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打倒ネガティブキャンペーン

想像を絶する日だった。

よく話題にするのだけど、その人が関わる人、関わる人が具合が悪くなるという現象にさいなまされる。

その人が通り過ぎた後に、次々と調子が悪くなっていくという現象が真実味を増して来た。

無意識で悪気がないあたりが、やっかい。おまけに大変なことが起こると嬉々としているのだ。

もちろん無意識だから、表面的には『もう、やだー。もうー。』などと言っている。

その現象が顕著に出ると、激しく動揺してしまう。

別に魔法を使っていらっしゃるわけではない。論理的に観れば、原因があきらかだったりする。例えば吸引し過ぎて、痰は取れたものの、苦しくてそりゃ心臓バクバクするだろうよ!とか。何十回も『大丈夫?ねえ?大丈夫?具合が悪いんじゃないの?』と言い続けるんじゃない!いったい何の催眠だよ、それ!というふうに、一つ一つ理由がある。

想像を絶する一日だった。

でも、気が付いたことがある。ワーワー騒いでいるときに、一緒に見に行くと、大惨事が止められる。決して変なことをしなくなる。無意識だけど、ばれてるぞと心の中のご自身がストップをかけるようだ。じゃあ、ずっと見てればいいのか?

けれども、どうなのだろうか。それで人員+1と数えられるのだろうか。

それに気が付いた人が私の他にもう一名いた。

これ、エネルギー的な問題なのよ、最初のうちは。でも、実際の出来事を作り出してしまう。でも、微妙なことだから、どう口にして良いのか分からない。そういう人に限って指摘すると人の何十倍も騒ぐので躊躇されるというのもある。

でも、第三者に、ハッキリと自分が危惧していることを言われると、やっぱりそうなのか?と思ってしまう。ということは、それまで自分を疑っていたんだろうなあ。

そして、一日の終わりに、さりげなく言われた一言が『一緒に苦難を乗り越えると、人って親しくなりますよね。』。

戦慄の瞬間だった。

私はそういうことで親しくならない。悲劇は一切いらない。わざわざ作り上げられた助け合いはノーサンキュー。

いったい何故、普通の日常の中に溢れている愛や思いやりを普通に感じられないのか。何故、事件を起こそうとするのか。その辺が鈍磨していたり、何かから目を背けたがる人ほど、そういう変な行動をとる。もっと言えば、戦争はそうして始まる。

これ、医療とか介護の現場だから顕著に出ているけれど、日常、普通の生活をしていても容易に起こりえること。問題をせっせと作り出す作業をしている人って、そこかしこに存在する。

ガッツリどっしり平和に持って行くエネルギーを出しまくって行こう。(変な戦いだなあ。)

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