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天秤の真ん中は分からないけど(無頼)

【無頼】2020年 日本 井筒和幸監督

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敗戦後から高度経済成長期を経て、バブル崩壊までの時代を舞台に、命懸けで裏社会を生き抜いていく無頼の徒たちの姿を描く。井筒和幸の8年ぶりの監督映画で、オーディションで選ばれた総勢300人の俳優陣が出演している

と言う本編とは全然関係無い感想だけど、懐かしい景色だな~と思いつつ映像を観ていた。ところが、実際にはまだ自分が生まれていない時代設定から始まっていると気づく。懐かしいはずないじゃん。しかし、その後、映像の中で時代が移り変わるにつれ、今度は実感として懐かしさを感じた。

人々のファッションとか、家屋とか。

でも、それだけじゃない。母の恋人たちによく似た方々が沢山出て来た。きっと怒ると怖いのだろうけど、子供の私には優しかった。不器用でシャイで、いつも悩んでばかりで。嫌だっつうのに高い高いをしたがる。女子供は縫いぐるみをあげれば喜ぶと思い込んでいる。

子供の時分には、その理由がよく分からなかったけれど、悲しくなるほど優しくて不器用だった。怒っていても笑っていても、泣き顔に見えていた。

無頼(ブライ)というタイトルを目にした時、てっきり誰にも頼らず生きている様を描いたものなのか?と思った。いや、それとも、誰にも頼れない状況を生き抜いて来たという意味なのか。

実際には、頼る者や支えがあり、また自分も頼りにされ、言うなれば普通の人々と変わりなかった。

その孤独さも、華やかさも、集ったり肩寄せあったり、疑ったり、信じたり。誰かのために花火をあげる行為も、大切なものを失う時に流す涙も。

無頼とは正義の対義語だと解説される節もある。

けれども、ジャンクなほどに色々ななドラマや物語に触れていると、正義の位置など分からなくなる。幕末の物語も漫画もアニメも小説も。(もちろん現実の日々でも)

正義は分からないものの、そこに共感はある。病気の”あんちゃん”が最後に願った言葉を叶えたシーンと、その遺体を決して解剖させなかった1シーン。

もしも人の生まれに”星”というものがあるのだとしたら、星はさほど重要じゃないのかも知れない。いや、むしろ、その星を選んで生まれて来たのかも知れない。

問題は、どう生きるか?誰と生きるか?何をするか?そのあたりが本題なのかも知れない。

ところで、お馬鹿な私は物語を信じない節がある。どの辺りがお馬鹿なのか?と言うと、例えば、坂本龍馬を扱ったドラマや小説のラストでは、毎回『今度こそ、逃げて!』と本気で願う。ジャンヌダルクが火刑になる寸前では『今度こそ、助けてな、神様?』と思う。

そんな単純な私が無頼を観て気に入ったところの一つは、主人公が最後まで生き抜いたというところだ。星とか運命とか、境遇とか、時代に関係なく、最後まで大切にして来たことを握りしめたまま、生き残ったというところだった。

多くを愛し、多くを拒み、でも、多くに愛された。

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