大丈夫 正解です
私はなんだかんだで環境に適応してしまうようで、最初はビックリしていたその集団独特の習わしに対しても「へー、ここではそういうふうにするんだね。」で終わらせてしまうところがある。ストレスを無色化していくプロみたいなもんだなと言われたことがある。
ところが、いつもそれが崩れていくのは誰かが痛みを訴え出した時のようだ。
闇雲に感情的になって沢山の仕事を終わらせようとする人が居て、いつも1人で「ああ!!今日も良く頑張った!(自分が)」と喚いてからその人は帰る。実際には頑張ったのはお客様である利用者様なのだが。
1人でやらなければならない仕事など一つも無く、ましてや誰も頼んでいないのだが無理をしてやっつけ仕事になっている。
その方は介護職員なのだが看護師に異常な関心を持っていて、いつもジロジロと医務室の様子を覗いている。そして色んなアピールをしてくる。
例のようにそういう人だで終わらせて落ち着いていたのが私の心だったが、新人ナースさんやkちゃんは訴えて来る話を聞いているうちに謎が解けた。
その人は利用者さんやナース、そして新しく入ったばかりで主任になったkちゃんにいつも怒りをぶつけている。何の怒りなのかさえ分からなくなっている人なのだろう。
普通の会話の中にさえ怒りは篭っている。だから、それをぶつけられる方は気持ちが悪くなるのだ。
その人の異常な関心や嫉妬心のせいで常に怒りに晒されて過ごさなければならないのだから無理もない。
だから、その不快感は正しいよと伝えた。
不快と思って良いんだよと。
それすら分からなくなった時、私たちもあの人のように急に大泣きしたり、常に接する人に怒りをぶつけずにいられなくなり、自分をコントロール出来なくなるのだと。
何が不快か理解し、それを避けるのは悪いことじゃない。それだけは確かと伝えた。
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