見出し画像

オールドワイズマン ~枯渇している父性~

ふとしたことで、ユングさんが唱えた元型(アーキタイプ)についてのお話を書いて、これまで、母親像、男性像、女性像に触れて来たのだけど、はたと思う。

あら?オールドワイズマン(例えば老賢者)の良い例がないなあ~と。

オールドワイズマンとは父親像の元型のことである。

何せグレートマザーという母親の元型が強烈過ぎるせいか、世の中では目立ちすぎるほどのインパクト。そのせいか、いくらでも例があがる。

グレートマザーはあらゆる物を育てる“偉大な母”のイメージではあるが、同時に「子供を束縛して飲み込んでしまう」という恐ろしいイメージも伴う。

画像1

そのため、母親からの精神的乳離れの象徴として、このグレートマザーとの「対決」がテーマに挙げられることも多い。そして、これがうまく行かなくとも、いちおう、誰でも大人になれる。

が、いかんせん、精神が乳離れしていないので、友人や恋人、時には職場や社会(つまりは見ず知らずの他人にまで)に甘えすぎてしまう。

この場合の甘えというのは、怒りに変わるのでやっかい。その質は、”他の人々ももしかしたら自分と同じように辛いことや悲しいこと、色んな苦労がある中頑張っているかも知れないのだ。”ということを微塵も想像できないということ。

”可哀そうな私”をアイデンティティにしてしまった人は、なかなか被害者の脚本を抜け出せない。これは、たちが悪い。それを保つためには常に誰か悪者が必要になるし、居ないときには、無理やり探したり仕立て上げたりするから。

とは言っても、グレートマザーとの対決は幼いうちにはきつい。故に終わらせられず、被害者の脚本を書き続けて、その通りに生きている人は多い。

そこを抜け出すには、その怒りが単に原始的な甘えであることや、人様に自分の中の母親像という影を投げつけているだけだと気づくプロセスが必要になって来る。

そこで一役かってくれるのがオールドワイズマン。父親像の元型だ。グレートマザーが包み込み一体化させるのに対し、オールドワイズマンは密着する母子を切り離し、子供に自立を促す役割がある。

こういう話をすると、よく言われるのが「私には母親(父親)がいないのでよくわかりません。あてはまりません。」ということなのだが、親は誰にでもいる。

戦場で、生まれてこの方一度も母親に会ったことがなかった兵士がピンチの時「おかーさーん!」と叫んだり、現在は父親が居ない人でも偉大な先輩や先生、指導者に父親像を投影して恐れたり、尊敬したりと様々な感情を抱く。

男女共にアニマとアニムスを心に持っているのと同じように、誰の心の中にもグレートマザーとオールドワイズマンがいる。もっと言えば、人はこの元型が不足しているときに満たされず、怒ったり嘆いたりしているのかも知れない。

不足して満たされていないからこそ、自分がその元型に憑りつかれて成り代わり極端な言動をとってしまうとか。

なので、何かがおかしいなあ、自分をコントロールできていないなあと感じたとき、ネガティブな意味でも、ポジティブな意味でも、自分にとってのグレートマザーって誰が浮かぶかな?オールドワイズマンと言われると、過去に出会った誰を思い出すかな?と問いかけてみるのも面白い。

私はその昔勤めていた病院の院長にオールドワイズマンを投影していた。ダメなことはダメと怒り、社会のルールを重んじる。しかし、迷ったとき導いてくれるとか。

そして最近では、まだ始めたばかりのこのnoteでオールドワイズマンを投影する方に出会った。(もちろん勝手な投影だけど、それも自由。)

その方は、昔出会った院長のように怒鳴ったりはしない。むしろ優しく語り続けていらっしゃる。

昨日、アニマとアニムスが人の心と共に成長すると書いたのだけど、オールドワイズマンという心の中の元型も等しくイメージを変えていくらしい。私の中のオールドワイズマンという元型も変化した。

最初に投影しやすいのは、仙人のようなイメージで、その人本人が年齢を重ねて行くと、子供の姿や動物の姿で夢に表れているとも言われているのも、少し分かる気がする。

動物や子供を接しているときに、ふと何かに気づいたり、心落ち着いて来たりすることがある人も多いだろうなと。

あるいは、過去の職場で出会った、嫌なやつがオールドワイズマンの役割を果たしていたりすることもある。

もしくは、稲妻のように衝撃的な出来事そのものが、オールドワイズマンの役割を果たしていたりとか。

何故なら、あなたは、その人が居てくれなければ、あるいは、その出来事に遭遇しなければ、今でも、古いその場所にいただろうから。

密着ばかりして動けなくなるのではなく、物事からスパッと分離し自立を促してくれる。

そんなオールドワイズマンの役割を思うと、今度はいくらでも思い浮かぶようになって来た。

とは言うものの、最近は、そんなオールドワイズマンを投影できるようなお父さん、確かに少ないよね。

正しいことを言い過ぎるとパワハラ疑惑を寄せられたりするかも知れないし、嫌われるのが何より怖いから、多くの人がソロリソロリと歩き、ボソボソと喋っている。

そりゃ、疲れるんだわ。

そんな時代の中で、オールドワイズマンは、”離れろ。そして、好きにしろ。”と言っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?