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緊張の日々だった

感染部屋の隔離を解除することが出来た。まだ10日経っていなかった。実は今日で9日目だった。

しかし、週末に入ることや、隔離されていた人の認知症が進んでしまうという問題があった。精一杯人の出入りを絶やさないようにしようとしても、フル装備して部屋に入らなければならない。ただそれだけでいつもよりも接触が減る。

つくづく人間とは他者と関わる必要がある生き物なのだなと思い知らされる。なので、ご状態を見て一日早めた。
皆さんの陰性を確認した後、施設に笑い声が戻って来た。

コロナから守れても皮膚炎を起こしていたり、先述したように廃用症候群に傾いてしまうなど、コロナ以外の脅威がある。

でも、今日、皆がテレビの前に集っていたり、お茶をしたりしている。
隔離中に何が何だかわからなくなってベッドに排泄してしまっていた人が、人前でしゃんとして座って談話している。

これで終わるわけがない戦いと分かってはいつつも、内心凄く嬉しかった。ちょっと私自身があしたのジョー状態で燃え尽きて、利用者さんたちの間に紛れて茫然と座っているという状況でもあった。疲れた。嬉しいと声に出せないほどに。

その時、一人の介護士がスキップするように音源のスイッチを入れた。YouTubeとテレビを連動させるスイッチだ。
お婆ちゃんたちが大好きな演歌がかかる。

その女性介護士は、『はいはい!』と合いの手を入れて、くるくる回ったかと思うと、こう叫んだ。

『みんな帰って来た!あああ!メッチャ、太鼓叩きたい!』と言って太鼓を叩く動きをした。足を踏ん張って両手をブンブン。

太鼓習ったことあるの?という灰のように真っ白状態の私。

『ない!でも、叩きたい!嬉しい!でも、Ohzaさんがこのフロアから去ってしまうことは寂しい!明日からまた医務室ですね。』

そうだった。普段は『こ、この野郎!』と思うことが多々あるナース仲間でも、長期に渡って一人仕事をしていると懐かしい。
ちょっと孤独だったのかも知れない。

皆が『初めてのことじゃない』とか『いつか終わる』と言っても、私はちっとも気楽に考えられなかった。いや、多分、気楽に考えてはいけないのだから、それはそれで正しかったと思う。

はたまた孤独だったか?問い直すと、そうでもないと回想する。
皆がいつも頑張ってくれた。

先述したようなコロナ以外の問題も沢山あったが、必ず助けてくれる人がいた。腹を立てる対象も居たがほとんどの人が頑張ってくれて、いつも誰かを助けていた。

振休を取るように命じられ、私は明日から3連休。

そうして帰宅したというのに、まだ息が吐けないでいる私。本当に恐ろしかったのだ。理不尽なことで人が死ぬのではないか?と。その人の大切な時間が理不尽に奪われるのではないか?と。

しかし、蓋を開けてみれば人間は強かった。人生の大先輩たちともなれば、さらに強かった。

その強さに感謝をしつつ、とりあえず息の吐き方を思い出そうか。

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