「タローマン」に登場する奇獣たちのモデルってどんな作品? 作品エピソードと見られる場所をご紹介
今年、NHKで放映されて話題となった「TAROMAN(タローマン) 岡本太郎式特撮活劇」。
映像作家・藤井亮さんによる、岡本太郎の作品と言葉をモチーフにしたインパクトの強いキャラクターやストーリーと特撮。さらに、サカナクション・山口一郎さんの語りもたまらないこの番組。大阪、東京、愛知で開催の「展覧会 岡本太郎」のPRながら、「展覧会 タローマン」まで企画される人気ぶりですね。
せっかくだったら、元ネタとなった作品のこと、もっと知ってみませんか?この記事では、「タローマン」に登場したキャラクターたちのもとになった作品についてのエピソードや、そのたちを見られる場所をご紹介します。
▍「タローマン」自身の元になっているのは?
- ボディ:《太陽の塔》(1970)
(大阪府|万博記念公園)
最初はおなじみの《太陽の塔》。1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンにテーマ館のひとつとして制作された作品です。
もともと、丹下健三による「大屋根」の構想が完成していたところに、その大屋根に穴をあけて太陽の塔が顔をのぞかせる構想を打ち立て実現したというもの。大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」の対極にあるような「ベラボーなもの」ですね。
内部展示空間には、原生生物から人類に至るまでの生命の進化の過程を表現した《生命の樹》があります。タローマンの中も、この《生命の樹》でできているという設定となっているようです。
- タローマスク (顔):《若い太陽の塔》(1975)
(愛知県|日本モンキーパーク)
タローマンの顔は《太陽の塔》の正面の顔と同じですが、顔の周囲に11の炎が燃えさかるのは、愛知県犬山市にある「日本モンキーパーク」のシンボルタワー《若い太陽の塔》です。もともとは、万博の前年に万博熱の高まりを受けてイベントのために制作されたもので、現在は展望台のかたちになっています。
完成当時、猿たちの住む「ヒヒの丘」に設置されたものの、「金色に輝く顔を持つ塔を見て、飼育されているサルたちが興奮して眠らなくなってしまい、研究に支障が出ている」という理由で場所を移されたなんていう経緯も。サルにとってもタローマンの顔はインパクトがあったのですね。
ちなみに、岡本太郎は、《太陽の塔》の顔について「どうだい、あの団子っ鼻は。いいだろ。普通の芸術家だったら、ギリシャ彫刻みたいなすうっと高い鼻の綺麗な顔にしちゃうだろうね」と言ったとか。確かに、この顔そのものが無表情のようでありつつも、愛嬌を感じさせますよね。
- タローアイ(手・ボディ):岡本太郎本人(手の目)
手に目を描いた岡本太郎のこちらの写真が有名ですね。
この後にも登場してきますが、岡本太郎の作品の中で、「手」と「眼」はそれぞれ重要なモチーフです。ともに、「世界を感知する」ための重要なものであり、世界と自分をつなぐ意味があったのかもしれません。
▍タローマンに登場する「寄獣」たちのモデルは?
第1話「でたらめをやってごらん」:《森の掟》(1950)
(神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)
強烈な赤色と牙をむく姿が強烈な印象を与えながら、よく見るとその背中にはファスナーがついている…という不可解さも備えた絵画作品、《森の掟》がモチーフです。
この赤い生きものについて岡本太郎は、「それが権力として通用する時には怖ろしい表情や姿で人々を脅かし、彼らの生活を根底から揺さぶるが、いったんチャックが開かれると中身は暴露され、バカみたいなものになってしまう。」と解説しています。
強烈な「赤」が印象的な作品ですが、岡本太郎は「私は幼い頃から「赤」が好きだった。」と書いています。ところが、この作品が制作された終戦直後の日本の芸術界では渋い色を使って絵を描くのが普通で、原色、とりわけ赤を強烈に使った岡本太郎は、当時「色オンチ」などといわれたそう。そうした流行に左右されない芯の強さも感じられますね。
第2話「自分の歌を歌えばいいんだよ」:《歓喜》(1965)
(愛知県|天長山・久国寺)
いくつもの角が突き出た梵鐘は、この1/4サイズの作品を岡本太郎が鳴らしながら「芸術は爆発だ」と叫ぶCMがマクセルのTVコマーシャルとして放映されたことでも広く知られていますね。オブジェのようですが、実は愛知県名古屋市にある天長山・久国寺に設置され、実際に寺院の梵鐘として現在も使用されている作品です。
岡本太郎自身が鳴る事に縛られず「猛烈な素人」として造形的な冒険をしようと考えたという作品で、当時、梵鐘専門の鋳物師も突起をもった個性的な形状のこの鐘に「音が出るかどうか、全く自信がありません」と言ったのだとか。ところが、出来上がった梵鐘は複数の角で音が反響・共鳴し合い、これまでの鐘にない見事な音色を発したそうです。
第3話「一度死んだ人間になれ」:《未来を見た》(1971)
(神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)
岡本太郎の作品には目を印象的なモチーフとして描いた作品が多く、この作品もそのひとつですね。岡本太郎は、「私は作品に目玉を描く。人間だか、動物だか知らないが。執拗に目玉を描き込んでいるのは、確かに新しい世界に呪術的にはたらきかける旋律的な現代のマスクを想像しようとしているのだ、と思っている」と語っています。
また、「見ることは、創ることでもある」と言った岡本太郎。芸術はまずじっくりと眼で見ることから始まるのかもしれません。
ちなみに、この作品、ぱっと見た時に思わず、巨大な目玉を持つ手前の緑色のモチーフが印象に残ってしまうのですが、あえて後方の黒いモチーフを印象的な顔に使っているのが面白いなと思いました。この愛嬌もある顔、なんともいえず良いですよね。
第4話「同じことをくりかえすくらいなら、死んでしまえ」:《駄々っ子》(1951)
(神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)
鋭角の鋭角的表現の左が黄色の駄々っ子、曲線的な表現の右は桃色の犬という、対照的な形状と色を配置した作品です。これは、大人になっても駄々っ子精神を失わなかった岡本太郎の好きなモチーフだったと言われており、この2つのモチーフをあわせた《駄々っ子》というタイトルの作品は、岡本太郎美術館の所蔵作品でも4点存在しています。
岡本太郎は、1947年頃に「対極主義」という「対立する二つの要素をそのまま共存させる」思想を唱えます。本作品は1951年に制作されたものですが、「無機的な要素と有機的な要素、抽象・具象、静・動、反発・吸引、愛憎、美醜、等の対極が調和をとらず、引き裂かれた形で、猛烈な不協和音を発しながら一つの画面に共生する」といった、その主張のとおり、対極的なものが同じ画面に共存しているような作品でもありますね。
第5話「真剣に、命がけで遊べ」:《疾走する眼》(1992)
(神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)
http://jmapps.ne.jp/okmttb/det.html?data_id=1113
こちらも、巨大な目が印象的なモチーフとして使われた作品ですね。1992年、岡本太郎80歳のときに制作された作品です。1996年に84歳で没しているので、晩年の作品となりますが、こうしたモチーフ・作風の一貫性が伝わってきますね。
第6話「美ってものは、見方次第なんだよ」:《みつめあう愛》(1990)
(大阪府|ダスキン本社ビル)
「万博記念公園」と同じ大阪府吹田市内にあるダスキン本社ビルに設置されているレリーフ絵画です。
男女が踊るような構成で、2組の巨大な眼が描かれています。ロマンチックなタイトルとは裏腹に、炎が燃え上がるような勢いが感じられる作品ですね。岡本太郎は「男と女は異質であり。だから一体なんだ」と述べ、異なる世界観を持った二人が結ばれることは「闘い」であるとも言っていました。
「闘いこそ愛であり、愛がなければ闘いはない」という「愛」についての岡本の思想が現れているような作品です。
第7話「好かれるヤツほどダメになる」:《呼ぶ、赤い手、青い手》(1982)
(神奈川県|相模原・西門商店街)
右手・左手でセットとなるような「赤い手」「青い手」は、神奈川県相模原にある西門商店街の並木道の両側で、対になって人を迎えています。
1981年に、同商店街で資金を募り、神奈川県に縁のあるアーティストとして岡本太郎に「人の集まる場所にふさわしいオブジェ」を依頼して制作された作品です。赤い手は指を大きく広げ、青い手は指を曲げて人を呼んでいるようですね。
劇中ではタローマンはこの2つの手にもみくちゃに翻弄されてしまいますが、もとの作品は可愛らしく、来る人を優しく迎え入れてくれるような温かみのある雰囲気の作品です。
第8話「孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ」:《傷ましき腕》(1936 (1949))
(神奈川県|川崎市岡本太郎美術館)
鮮やかなピンクのリボンのように皮膚を等間隔で切り開かれた腕に、握りしめられた拳、真っ赤で印象的な大きなリボンと見えない表情…強烈な色と、不可解さ、見る側も痛みを感じるような共振感覚で、一度見たら忘れられないような強いインパクトの作品ですね。純粋抽象と決別し、現実との対決に踏み込んだ転換点の作品であり、初期の代表作のひとつです。
もともと1936年、パリ滞在中に制作されたものの、戦争のために日本に帰国した際に1945年の空襲で焼失。現在見られるものは、戦後まもなく再制作されたものです。
ちなみに、開催中の「展覧会 岡本太郎」では、《傷ましき腕》と同時期に制作され、戦火で焼失。戦後再制作された後《露店》が展示されることでも話題になっています。グッゲンハイム美術館に寄贈されて以来、日本国内では見られるのは約40年ぶりとのことです。《傷ましき腕》と通じるモチーフが散りばめられていますね。
こちらの作品は、「展覧会 タローマン」の入り口のモチーフにもなっていました。
第9話「なま身の自分に賭ける」:《午後の日》(1967)
(東京都|岡本太郎記念館)
黄色と白の陶磁でつくられた彫刻作品です。頬杖をつき、子供の笑顔のような愛嬌のある表情が特徴的な作品で、それは、子どものように無垢な心を持ち続けた太郎自身の肖像なのかもしれないとも言われます。
同じタイトルのブロンズ製作品は、神奈川県の神奈川県立向の岡工業高校にも。また、岡本敏子が岡本太郎の墓標に選び、現在もふたりの墓の墓標となっている《若い夢》もよく似た造形となっている点からも、「爆発」のイメージとは違った、もうひとつの岡本太郎らしさを表現した作品といえるのかもしれません。 (なお、岡本太郎自身は、生前に上記のよく似た2作品の違いについてはっきりと語っていなかったそうです。)
第10話「芸術は爆発だ」:《太陽の塔》(1970)
(大阪府|万博記念公園)
最終話は、やはり《太陽の塔》でしたね!
ちなみに、現在も万博公園のシンボルとして来場者を迎える太陽の塔ですが、もともと、万博終了後には取り壊される可能性もあったもの。撤去反対の署名運動を受けて、1975年に永久保存が決定されたんですね。
一方、2008年の耐震工事で、大地震で倒壊する可能性が高いという指摘も。これを受け、改修工事によって、防耐火・耐震補強が行われ、2018年に再公開。万博終了後にはイベント時のみの公開となっていた内部も常時公開となり、第4の顔である「地底の太陽」も復元されました。
作品の多くは「川崎市岡本太郎美術館」に
ここでご紹介した作品もそうですが、岡本太郎の作品は「川崎市岡本太郎美術館」の所蔵か、いつでも見られるパブリックアートなんですよね。岡本太郎は、「芸術は一部の金持ちのものではなく、様々な矛盾や困難と戦いながら毎日を生きる平凡な民衆のもの」と考え、作品が一部のお金持ちやコレクターに秘匿されてしまうことを嫌い、絵を売らなかったのだとか。
そして、自身が所蔵するほとんどの作品を80歳のときに川崎市に寄贈。それゆえ、作品は散逸せず、多くの作品を「川崎市岡本太郎美術館」と東京・青山にある「岡本太郎記念館」で見ることができるんですね。常に全ての作品が展示されているわけではありませんが、年に数回の展示替えをしながら展示されています。
▍「展覧会 岡本太郎」で全作品を一気見!
さて、全国にあるこれらの岡本太郎作品。大阪・東京・愛知で開催の「展覧会 岡本太郎」では、これらの作品を一度に見られるんです!
特に、東京展では、展覧会に入ってスグのロビーフロア(LBF)で、ハイライト的に有名な作品を一同に観覧できるなど、ユニークな構成になっており、その世界観を体感できるようです。
「展覧会 岡本太郎」東京展での作品展示場所
《若い太陽の塔》(1975)
;第4章「大衆の中の芸術」にFRP製の模型が展示されています
《太陽の塔》(1970)、《生命の樹》(1970)
;第5章「ふたつの太陽ーー《太陽の塔》と《明日の神話》にFRP製の1/50模型とスケッチが展示されています。
《森の掟》(1950)
;東京展ではLBFに展示されています。
《歓喜》(1965)
;東京展ではLBFにブロンズ製の1/4サイズの作品が展示されています。
《未来を見た》(1971)
;第6章「黒い眼の深淵ーー突き抜けた孤独」に展示されています。
《駄々っ子》(1951)
;東京展ではLBFに展示されています。
《疾走する眼》(1992)
;第6章「黒い眼の深淵ーー突き抜けた孤独」に展示されています。
《みつめあう愛》(1990)
;第4章「大衆の中の芸術」にFRP製の小型の作品が展示されています
《呼ぶ、赤い手、青い手》(1982)
;東京展ではLBFにFRP製の小型の作品《手- 赤》《手-青》(1981)が展示されています。
《傷ましき腕》(1936 (1949))
;第1章「岡本太郎誕生ーーパリ時代」に展示されています。
《午後の日》(1967)
;第4章「大衆の中の芸術」に展示されています。
「展覧会 岡本太郎」は物販が大充実で、「タローマン」グッズも多くの種類が販売されていました。
また、NHK放送博物館で12月4日まで開催の「展覧会 タローマン」では、タローマンの衣装や、奇獣たちの模型、セットなども見ることができるので、こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。
【展覧会概要】
展覧会 岡本太郎 (東京展)
URL:https://taro2022.jp/
会期:2022年10月18日(火)~12月28日(水)
時間:9:30~17:30、金曜日は20:00まで
休室日:月曜日
会場:東京都美術館
展覧会 タローマン
URL:https://www.nhk.or.jp/museum/project/2022/2022110101.html
会期:2022年11月1日(火)~2022年12月4日(日)
※休館日は除く
時間:午前10時~午後4時30分
会場:NHK放送博物館3階 企画展示室
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