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犬神家の一族

ここのところ、探偵小説ばかり読んでいる。ヴァン・ダインにエラリー・クイーン、クリスティーとクロフツは従前読んだし新たに取り組むのはフィルポッツ『赤毛のレドメイン家』。まだ途中だが、描写が美しいですな。

いずれもミステリーのマスト本だが自分は探偵小説の初心者。得意分野が怪奇小説だから探偵小説はいわば隣人も、永らく触れることがなかった。子ども時分に実家に備えつけの全集を摘んではいたが、せいぜいシャーロックホームズ程度で、しっかり読んではいなかった。今更ながらの購読というわけ。

ただし例外はあって、その1つが横溝正史。横溝作品は怪奇色が強く、嗜好にピッタリ。エラリークイーンやヴァン・ダインはそれこそ「論理」の世界だが、横溝さんのは田舎の旧家にまつわる怨念であるとか複雑な人間関係であるとかが綾を成しておどろおどろしく、自分が惹かれたのはこの点が大きい。
全作読破しました。ええ、全部。

きっかけは中学か高校生の時に観た『犬神家の一族』(1976)。角川映画第一弾で、自分が原作を読んだのも、角川春樹のメディアミックス作戦にまんまとしてやられた形。

昭和22年秋。信州の那須市(※)に、探偵金田一耕助(石坂浩二)が現れる。当地の古舘法律事務所、その見習いである若林という男からこんな手紙を受け取ったからだ。
「犬神家で恐ろしいことが起きる」。

※那須といえば栃木県も、同作は信州が舞台。

犬神家は当主佐平衛が興した製薬業(原作は製糸業)で財を成し、那須の本社工場は雇用の面でも地域に貢献。湖畔に広大な屋敷を構える犬神佐平衛は信州の名士である。

数ヶ月前、高齢の犬神佐平衛(三國連太郎)は死の床についていた。臨終の場に一族が呼び集められる。
・長女松子(高峰三枝子)
・次女竹子(三条美紀)
・三女梅子(草笛光子)
・竹子の夫寅之助(金田龍之介)
・梅子の夫幸吉(小林昭二)
・竹子と寅之助の長男佐武(すけたけ。地井武男)
・  〃    長女小夜子(川口晶)
・梅子と幸吉の息子佐智(すけとも。川口恒)
・野々宮珠世(島田陽子)
・古舘弁護士(小沢栄太郎)

松子の夫はとうに亡くなっており、野々宮珠世は佐平衛翁の恩人・野々宮大弐の孫娘。古舘弁護士は犬神家の顧問弁護士である。
親族一同、佐平衛翁の今際よりも莫大な遺産を気にしている。が、古舘弁護士は「松子夫人の一子・佐清君が戦地から戻ってきた時、遺言状が開封される」、そう宣言する。
◆オープニング&主題曲

https://youtu.be/d8aT-YNkqYs

数ヶ月後。金田一が那須に着くや否や、湖でボート遊びをしていた野々宮珠世に危難が訪れる。ボートの底に誰かが穴を開けていたのだ。
湖畔の宿に投宿していた金田一と、珠世のしもべ猿蔵(寺田稔)が彼女を救う。

安心して宿に戻った金田一。
と、彼を訪問した若林がそこで毒殺される。

本作は映画館を含め10回以上観た。改めて先日観返したが、すこぶる重厚でかっちりした作り。
市川昆監督の次作『悪魔の手毬唄』もミステリーとして優れている。が、あちらは動的で『犬神家ー』は静的というか組織的というか。前者が個々の人間の哀しみや切なさ(岸惠子と若山富三郎!)で泣かせるなら、後者は珠玉の群像劇でより運命的。大きな意思が悲劇を生む。

市川昆監督は「画」と「光」にこだわる映像作家で、前者の例は昭和39年の『東京オリンピック』。躍動感や高揚感が嫌いな市川昆は、100m短距離走の選手を真後ろから、その脚の筋肉の動きを冷厳に〝寄って〝撮った。これがオリンピックを称揚し国威発揚に繋げたい当時の担当大臣・河野一郎(河野洋平の父、河野太郎の祖父)の不興を買い、併せて「盛り上がりたい、楽しみたい」国民から叩かれた。
まるで日露戦争のとき、「こんなに耐えて勝ったのに、分け前が少ない!」と日比谷焼き打ち事件を起こした大衆と同様。往時から我が国民性は今も全く変わっていないが、64年の『東京オリンピック』、連中の批判に唯ひとり、敢然と反論したのが大女優高峰秀子である。

光でいえば『犬神家ー』は、邸宅内が黒。本作は東宝だが、あたかも大映ブラックのようである。戸外は自然光。屋内でも「屏風の金色と金属の金色は違う」と、何度も撮り直したのは知る人ぞ知る逸話。
いちばん大変だったのは照明係だったとか。

春日太一著『市川昆と犬神家の一族』(新潮新書)にこれらは負うところが大きい。

金田一耕助の、事件へのアクセスの度合いは作品によって異なる。『犬神家』はアクセス多い方だし『悪魔の手毬唄』も比較的に多い。いっぽう『八つ墓村』はほぼ傍観者である。
いずれも事件の謎を解くには解くが、決して「解決してはいない」と春日氏は看破する。

何をもって「解決」というのか。それは次なる殺人が起きる前に謎を解き、未然に犯罪を防ぐことではないか。しかし金田一耕助は犯人が目的を達成し、すべてが終わった後で、おもむろに事件を解説す。
それを言うならエラリークイーンの名探偵、ドルリーレーンも同じこと。彼は引っ張りすぎて何ら予防せず、むしろ次なる犯罪を促している傾きすらある。

ただ、市川昆監督の狙いも金田一耕助を演じた石坂浩二氏の演技プランも、

「金田一耕助は、いわば天使」

どういう意味かと言うと、ふらりと現れふらりと去っていく金田一は、いわばこの世の人でない。天使みたいな者だから、現実にアクセスしない。
現実にアクセスして、人間の思いや事象、運命を変えることはしない。ただ見守るだけ。すべて終わった後で解説するのみ。

そこがこの映画の凄みのひとつである。なぜならば、そうでなければ本作の肝である「運命」を際立たせることができないから。
偶然が重なり、悲劇が生まれるという作品の肝を。

そしていずれの作品にも「戦争」が大きく関わっている。戦争は運命じゃなく明らかな人災だが、これについては別途。

春日太一の著書には石坂浩二さんのロングインタビューがついている。氏は慶応の大学生だった頃『ウルトラQ』のナレーションで芸歴を開始した人であり、名ナレーターでもある。
小沢栄太郎や加藤武@よし、分かった! はそれぞれ俳優座と文学座の重鎮。お歴々との芝居で石坂氏は何を意識したか。
両御大はダミ声というかガラガラ声。特に小沢栄太郎氏はマイナーコードで喋る。なれば同じコードで会話したら観客は聞き取りづらい。石坂氏は綺麗めの己の声質を活かし、かつメジャーコードでの発声を心がけたそうな。
「役者とはすなわち楽器である」とは名優の誰もが言うところ。そんな石坂浩二さんは宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の台詞回しがマイナーコードだと看破している。

自分はこういう話を何よりも面白いと感じる。ストレートプレイだろうと、ことほど左様に演劇は、すこぶる音楽的なのだ。

『犬神家の一族』、以上の件を踏まえつ観ると新たな発見が。そして良い映画(や小説)は、いかな犯人探しのミステリーであろうとも、再見再読に耐える。
これこそ名作たる所以なのだろう。

◆予告編

https://youtu.be/dtjDZDSS-Qs

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