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動画クリエイター ミナミシゲユキさん - インタビュー #06|turning point

今回お話を伺った方
ミナミシゲユキさん:動画クリエイター

<ミナミさんのターニングポイント>
30歳 映像制作会社に入る
42歳 クリエイターギルドに入って独立に向けて行動を起こし始める
43歳 会社を辞め、フリーランスになる

ニシグチ:今日初めて降りました、岸和田。
住んでいるのはずっとこの辺ですか?

ミナミさん:そうですね。大学生時代は京都だったんですけど、それまではずっとこの辺です。子供の頃からだんじりも参加してますし、生粋の岸和田人ですね(笑)

ニシグチ:やっぱりだんじり文化なんですね。
なんで京都の大学に行ったんですか?

ミナミさん:滑り止めで受けた大学に入ることになったんです。大学は経済学部でした。これといった目標もなく、大学に行ったら何か見つかるかなぁという感じで。見つからなかったんですけど(笑)。

ニシグチ:あ、そうなんですね(笑)
でも、映像にはその頃から興味あったんですか?

ミナミさん:テレビ、映画、アニメ、ミュージックビデオ(MV)などは子供の頃から好きでした。10歳上の姉がいるので、その影響もあって洋楽のMVなどをよく見てはいて。今思うとその頃から多少の興味はあったのかもしれません。

ニシグチ:へぇ~。じゃあ就職する時に映像関係に行こう!とは・・?

ミナミさん:ならなかったですね。ネットもない時代だったし、映像を作る仕事なんて想像もしなかったんで。東京のテレビ局とかに勤めないとそういう仕事はできないと思ってました。

ニシグチ:そっか、その時代は映像=テレビになるのか。

ミナミさん:そうです。で「とりあえず働かな」という感じで、何社か説明会とかに行ってアパレルメーカーに入りました。でも色々と理不尽なことがあったり先輩も2、3年で辞めていくので、先が見えないと思って3年で辞めたんです。
で、当時姉がオーストラリアにいたので、そこへ1ヶ月遊びに行き、帰ってきたのは当時パソコンが普及し始めた頃で。知り合いにパソコンで書いた絵などを見せられて「あ、こんなことができるんだ。覚えたい」と思って、デジタルハリウッド大阪校に通い出しました。25歳から1年間。

ニシグチ:それ初めて聞きました!どんなことを学んだんですか?

ミナミさん:イラストレーター、フォトショップ、3Dのソフト、HTMLなど・・幅広く勉強しましたね。ただ、その時も明確な目標がなく「使い方を覚えよう」くらいの気持ちで行っていたのが良くなかったんですよ。卒業制作で周りの人はポスターやHPを作るのに、自分は教えられてもいないアフターエフェクトで簡単なMVを作ったりして。好きなことをやってしまったんですよね。そんな感じなので、制作系の就職も見つからず・・。

ニシグチ:映像好きが出てしまったんですね。で、どこかに就職したんですか?

ミナミさん:就職というか、花屋でバイトを始めました。

ニシグチ:・・えっ?

ミナミさん:デジハリの友人たちと卒業旅行に行くことになって、手っ取り早く10万円を作りたかったので。人間関係が良くて特別な不満もなく、バイトで働き続けました。2年くらい。でも経営状態が悪くなって辞めざるを得なくなりました。それが28歳の時です。

ニシグチ:だんだん年取ってきてますやん!

ミナミさん:そうなんですよ。しかもそのタイミングで母親が亡くなって。
父親は小学生の時に亡くなっていましたし「この先どうしよう、ヤバイぞコリャ」って感じでした。

ニシグチ:大変じゃないですか・・。

ミナミさん:はい。で、ここから暗黒時代に入っていくわけなんですが・・
30歳の時にやっと、たまたま求人していた映像制作会社に入れたんです。これが1つ目のターニングポイントですね。映像の仕事を始めたという。

ニシグチ:きました、ターニングポイント!ここから映像の世界に入っていったんですね。

ミナミ:そうなんです。未経験で入って、大変だったけど制作の面白さを感じたり、新しいことを覚えられたのが嬉しくて。師匠もカメラマンとして尊敬していたし、学ぶことも多かったんです。

ニシグチ:なんか良さそうな流れじゃないですか。

ミナミさん:それが・・会社が経営難になって、またしても辞めざるを得なくなりまして。3年勤めたんですけど。

ニシグチ:また!?

ミナミ:はい。それで、次も同じような映像制作会社に入社しました。
ところが月給・時給もなく完全歩合制の会社だったので、給料は最高でも15万、最低で8万くらいでした。「頑張っていたら上げる」と言われていたけど上がらず、2年勤めて辞めました。

ニシグチ:それはきついですね・・。

ミナミ:金銭面以外の職場環境もひどくて、辞めたいと思っている時に前の職場で一緒だった人に「新規事業の立ち上げを手伝ってほしい」と誘われたんです。
それが3社目になります。でも、だんだん雲行きが怪しくなっていって・・。

就業時間や定休日などあってないようなもので、毎日4〜5時間だけ寝に帰るだけで、5ヶ月間休み無しなども普通にありました。でも頑張っていたらどうにかなると思ってたんですよ。

ニシグチ:どうにか・・なったんですか?

ミナミ:いや、どれだけやっても無茶苦茶具合が変わらなかったです。
医者に注意されるくらい健康を害していましたし、精神的にも限界ギリギリでした。今の奥さんとはすでに一緒に住んでいたんですけど、起きている時間に帰れないからすれ違って、だんだんギクシャクしていって。

さらに専門外の「HP 制作やサーバー管理の仕事も受けたいから」と担当者にされ、プログラミングの学校やWEBサイトの勉強会なんかにも参加するようになって。初めて外部の人と接触して、やっと自分の労働環境がやばいと気づきました。

ニシグチ:それまでは疑問に思わなかったんですね。

ミナミ:仕方がないと思い込んでいたんで。
そして営業を命ぜられて参加したイベントで、クリエイターのギルドを主宰している方と出会ったんです。その方に色々な相談を聞いてもらって、労働条件が変わることはなさそうだし、転職しても同じような業界にしか行けないだろうし・・ということでフリーランスという道も考えるようになったんです。

ニシグチ:おぉー、これはターニングポイントなんじゃないですか?

ミナミ:そうですね。で、そのクリエイターのギルドに会社には内緒で入りました。あと、会社には頭を下げてお願いして、週に1回だけ18時に上がらせてもらい、夜間にECサイトを作るバイトもしていたんです。その分給料は減らされたんですけど、そうやって時間を作ってコミュニティなどに顔を出すようになりました。

ニシグチ:やりますね〜

ミナミ:いや〜、でもね。とにかく自信がないわけですよ。
職場では「お前みたいなスキルと年齢ではどこ行っても通用しないぞ」と言われていて、自分でもそう思っていたんで。
で、自分に足りないもの(経営、マーケティング思考)や、フリーランスに必要な知識を集めていきました。そうしているうちに「自分ってそこまで卑下する存在じゃないのでは?」と思うようになっていったんです。

ニシグチ:ということは、いよいよ・・?

ミナミさん:会社を辞めて43歳の4月からフリーランスになりました。2年前です。これが3つ目のターニングポイントですね。

ニシグチ:えっ!まだ2年しか経ってないんですか?もっと前からやってるのかと。

ミナミさん:いやいや、最近なんです(笑)
高いスキルや自信、目標があってなったわけではなくて。現状維持の方が将来的にリスクが高いと思ったので、フリーランスを選びました。

ニシグチ:でも、その年齢で家族もいたら不安じゃなかったですか?

ミナミさん:めちゃめちゃ不安でした。でも会社に人生を支配されていると、俯瞰で見て気づいたんですよね。転職をしてもまた同じことのような気がして。

会社や組織に属すメリットって安定した給料がある、尊敬できる人や仲間と働ける、スキルが上がる、社会的信用がある、何かあったら守ってもらえるとかだと思うんですけど。冷静に振り返ると「全部ないやん!」って気づいたんです。それで踏ん切りがつきました。

ニシグチ:その環境だと・・そうですよね。
フリーランスになってからはどんな活動を始めたんですか?

ミナミさん:コワーキングスペースのスタッフをしながら動画制作をし始めました。今は動画制作の他にセミナーを開催したり、動画の活用方法・web サービスやITの使い方を地域団体やNPO法人に教えに行ったりもしています。
最初は収入面もきつかったですが、10ヶ月くらい経った頃から口コミや紹介、SNSなどで仕事が入って来るようになりました。

ニシグチ:フリーランスになってみてどうですか?良かったです?

ミナミさん:もうとにかくスッキリ!ですよー!!(笑)
不安より開放感の方が大きかったですね。ストレスも激減したし、何より家族と過ごす時間が持てるようになって、子供の行事に行けるようになったのは大きいです。本当に奥さんや子供に迷惑をかけてきたんで・・。そもそも結婚も大幅に遅れましたし、フリーになるまで、家族が病気やケガした時もサポートできなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだったんです。今後の人生で挽回したいと思っています。

ニシグチ:そうだったんですね・・。奥さん、すごいなぁ。
他に今後こうなりたいというのはありますか?

ミナミさん:『時間と場所に縛られないワークスタイル』を目指して実践しています。 いつ、どこで、誰と何をするかを自分で決めたい。まぁ要するに純粋に楽しくハッピーな状態でいたい、好きな人と面白いこと、楽しいことをやりたいだけと言いますか(笑)

あとは、都心と地方との環境の格差を埋めるような活動がしたいです。
大阪の中でも南大阪は平均の年間所得が少ないんです。世間では働き方改革とか、IT活用とか色々言われてるけど一歩郊外や地方に出たらそんなの全然で。その部分をどうにかしたいなと思っています。

ニシグチ:なかなか大きな問題ですよね。そのためには具体的にどうしていこうって感じですか?

ミナミさん:コツコツ動いてはいるんですが、やっぱりいちフリーランスではなかなか聞く耳を持ってもらえなかったりもするので、もっと自分が影響力のある人間にならないと、と思っています。

ニシグチ:確かに・・。法人じゃないと相手にしてもらえない、とかもありますよね。最後に、いろいろ経験してきたミナミ兄さんから読者の方へメッセージをお願いします!

ミナミさん:まず、僕がSNSを始めたりイベントに行きだしたのって40歳を過ぎてからなので、年齢で諦めずにチャレンジして欲しいですね。

あと、人として成長するには周りの環境がとても大事です。環境が変われば評価も変わるので。会社なら企業側は従業員を人として大切に扱い、入る側は条件面だけで判断せずしっかり会社のことを調べる。目的を持って入るのが大事かなと。

そして今の時代、1つの会社、1つの職業で一生いくというのは現実的じゃないですよね。会社や行政に頼るのではなく主体性を持って人生設計していってほしいです。僕もこの先動画制作をずっと続けていくのは難しいので、動画はツールとして活用していくつもりです。平均寿命が伸びて40歳でもまだ折り返し地点なので、これからの人生を大いに楽しんでいきたいですね!

ニシグチ:熱いメッセージ!!刺さります・・。
今日は濃いお話、そして岸和田も案内していただいてありがとうございました!

ミナミさんは来月、この記事を書いているUNOと一緒に「後悔しないカメラ選び」というトークイベントを開催予定です。
カメラの購入や2本目のレンズ購入をお考えの方向けに、写真と動画両面からカメラの選び方をご案内!初心者の方向けにわかりやすく説明してくれるそうですので、興味のある方はぜひSHINCRUさんのHPからお申込みください。

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話を聞いた人:上司ニシグチ
撮影&ライティング:UNO
バナーデザイン&記事編集:秋山楓
撮影場所:大阪府岸和田市内

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<取材を終えて>
昨年に大阪で開催された「クリエイター200人祭り」。そこに登壇されていたミナミ兄さんのお話がとても印象的で、もっと掘り下げたお話をお伺いしたいと思い、今回声をかけさせていただきました。話が進むにつれて、ミナミ兄さんの岸和田魂がメラメラと燃え上がっていくのを肌で感じることができました。40歳を超えても新しいことにチェレンジしていくその姿勢は、同年代の私としてもとても励みになりました。ミナミ兄さん、今回は本当にありがとうございました!

ミナミさんの活動はこちらからご覧いただけます!

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