こだわりの物に魅せられる

ある人から、アンティークの機械式時計を見せていただいた。

クオーツ式よりも分厚くぽってりした印象の、使い古された腕時計。
何十年以上前に造られて、今なお秒針を動かす時計の神秘に触れた感覚は忘れられない。

機械式時計は若い頃から持っておいたほうがいい。外側じゃなく中身が素晴らしいんだ、とその人は言っていた。


あれから数年。
これぞという時計に出会ったものの、時計にとって劣悪な環境で仕事をしているので、泣く泣く買うのを見送った。

機械式時計に惚れ込むまで、物にこだわらない人生を送っていたと思う。
一度こだわりはじめたらきりが無いし、使えるものがあるのだから、それを壊れるまで適当に使えばいいと、物を使い捨てる。

しかし、あれ以来、「買うならどうしても惚れ込んだ一生使えるものを買う」ことを決めた。

あのアンティークの時計の「中身」は、職人が端正込めた作品というだけでなく、誰かが大切に使っていたという確かな時間でもあった。

私は、一つのものをそこまで育てた時間に圧倒されたんだろう。

おっと、危うく一気に壮大な話になりかけた。

そこまで気張らなくても、購入するときに単に普段から「五年以上使うことを想像して」買うだけだ。

例えばカップ。
この間、珈琲を飲むための大きいマグカップが欲しくなって購入した。

青のグラデーションで、大きさの割に見た目がゴツくない。取っ手の大きさも私の中で完璧。
「やっと会えたぞ!」と内心で浮足立ち、購入した今も手に持って嬉しくなっている。

たとえ欠けたり割れてしまったとしても、金接ぎならぬ銀接ぎという方法があるらしい。

だからこれから先、カップに銀色が入ったら宇宙を彷彿とさせる世界でたった1つのものになるはずだ。
それも悪くないと想像してニマニマするほどには惚れ込んでいる。

こういう気分になれるなら、ものにこだわるのも悪くない。


もちろん、厳密にお財布と相談しながらなのは言うまでもなく。

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