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半信半疑の見立て力・時事芸人プチ鹿島 2021年11月8日(月)

プチ鹿島の存在を知ったのは2008年頃だろうか。

ひょんなことから聴き始めたポッドキャスト番組『東京ポッド許可局』の3人いるパーソナリティの一人だった。
初期の頃、プチ鹿島は目立った存在では無かったような記憶がある。

他のパーソナリティのマキタスポーツはミュージシャンであり音楽に造詣が深かったし、俳優としても活躍を始めた時期でもあり、東京ポッド許可局を牽引していたイメージがある。
もう一人のサンキュータツオはMCとしての腕は確かで、そのなんとなく鼻につく三男坊的立場と大学講師という肩書きもありキャラが立っていた。

その点でプチ鹿島は3人の中で控えめな立ち位置にいたように感じていた。

ある時、ポッドキャスト時代だったか(TBSラジオの放送が始まる前だと記憶しているが)、プチ鹿島がプロレスについて自分語りを始めた。
《好き》を語ってもいいんだ、という風にかつて見てきた昭和プロレスを昨日のことのようにいきいきと話していて、同時代にプロレスを見てきたことからその時ひどく共感を持ったものだ。
勝手にあれがプチ鹿島の《覚醒》だと思っている。

それからのプチ鹿島は一皮剥けたように感じた。

もちろん、このときの放送がきっかけでは無かった可能性は高い。
元々、芸人としてのスキルは高かったし、映画が公開された時に舞台挨拶を観に行くなど努力し、いろいろ模索していただろうし、今や代名詞となった新聞の読み比べも始めていただろう。

野球や大相撲、政治、新聞を語り始めたプチ鹿島はめちゃくちゃ面白かった。

やがてコロナ禍になり、ダースレイダーと一緒にYouTube番組『ヒルカラナンデス』を配信し始め、毎週見るようになった。
有料配信『ヨルカラナンデス』の1回目は残念ながら観れなかったけれど、それ以外はすべて購入して観ている。

このヨルカラナンデスに政府の公文書偽造問題を追及しているジャーナリストがゲストに出る予定だった回は、プチ鹿島の凄みがハッキリわかった瞬間だった。
詳しくは伏せるけれども、そのジャーナリストは泥酔してドタキャンしたのだが、その対処の仕方にある種の胆力(怖さすら感じた)が見えたし、ダースレイダーと共にファンとして信頼が増すことになった。

そして、先日の『香川1区ナンデス』である。
ヒルカラナンデスが築いてきた流れを汲んだ三日連続の有料配信。
おそらく本人達もある種の試金石としての挑戦だったと思う。
これが見事な調査報道のような批評性を見せ、選挙の祭り感と政治を巡る報道の歪みを浮かび上がらせた。

この『香川1区ナンデス』はプチ鹿島をさらに飛躍させる気配がある。それくらいのプロジェクトであり、本人もそのための準備をしてきただろう。
この小さな時事芸人から目が離せない。

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