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閑話休題、ヴァン・ダイン

横溝正史「八つ墓村」の前に、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」を読みました。
横溝さん ー 次女の旦那が、俺の昔のお客様N氏 ー は全く難しい言葉を使わず平明であると、前回そう書きました。↓

https://ameblo.jp/darshaan/entry-12686310685.html

ではいっぽう、ヴァン・ダインはどうであるか。

ここで直ちに想起さるるは、ラミちゃんの野球動画。

https://youtu.be/HZialCDJq1M

氏、のたまわく。
・外国人バッターはとりわけ、次打者を気にするものである。
・サンズ、ああサンズ。しかして彼が気にしているのは佐藤輝明大師匠。
・ところが佐藤輝明は三振が多い。それはいいけど。
・相手ピッチャーは、ここ一番という時、サンズを敬遠して佐藤輝明で勝負するだろう。サンズはそこそこ当てるけど、いかんせん佐藤輝明は三振が多いので。
・余談だが、梅ちゃんと中野くん打順も気になる。中野を7番・梅野を8番にした方が良いのではないか。中野より、梅ちゃんの方が得点圏打率高いから。

すこぶる合理的よね。しかしてラミレス前DeNA監督の言を徹底すると、いきおい佐藤輝明は1番打者ということになる。
「あり得ないでしょう!」という声が聞こえます。いや実際はともかく、理論上はそうなるのよ。

なぜというに、1番バッターはまずもって、前に打者がいない。であれば、必ず勝負さるる。
佐藤輝明がよしんば三振したとて、次に現1番の近本がおる。糸原、マルテと続く打線。佐藤輝明氏が三振したとして、実質近本から始まる。佐藤輝明から糸原まで全てアウト・3アウトになったとて、次の回はクソ選球眼野郎・マルテから始まる。次に繋げる事ができる。
これは従前わたくしが申し上げた、3人づつのユニット構想、その応用なわけだが。。。

ラミちゃんいうところの理論はさておき、外人さんはかくしてすこぶる合理的な発想をする。
ここ、試験に出るぞー

横溝正史が存外情緒的なら、ヴァン・ダインは合理的。例えば、

「『これらの犯罪を理解するには』とヴァンス@探偵さんがはじめた。『まず、われわれは数学者の常套手段というものを考えてみなくてはならない。数学者の思索とか計算とかは、えてして、この地球をどちらかといえば無意義なものと見、人間の生命の取るに足らないことを強調する傾きがある ー 」

「まず、数学者の視野の範囲だけを眺めてみよう。一方では、彼らはパーセック(3.26光年)とか、光年とかいう言葉でもって無限の空間を測ろうと企て、そのまた一方では、無限小のエレクトロンを測るために、ラザフォードの単位を発明しなくてはならなかった ー ミリミクロンの百万分の1という単位だ。
数学者のビジョンは、超絶論的な展望なのだ。そのなかでは地球や、その住民たちは、ほとんど無に近い点と化してしまう」

「さて、これを質量の見地からみてみると、太陽の重さは地球の32万4千倍であり、宇宙の重さはトリリオン(英国では百万の3乗、アメリカやフランスでは百万の百万倍)という推定ができる ー 10億の、太陽の10億倍だ・・・
こんな途方もない巨大なものと取り組んでいる研究者が、世間並みの釣り合いの観念をすっかり無くすことがあっても、少しも不思議ではない」

「しかし、これはまだほんの初歩だ。一人前の数学者の日常茶飯の事実だ。高等数学者は、さらにはるかな広大な域に進む。
われわれが知っている時間が、頭脳が生んだフィクションとしてしか意味がなく、三次元の空間の第四座標となる世界に彼らは住んでいる。この世界では、距離もまた、近接点としてしか意味がなくなる。与えられた2つの点の間には、無数の最短経路があるからだ」

これって柄谷行人「ドストエフスキーの幾何学」よね。非ユークリッド幾何学では、平行線は無限遠点で交わる。そこにキリストを見出したのがドストエフスキーであるという。

話を続けます。

「直線というものは存在せず、定義することもできないしろものになる。質量は光の速度に達すると無限大になる。空間自体の特性は彎曲性だということになる」

出ました、相対性理論。

「たとえば林檎は地球の引力に引きつけられたから落ちるのではなく、測地線、つまり世界線を取るからという考え方がされている。(中略)われわれの学校時代の古い馴染みで、万古不易と思われていた円周率πは、もはや恒数ではなくなった。直径と円周との比を計るとき、円が静止しているか、回転しているかで異なってくる」

たいくつかね? と探偵は言いました。
かくなる記述を冗長であるとか退屈であるとか言う向きがある。しかし「僧正殺人事件」を重厚たらしめているのはかくなる部分であり、これを退屈というならば、彼は直ちに知的素養がない。そう断言して差し支えない。

合理的とは如何なるものか。シャーロック・ホームズもそうだけど、概ね欧米のミステリー(※)は、もっぱら論理を重視しておる。
※「ミステリ」とかカッコつけて言う阿保のおるが、それはMystery、末尾の〝Ryー〝を捨象した馬鹿である。言葉に疎いそんな者に、ロジカルなミステリーを読む資格はない。

我が邦で、情に流されず論理的なのは、坂口安吾「不連続殺人事件」よね。

ことほど左様に(?)、「僧正殺人事件」(The Bishop Murder Case)は合理的なのでした。

https://youtu.be/FiF9pEhNt9k

数学あるいは理論物理学を犯罪に援用したと言う。。。

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