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#17Plat Fukuoka books&cycling guideオランダ鉄道跡とニューヨーク・ハイラインの事例にみる鉄道跡地というインフラの活用方法@喫茶 千歳

 Plat Fukuoka cyclingは福岡がbicycle friendlyな都市(まち)となるための様々な提案を行うべく、スタートしました。

 bicycle friendlyというと「自転車にやさしい都市」となると思いますが、私は「自転車がやさしい都市」になってほしいと考えています。それは歩行者に対しても、バイクやバス、自家用車…つまりは都市に対して、自転車がやさしくできる都市でありたいと思うのです。

 これまでのPlat Fukuoka cyclingは下記の目次よりリンクしていますので、ご覧ください。

0.Plat Fukuoka cycling vision
1.Copenhagenize Index2019を読む
2.Plat Fukuoka books&cycling guide
3.Plat Fukuoka cargobike style
4.Fecebook ページ
5.Instagramページ
6.twitterページ
7.Plat Fukuoka cyclingの本棚(リブライズ)
---------------------------------------------------------------------------------   「Plat fukuoka cycling books&guide」では本とサイクリングで寄りたいスポットをご紹介する連載です。
第7回は廃線前回のコペンハーゲナイズインデックスで紹介したオランダ・ユトレヒトに完成した鉄道跡地の活用の記事と,
かつて福岡市の東西を走り,いまは地下鉄空港線に置き換わったJR筑肥線跡の近くにできた喫茶店の紹介です。

〇廃線跡という都市インフラ
都市部を走る鉄道は,近年でも東急東横線での渋谷駅地下化に伴い廃線となった跡を再開発の遊歩道としたりと,都市を連続的に細長く続く敷地は都市の回遊性を高める上で,大変貴重な土地です。
今回紹介するオランダの事例は,ユトレヒト市街地の南側を走る鉄道跡が紆余曲折の期間を経て自転車道と公園となったことを伝えるブログ記事になります。
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(以下はリンクサイト:https://bicycledutch.wordpress.com/2020/10/21/how-to-convert-a-railway-into-a-cycleway/の内容を知人で国際経験豊富な横田美香さんの協力の上で意訳しております。転載等する場合は本サイトのプライポリシーを参照ください)

〇どのようにしたら、鉄道敷地を自転車道へ転換できるのか?
 2020年夏,ユトレヒトの鉄道跡上の自転車道の最後の部分の開通式が市長によって行われました。はじめに30人の地域住民とともに、市議会議員代表は、公園の端から端まで(全長)を、サイクリングしました。
 今回、彼女がリボンをカットしたことで,今まで自転車道がなかった部分にできた新しい自転車道と都心部の既存の自転車道が繋がりました。
鉄道敷地を自転車道に改造する計画の提案は住民によるものでしたが、鉄道敷地の取得から、完成まで5年の歳月を要していました。

 市長は、かつて2017年1月にもオーステルスポールバーン公園(パークイースタン鉄道)で盛大な開通式をしました。ではなぜ,再び2020年7月15日に開通式をする必要があったのでしょうか?それは,その公園が段階的に整備されたことに関係しています。

 2017年1月の段階で自転車道の大部分については完成していました。当初は緑もなく殺風景だったがそれもすぐに緑に覆われていった。そしてすぐに,いくつかの外国の団体が使われなくなった鉄道跡地を転用した魅力的な鉄道敷き空間の提案をしました。
 2018年に植栽が完了し,木々も育っていきました。
 2019年に公園のその他の部分は案内板や遊び場の工事が完了しましたが,この時,自転車道については,いくつかの理由で完成していませんでした。

 主たる原因として,2012年時点で鉄道が完全に廃止になっていなかったことです。この鉄道は1874年に開業したもので,ユトレヒトの東から,北はHilversumまで乗客を運んでいました。この鉄道は,ユトレヒトの何世紀も前から続く田園地帯を走っていましたが,都心部に近いその新鮮な野菜を栽培する畑はすべてなくなってしまいましたが,メモロアルボードなどで当時の様子を描いた絵でその時の様子をみることが出来ます。

 かつての鉄道跡の隣の建物の一つにとても素敵な壁画があります。この壁画は,1938年の写真に基づいており、2017年にオープンしました。
 ユトレヒト中央駅(中心部の西)が主要な鉄道ハブになった後1939年にこの鉄道は旅客鉄道としての運行を終了しました。
 2012年までは,この鉄道は貨物鉄道として運用されていました。21世紀初めに,ユトレヒト鉄道の将来の計画として,旅客鉄道として再整備し,ユトレヒト市内とその周辺を循環する鉄道計画が持ち上がります。しかしこの計画も中断となり,2012年に鉄道は部分的に閉鎖されました。
 この路線の旧駅,Maliebaan駅には1874年の鉄道開業と同時に開館した建物があり,1954年からは国立鉄道博物館として,現在は記念建造物となっています。

 将来の展示物である鉄道車両の輸送や,将来的にも博物館への鉄道でのアクセスが必要不可欠であるため一部の路線が残されました。どんな方法であれ,全長900m,合計22,000平方メートルもの細長い土地は再利用の準備が整ったのです。

 数年後,住民が一体となり,使われていない鉄道跡地を自転車道があるリニアパーク(サイクル,ジョギングコースがある公園)に再整備するよう,市に要望するようになりました。

 この案は市に採用され,オーステルスポールバーン公園の計画は市が鉄道会社から土地を購入した同じ2015年に策定されました。まだ使用中の路線がわずかながらあったことにより、新しい自転車道を北端の既存の自転車道に接続するための検討が行われました。

 鉄道敷地と建物との間には狭い歩道があり,その歩道を転用することができた。しかし,そこには住宅も建てられる計画もあり,建設業社は重機や建築資材運搬のため,建設現場までの搬入経路を必要としていました。自転車道が計画されたこの一帯は、建設業者の搬入経路としても最適な場所でした。

 そこで,市は先に9軒の住宅を建てる許可を与え、住宅の建設が終わり次第,仮設道路を自転車道へと転換することができるよう調整し、北端の既存の自転車道との接続は,多数の検討の結果,2020年1月にE案にて,建設が始まった。元あった場所にそのまま残る歩道の隣に、新しい幅広の橋がある自転車道ができた。古い歩道橋は市内の別の公園で活用されています。

 今回の計画実行までの「遅れ」は計画にとって利点となりました。
 接続されていなかった箇所の最後の部分のリボンがカットされたとき,公園のほとんどの部分は3年以上にわたって整備されていました。これにより,樹木は成長し,若い木々ももう小枝に見えることはなかった。

 オーステルスポールバーン公園は,市中心市街地にある美しいリニアパークであり,中心部から市の南東へ,またはその逆(郊外から都心)にサイクリングするのに便利な連絡路として使いやすく,その名に恥じないものとなりました。私がこの記事のために昨年7月に撮影したとき,夕方のラッシュアワー時のこのルートは沢山の利用者がいました。驚くほど多くの人々がこの新しいルートを素早く発見していたのです。そのライドは(いつもに比べて)はるかに静かな状況でした。

 それはラッシュアワー外の憂鬱な雨の日に撮影されました。しかし,どちらのビデオ映像も,ユトレヒトがまたひとつ,この公園で美しい空間を得たことを明らかにしています。
(意訳はここまで)
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 ユトレヒトの事例では,鉄道の休止から実際の廃線までの間に,十分な検討期間が設けられたことがいい方向に働いたことが記載されています。
鉄道事業者としては,廃線後の敷地は速やかに処分したいというのが自然でしょうが、廃線跡という連続的に細長く続く特殊な敷地は特に都市部では貴重な空間です。

 同様な事例は,ニューヨークの高架鉄道を活用した遊歩道「ハイライン」が有名です。

○遊休期間が廃線跡の利活用を醸成する『HIGH LINE アート、市民、ボランティアが立ち上がるニューヨーク流都市再生の物語』(ジョシュア・デイヴィッド(著)、ロバート・ハモンド(著)、アメリカン・ブック&シネマ、2013.7)

 ニューヨークのハイラインはニューヨークの西側に走る物流専用の高架鉄道でした。物流が鉄道からトラックに移行し、1980年に最後の列車が通過して以降、放置されていました。
 この高架鉄道跡がすぐに取り壊されずに、利活用されるまでの間存続できたのは、鉄道敷地の重要性から、簡単な鉄道用地の処分を阻止するアメリカのレールバンキング制度によるものです。鉄道があくまで休止状態であり、正式は廃線手続きまで至っていなかったことによります。

 ハイラインプロジェクトが動き出したのは、ジョッシュ氏がこのことに気が付いたことからはじまります。

 (前略)手つかずのまま残っており、列車が走ることはなくとも、厳密には、廃線ではなく、現存線扱いになっていた。実際はだれの目から見ても廃線なのだが、正式な鉄道用語の「廃線」ではない。(中略)ぼくの関心に火をつけたのはそこ、つまり、22ブロックも途切れずに続く、こんなに大きなものであるという事実だった。
 レールバイキングとは、廃線跡に遊歩道を造る一つの手法だ。国有林の遊歩道などに、もとは鉄道跡だったところがよくある。政府所有の鉄路用地に遊歩道を造るのは容易だからだ。廃線になり、線路を撤去しても、その軌道は政府所有なので、遊歩道にしやすい。
 ところが、鉄道軌道の多くは私有地を通っている。軌道用地を確保した当初は、所有者は鉄道として使う場合に限り合意するケースが多い。だから、鉄道として使われなくなった用地は、他の用途に使うことはできない。つまり、軌道はなくなってしまうことになる。そして所有者は、その土地を取り戻す権利を有しているのだ。
 国家資産である鉄道軌道が、少なからずこうした理由で失われていることに気づいた連邦政府は、1983年に国定自然歩道制度法を改め、「レールバンキング」という制度を加えた。この制度は、鉄道用地の「暫定的な遊歩道としての使用」を許すものだ。使われなくなった鉄道軌道を、将来国が鉄道といて再利用する場合に備え、遊歩道として「保存しておく」システムを作ったというわけだ。

 ハイラインは休止状態から正式は「廃線」への手続きが進んでいました。プロジェクトは市が進める廃線手続きの方針を転換させ、鉄道敷地の暫定利用を認めるレールバイキング制度を適用させることからはじまります。
 一旦廃止し、鉄道用地のどこか1つでも一般の土地として売却されてしまうと鉄道は再び通すことはできなくなります。
 鉄道跡地は都市を途切れることなく続く、都市の細長い余白としての可能性を秘めていますが、どこか一つ欠けると、連続性が失われ、ただの敷地と化してしまうものです。

 福岡市内の鉄道跡地には、いまは地下鉄空港線となった筑肥線や、竹下駅から福岡空港まで伸びていた貨物線、千早あたりから博多港までの築港線などがあります。筑肥線の跡地は、そのすべてが市に売却され、「筑肥新道」として道路になっていますが、部分的に緑のある公園となっています。いつかこの鉄道跡地が、ただの車道ではなく、遊歩道とサイクリングが楽しめる緑のラインになればと思います※(1)。

〇Plat Fukuoka cyclingで喫茶 千歳へ
 元筑肥線の筑前高宮駅(西鉄平尾駅と接続)から博多駅方面へ、堀川公園のすぐ近くあるのが喫茶 千歳です。
堀川公園から天神までは、川沿いを走る道路が伸びています。
天神へ自転車で行かれる際は、寄られてはいかがでしょうか。
鉄板ナポリタンは古き良き洋食ナポリタンです。

◆福岡市南区大楠2丁目17−3 井谷ビル 201(☎092-983-7786)

営業時間は、最新の情報を確認ください。

 次回のPlat Fukuoka books&cycling guideは建築雑誌「a+u」2021年1月号の特集より、サイクリングネットワークについてと、サイクリングに寄りたい洋食屋さんの紹介です。

 そして次回は、Copenhagenize Indexの2020年報告書が出ております。 そこから2021年の世界の自転車潮流を読み解いていきたいと思います〇
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〈参考文献等〉
(1)福岡市での大規模なクルマの乗り入れ規制で成功したのは、大濠公園です。いまの大濠公園のランニングとサイクリングコースの部分は車道で車の乗り入れていました。それを昭和40年代に3段階に規制を進め、完全な脱クルマを実現しています。当時は自動車交通量が増え続ける時世です。その中で脱クルマを実現できた当時の様子は別途紹介したいと思います。

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