【#おうち旅行】神秘の山には天狗がいる?
夢を見ているようだった。
道中は晴れていたというのに、バスから降りてそこに立つと、そこはまるで異世界のよう。
もうずいぶん前になるけれど、秩父にある三峯神社に訪れた時、「ここは神域なんだ」とすこぶる納得した。
澄んだ空気
覆う雲海
肌に降り注ぐ小さな水の粒子
数メートル先が見えなくなるほど濃い霧の中、山は日のある時には見えない、清冽にして神聖な本性を表していた。
偶然か、それとも運が悪いのか、私の神社散歩では十中八九、霧が出る。
登山超初心者だった当時の私は、無謀なことに山頂にある奥宮まで行ってみようと思った。
――素直に、途中で挫折したけど。
おそらく三分の一ぐらいまでは、何とか歩いたんじゃなかろうか。(無謀)
途中すれ違う登山者が、ぬっと突如現れる度に同行者と一緒に驚愕するほど深い霧だった上、「少しハイキングに行きます」ぐらいの軽装だったので、あれは当然の判断だったと思う。
奥宮までの道中、少しだけ森が開ける場所に出て、周囲は木と霧ばかりの場所に腰を落ち着ける。
その先は細く今にも崩れそうな道で、横の斜面の先は深い霧で見えやしないので、もうそこから先にはいくまいと決意した。
命が警鐘を鳴らす。
この山を舐めてかかってはならないと、心の中で姿勢を正す。
今でも覚えている。
風はないけれど、肌に張り付く冷たい水の粒子が流動してゆくのがわかる。
木々は侵入者の存在を許すかのようにただ黒々とそびえ立ち、鳥の声はなく、耳に届く音はさわさわとした葉の囁き。
けれど、落ち着かない。心の深いところがぴんと張り詰めているせいだ。
ここは人間の生きる場所じゃないと、早く立ち去らなければならないと。
けれど、その静寂はあまりにも神秘的で、立ち去りがたくて。
――気配がする。
誰かに見られている気配がする。
すぐそばの木の後ろに、草の影に、木の上に、四方八方から、何かがじっとこちらを見ている気配がする。
そんな感想を抱いていると、突然、「バシィッ」と雷のような凄まじい音が周囲に響き渡った。
ああ、また鳴った。遠いようだけれど、酷く近い気がする。
遥か彼方で鳴っているはずだけれど、実は十メートルぐらいの場所で鳴っているんじゃないか?
山岳信仰の山には、必ず天狗が出るという。ふと、そんな話を思い出した。
何の音なんだろう。雷にしか聞こえない。
熊じゃないかな?
ううん、あれは生き物の音じゃないね。まるで木をなぎ倒したかのような音だから。工事なわけは……ないよね。
私はしばらく動かなかった。動けなかった。恐ろしかった。美しかった。
あらゆる姿を見せる山が、私を受けれ入れている。
厳格な仙人を目の前に、平伏している気分だ。
けれど、その人はこちらに向かって薄く微笑んでいる。
それだけは、なんとなく、分かった。
普段、登山をしている中でクモの巣に注目することなんてない。
けれど、霧の中ではクモの巣は宝石のように美しかった。
クモの巣が水滴を集め、微かな日差しの中できらきらと輝いている。ほら、あそこにもある。
私は、この旅で生まれて初めて「山が恐ろしい」と思った。
あまりにも未知で、あまりにも深淵で、あまりにも懐が広くて。
あれ以来、何度か三峯神社を訪れているのだけれど、あの時ほど強い畏怖を覚えたことはない。
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コロナで大変な昨今なので、現実離れした旅録を久々に引っ張り出してみました。素敵な企画をえみさん、ありがとうございます。
自粛自粛ばっかりでうんざりしているので、少しばかり、霧煙る神秘の山に行きたいなぁと切望する今日この頃。
いつか企画しようかなぁ……三峯神社みんなで突撃ツアー(笑)
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