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交通・都市の変革における世界的権威ジャネット・サディク=カーン氏が5年ぶりの来日で語ったこと@マチミチ会議2024特別編(大阪)レポート

 ニューヨーク市の元交通局長で、現在は全米都市交通担当官協会(NACTO)の理事長であり、交通・都市の変革における世界的権威であるジャネット・サディク=カーン氏が2019年の来日から5年を経た来日講演会が開催。今回は東京と大阪の2か所での開催で、Plat Fukuoka cyclingの安樂は大阪での会を現地で聴講してまいりました。
 大阪市のプレスリリースは下記のとおりです。(5年後に再来日される時は福岡市からこのリリースを出したい)

 氏の著書『ストリートファイトー人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い』についての書いた記事は下記よりどうぞ。

では、当日の様子とPlat Fukuoka cyclingの安樂の所感と合わせてレポートいたします。

サディク=カーン氏が語る街路・交通の変革における自転車の可能性と重要性

 サディック=カーン氏の記念講演は「街路を変え、世界を変えるための奉仕活動について」というタイトルで、スライドは『街路の書』と題して、5つの章にわかれて行われました。

 カーン氏は聴講者全体にむけて目を閉じて未来の交通の姿を想像するように促します。そして、近未来のモビリティとしてイメージされるものはいますでに使われているものを多少ファンシーにしたものにすぎずないこと(氏曰く空飛ぶクルマは単に空を飛ぶクルマ、ドローンはヘリコプターである)。そして過去の多くの未来都市のイメージで共通のこととして、歩行者が描かれていないことを指摘します。
 一方で、世界には人口が15万人以上の都市は4000以上もある中で、すぐれた都市として誰もがあげる都市の共通点は、すばらうしい都市空間があり、そこで人びとがつながっていられると感じられることであること。
 ただ、これらは感覚はわかっているが、この理想を実現するためのストーリライン(筆者注:氏がのちに述べるビジョン)が必要であることを最初に示しました。

街路そのものが「まち」であり、街路か変わると人びとのまちへの期待も変えることができるーそこで示された自転車の重要な役割(「街路の書:序章」)

 氏は著書及び今回の講演の中でも自転車の重要性を強調していました。そのことを前回来日時の際にも関係者と自転車に乗って街を回る写真とともに「街路の健康度を計るためには自転車に乗ることである。自転車に乗ることはそのまちを知ることそのもの」と述べています。

筆者も講演会直前に日本でトップレベルの自転車分担率を誇る尼崎市内をシェアサイクルを利用してまわることでその理由をさぐっていました

 氏は現在の街路がクルマが川のように流れ、目的地にいくためにクルマを止める場所(注:欧米だと路上駐車は主流のため)となっており、街路から人びとがいなくなってしまったこと。それを過去のニューヨーク、そして開催地大阪梅田の風景から伝えるとともに、タイムズスクエアがいまようやく人びとが街路を取り戻したことを氏の実績ととも伝えました。
 この一連の歴史は、これはあまりにクルマのためのインフラをつくりすぎたことが原因であり、ルイス・マンフォードの言葉「いまだにたくさんの道路をつくれば渋滞を防げる」この70年前の言葉は氏がニューヨークの交通局長になった時にも根強く残っていたそうです。

熊本市で交通戦略に取り組むトラフィックブレインの太田恒平さんもこのシーンを引用しつつ渋滞対策が都市課題となっている熊本市の現状に対してツイートされています。

 氏はこれらの結果が最終的には道路空間の配分に現れていることを、大阪でも約9割の人びとが公共交通や自転車、徒歩で移動し、クルマは残り1割であるにも関わらず、都市空間はクルマのための空間で占められていることを示し、「私たちはものの見方を変えなければならない、私たちは街路に手をつければその街をかえていくことができるのだから」と述べています。

サディク=カーン氏がスクリーンに迫り聴衆に語りかけたのは道路空間の現状の時でした(スライドの英語はOsaka、日本語は東京ですが、両都市の分担率はほぼ同じです)

 そして、街の変え方は縁石を置く、路面に塗装をするようなところからスタートすることが重要であること。そのように何か変化を街路に起こすことで、人びとの街への期待も変えることができると力強く語りかけました。

よりよい都市への道・自転車道からはじめるということ(「街路の書:第2章~第3章」)

 氏がニューヨークで取り組んだのはタイムズスクエアの広場化と公共交通の強化、そして自転車通行空間の整備でした。そして氏が本講演でも日本の自転車の利用の高さとそれに対する投資の重要性の強調していました。
 氏は自転車の利用の障壁については、夏の暑さや冬の寒さといった気候条件ではなく、安全な自転車インフラがないことだけであると述べ、ニューヨークはすでに自転車通行空間は2400キロも整備してきたこと提示しています。ここでは語らずとも著書の中にはその壮絶な闘いが書かれています。
 なぜそこまで自転車に取り組んだのか。それはブルームバーグ市長が都市をグリーンにするための長期的な戦略である「PlanNY」(ニューヨーク市の長期計画、日本でいう自治体が策定する基本計画にあたるもの)において、自転車をやらなければならないことが示されていたこと。そしてその実現のために、サディック=カーン氏はニューヨークの交通局長に任命され結果、ニューヨークは誰も自転車に乗っていなかった都市から、別のまちに変わったことを述べています。
 そして、大阪については多くの女性や子ども連れが自転車を利用しているが、これらさらに増やしていく取り組みが必要だと述べました。

福岡市内の朝の風景 多くの自転車利用者とバス専用レーンによる充実した公共交通と緑豊かな街路。ただ、まだ課題も多い

 氏は自転車のプロジェクトは単に自転車のプロジェクトではなく、街路を変えることができるものであること。街路が変わることで、沿道や周辺の商業やビジネスが活発になり経済開発を生み、これまでの車道空間に公共空間を創出することができると述べました。
 ここは日本での各地での取り組みにおいて、都市まちづくり部署と交通部署が連携する上でも自転車が非常に重要な役目を持っていることを聴衆に提示しています。

交通変革の目標は論争を避けることではない(「街路の書:第4章」)

 そして、交通を変革することは論争(ファイト)なしにはなしえないことを氏は述べています。その理由として、私たちの街路そのものが何十年として変わってこなかったことから、変わるということだけで脅威と感じるためであること。
 しかし、タイムズスクエアが変わった時のように、もう誰もタイムズスクエアの両側が車道でクルマが行きかっていたことを覚えていないように、変わってしまい人びとがその空間をたのしんでいるように、いまやっと人びとが都市における街路という空間を得ることができていると述べていています。

尼崎市近松線の街路。既存の歩道から車道を削減自転車通行空間が整備されている。サディック=カーン氏のいう安価な材料である縁石(と柵)、路面の舗装で実現した国際レベルに近い街路空間

 大阪市の隣、尼崎市には上の写真のようなすばらしい自転車通行空間をもつ街路が存在します。この道路空間整備では渋滞に対する懸念に対して、行政は真摯に市として目指すことを答弁しています。先日のソトノバtableを経た記事でも紹介しています。

街路があるところーそこに可能性があるということ(街路の書:第5章)

 最後に氏は5年前に当時のタクシープールとクルマの空間となっていた、現在のなんば広場や側道(緩速道)の歩行と自転車空間化を実現を評価し、この変化の担い手はもちろんエンジニアの力もあるけれど、最大の原動力となったのは、想像力の問題であるということだと述べています。
 そしてサディック=カーン氏は結びにこう述べています。

街路を変えるということは闘い、ファイトである。
私たちはこの闘いに勝つことができるし、勝たなければならない。
街路を変えると、世界は変わる。

サディク=カーン氏の再来日と5年間の日本の動き

 日本のウォーカブル政策の推進は2019年にスタートし、翌年の2020年から街路整備・都市整備等に関わる担当者が一堂に会する今回のプログラムである「マチミチ会議」がスタート。同年の特別編としてサディク=カーン氏の最初の講演会が開催されました。
 前回の講演については『世界に学ぶ自転車都市のつくりかた』の編著者である宮田浩介さんのnote記事をぜひご一読ください。

 サディク=カーン氏の来日の際、NACTO発行する『グローバル・ストリート・デザイン・ガイド』の推奨都市として東京都、東京都渋谷区、大阪市、神戸市、大津市の5都市と推奨書へのサインし、交流が始まるとともに、以降のウォーカブル政策は推進都市の全国的展開と各地での政策展開がなされ今回の開催地である大阪なんば広場のような都市空間も生まれています。

なんば広場とかつて通じていた車道の接続部分。これだけの道路行き止まりとし、駅前広場を廃止した大阪市と関係者の努力は大変なご苦労があったと想像します

 ただ、ニューヨークでのサディク=カーン氏が取り組んだ施策は、これまでの個々に取り組まれていたものをPlanNYという行政計画とブルームバーグという政治的リーダー、そしてサディク=カーン氏と著書の共著者であるセス・ソロモウ氏(氏はジャーナリストであり、ニューヨーク交通局のメディア戦略のトップとして政策を支え、現在はカーン氏と同じブルームバーグアソシエイツのメンバー)を含むニューヨーク市全体のチーム力で成し遂げられたものと思います。

ニューヨークの取り組みと日本の取り組みでの違いについてー街路整備をリードするのは官(パブリック)かそれとも民か

 ニューヨークでのサディク=カーン氏の取り組みと日本の取り組みで大きく違うと感じたのは街路整備や広場整備において官民のどちらが政策をリードするかという質疑などから浮き彫りになってきたと感じました。

 特になんば広場は周辺の自動車交通量がピークから半減している背景から、地域の協議会から要望が大阪市にあがることで動き出した事例です。
 一方でタイムズスクエアの歩行者広場化や自転車走行空間の整備などはサディク=カーン氏率いるニューヨーク市が全体構想を描き、当然地域や沿道店舗、メディア、議会などからの反発を乗り越えながら(ここがストリートファイト)実現してきました。

 当然、地域の意見を無視するような政策は行われてはいけないのですが、長期的な視点で都市を考える時、官(パブリック)として何が正しいかを示す政策方針を前面に出していくことは今の日本には足りていないのかもしれません。ニューヨークのブルーム・バーグ市長のこの言葉を紹介します。

「私は、行政局長たちに、政治カレンダーに従ってやるべきことをするように頼んではいない。正しいことをする、その一点のみ託している」

ジャネット・サディク=カーン氏、セス・ソロモノウ氏共著:ストリートファイトー人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い:学芸出版社、2020.9:P117
パネルディスカッションの様子。左からジャネット・サディク=カーン氏、寺川 孝大阪市建設局長、嘉名 光市大阪公立大学教授

ウォーカブルを考える上で必要な都市の場所(Place)と交通(Mobility)の双方の議論必要性ーウォーカブルを進めるためにも、今以上に交通の話をしよう

 今回のサディク=カーン氏の講演内容では「街路そのものが「まち」であり、街路か変わると人びとのまちへの期待も変えることができる」として、交通(Mobility)の話が中心でした。一方で、日本は交通の話よりはその結果として創出された空間・場所である(Place)の話が多かったと感じました。
 先日ソトノバTABLE♯46「ウォーカブルを支える公共交通と日本の現状」でも中野竜さんから最初に提示されたのは以下のことばでした。

「クルマ中心の街路空間をひと中心にすることがウォーカブルシティの基本的な概念なのですが、単にクルマを排除する、あるいは、脱クルマ社会を叫ぶだけでは、歩きやすいまちにはならないのではないか。歩きやすいまちには自家用車ではない代替交通手段が必要なのではないか」

ソトノバTABLE♯46「ウォーカブルを支える公共交通と日本の現状」中野竜氏コメント

そして、現状のウォーカブルの議論の中に交通政策視点がないことを「わかりにくいから」と断言し、その理由を下記のとおりあげています。

・「歩きやすく、居心地のよいのまち」=「通行車両の制限」と捉えられがち
・全国一律で語られがち
・話題によってスケール感が混在する
・新たな交通手段が増えてきた

ソトノバTABLE♯46「ウォーカブルを支える公共交通と日本の現状」中野竜氏コメント

 今後の日本でウォーカブルの議論をしていく上で、サディク=カーン氏が何度も強調した交通(Mobility)の話をしなければならないフェーズに入ったことを改めて感じる来日講演でした。

紹介したソトノバtableに登壇した際の記事は下記のリンクよりぜひ、ご覧ください。

また近くソトノバtableのレポート記事はアップされる予定です。アップされ次第こちらにもリンクを掲載いたします。

Plat Fukuoka cyclingもスタートとしてから、4年目を迎えました。サディク=カーン氏の次の来日が5年後の2029年と仮定した時、どんな日本の街路を見せられるのか。その時のために、今後も活動していきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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