようが、喋らない、伝えない、書かない人の『頭良い』は信じない。

ほんの数秒の間にそんなことを考えつつも、表向きは「そうですか。そうだったんですね。」とスタッフさんに返事をした。よく怒鳴るその先生の遠くからの視線を感じつつ。

その時のことを先生を覚えていたのだと思う。いつから用意していたか分からない『僕が考えていること、分かりますか?』という質問。

しかし、分かりませんと答えたのにも関わらず『伝わらないんですよね。』と続きがあった。

なので、分かりません。言わないと、誰にも分かりません。伝える努力をしないと、ますます分かりません。と、初めて長めの言葉を話した。

すると、意外なことに『上手に言うには、上手に話すには、練習が必要ですよね?でも、どうしたら良いですか?』と真っすぐ過ぎるほどの質問が返って来たので度肝を抜かれてしまった。

この先生が仰っている上手に喋るとは、決してスピーチが上手だとか、営業が上手だとか、はたまた、話し方教室とやらで習う”上手”ではないということが、よく分かるような気がした。

だから、『大事なことだから悩みますよね。私も上手に伝える方法は、未だに分からないので努力しています。』とだけお伝えした。そして、『練習させていただける周囲に感謝ですね。お互い頑張りましょう。』とも。

その時、初めて、その人の笑顔を観た。医師とか何かではなく”人”だった。

同じくぶつ切りの会話ではあったものの、少しだけ通じ合えたような気がした。

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