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零れ落ちちまえ、この手のひらから

世界には、救いの糸なんて垂れてこない。

ぐちゃぐちゃした気持ちの身代わりに、掌に乗った作り物の薔薇に叩きつけるように、握りつぶした。

私の周りは、真っ暗だ。

まるで、真夜中の高速道路のように、何もかもが早く、私を置いて、見向きもしないで、過ぎていく。

零れ落ちちまえ。

私は、やけくそ気味に吐き捨てる。その言葉さえ、世界に届きやしない。

私なんて、零れ落ちちまえ。

卒業式だった。卒業式は終わった。

私は、大人になることになった。

親に内緒でビールを一本、飲んだ。苦かった。どうして、こんなものが美味しいのかまったくわかんない。

でも、これが大人になることらしい。私は、涙を浮かべて全部飲み干す。

ほら、大人になってやったぞ。

私は、世界が大嫌いだ。

私は、私を認めない世界が大嫌いだ。

私を強制的に大人にさせる世界が大嫌いだ。

私は、永遠に子供でいたかった。私は、ずっと学生でいたかった。私は、ずっと女の子でいたかった。

なのに、社会は、世界は、何一つとして聞き届けてはくれない。

大学に落ちた。落ちて、落ちて、落ちた。

企業なんか行きたくなかった。社会人になるなんてまっぴら御免。

社会の歯車になるなんて、まっぴらごめん。

ねえ、我がままぐらい聞いてよ。子供の「子供でいたい」っていう我がままぐらい。

勝手に大人にしないでよ。大人の都合で、子供を大人にしないでよ。

私を、零れ落とさないでよ。

「ふふっ」

笑う。乾いた暗い笑いが、誰もいない屋上に、カランと響く。

「ふふふっ」

不意に聞こえる笑い声。

私じゃない声。誰の声?

「そんなに絶望していないでさ、もうちょっと、大人を認めてあげれば?」

誰の、声。

間違いない。間違うわけがない。これは、私の、声だ。

「あんたは子供じゃない。子供でいたいなんてわがままは、通用しないってわかってる『大人』な『女の子』。それで、いいじゃない」

「でもね、悪いわがままはだめ。大人になりたくないなぁなんて、誰もが思うこと。それを自分の中に隠して、大事に持っておくことの、何がいけないの?」

「私は子供。そうじゃない。「私は私」の、どこがいけないの?」

「認めないのは世界だけじゃない。貴女も、貴女を認めていないのよ」

私の声が、私の頭の中で、私を糾弾している。

――卒業式が終わった。

眼下では、同級生たちが思い思いの場所へ向かってゆく。

あの子たちが大学に行くのか、企業に行くのか、フリーターなのか、そんなの、知らない。

「あの子たちを羨ましがっちゃ、駄目。他人じゃなくて、未来の自分を羨みなさい」

ふと、後ろに誰かがいる気がして、振り返る。

一瞬だけ、蜃気楼のように、姿が見えたのは。

―――多分、自分。未来の、自分。

しなやかで、艶やかで、カッコいいお姉さん。

違う。それは、私。

私が零れ落ちちまえって言い捨てた、未来の私。

私は、笑った。
湿った暗い笑いじゃないけど、涙は流れていた。

私は今日、「この私」を卒業する。

殻みたいな温い世界と、愛着のある制服を脱ぎ捨てて。

私は、子供じゃなくて、大人でもなくて、「私」になることを、選ぶ。

これが、私の卒業だ。

認めない世界め、さっきまでの私め、ざまあみろ。

「手のひらから零れ落ちるなよ、私」

未来の私が、ちょっとだけ安心したように微笑んだ。

薔薇の花びらが、妙に春っぽい風に吹かれて、飛んでいく。

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