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静かな闘いの一日だった

昨日の話の続きになるのだけど、長いこと入院させていたのだけど、退院して帰って来てくれたら入院前より弱っている。
あと細かい話だけど、入院した高齢者はどんなに温厚な人でも、話が通じる人でも、あの拘束ミトンを購入させられている。

自分も病院時代には何の疑問もなく使用していた拘束ミトン。その中には何と指を内側に曲げられない種類のものまである。
点滴やバルーンカテーテルを自己抜去しないためだというのは分かる。でも、不必要に長期間使用している病院は初めてだ。
そう、私はイラっとしている。そのミトンだって5千円くらいするのを自費で買わせているわけだろう。

それで昨日、退院後も衰弱したままの人を外来に連れて行って何とかして欲しい旨を伝えると、私がうるさいせいか、ある程度の処置をしてくれる。
しかし、帰り際の一言にカチンと来た。

「もう、長くないね。」

両手を頭の後ろで組んで医師が言うことか。以前はこの先生の軽いノリや冗談が明るくて良いと思っていたのだけど、はい、終了。全然面白くない。

ボスとご家族に相談した結果、私は違う病院にお連れすることにした。元々「90歳なんだから、そんなに積極的な治療は望まないのよ。」と言っていた娘さんだったが、今回の退院後の親御さんを見て「このままで良いのか?」と思ったそうだ。
良くないのです。
例え亡くなるにしても、これは自然な終焉ではない。

しかし、私が今朝から出張って行った病院は高度医療専門の病院。ちょっとやそっとじゃ入院なんぞさせてくれない。
しかも、先の病院で紹介状すら貰えていないわけだから。

9時半の予約で診ていただけたのが11時。その後、採血、CT、エコー、検尿、心電図。色んな検査をするために広大な病院の敷地内を重たい車椅子を押して行ったり来たり。
この車椅子は酷く旧式のものだけど、衰弱した人をあたかもソファーに寝かせているかのように楽に過ごして貰えるものだ。ええ、重いけど。

あとは、もうひたすら頼み込む。助けて下さい。こんなことがありました。こんなはずではありませんでした。どうか、助けて下さい。
時刻は午後3時を回った。この病院へ来てから約6時間後。彼はめでたく入院することが出来た。

娘さんたちも奥様も喜んで下さった。いや、本当は施設にいて貰って毎日面会で会えたらもっと良かったとは仰っていたが。
もしかしたら、これで生きられるかも知れない、もしダメでも、この病院でダメならまだあきらめがつくと仰っていた。

施設に戻って入院の知らせを届けると皆が喜んでくれた。入院して喜ぶって変な話だけど、一流だけど入院困難なところがあるのだ。
そしてお看取りでも不思議じゃない年齢でも「これはダメだ!この人らしくない!」というケースだってあるのだ。

昨日、娘さんがどうしてもと言うので、好物のクラッカーをお湯で溶いてペースト状にして口に運んだ。およそ40日ぶりに自分で口を開いてくれたことに驚いた。美味しい美味しいと言ってクラッカーを一枚半も食べてくれた。

皆で喜んだ。
出来ることはやった。
でも、、もう一度帰って来て、また皆で囲みたい。大好きなクラッカーやプリンを一緒に食べて笑い合いたい。
でも、今日は良い。
施設全員で祈っている。今日はそれだけ。
辛いのだけど、あの病院の方々にはわかるまい。それがどんなに大事なことかということを。

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