夢の抜け殻 僕の泣き殻
透明な壁の向こうに、君の暖かさを感じる。きっと君も、僕と同じように壁に手を添えているのが、壁からジワリと伝わる暖かさからわかる。
僕たちは言葉を交わす。こうやって手をかざし合った時だけ話すことのできる、不思議な対話方法。
【私達、結局会えないままだったね】
【うん、そうだね】
【私達、いつか会えるはずだったのかな】
【うん、どうだろうね】
僕らの世界は狭かった。君と僕は、世界でたった一人の住人。けれど、今日、君は消える。
それは大昔から決まっていたことで、僕にも君にも止められない。
君は、何度泣いていただろうか。
それでも、僕らは熱で会話する以外にできることは、なくて。
僕らは、互いの暖かさだけを頼りに生きてきた。
分厚い壁越しに、たった一人の世界。
世界の青さ以外、何も知らない僕は自分の顔さえ知らず、ただ、君の柔らかく明るい声だけを頼りに生きてきた。
僕は、君が消えることについて、何も言うことができなかった。
何度、この壁を壊そうと試みただろう。
分厚く透明な壁は光を通すのに、君の姿を通さない。
僕の世界は、涙色をした青い蒼い広い空間。
君の世界は、柔らかな橙色に包まれた世界なのだという。
眠る時だけ、僕はその世界を垣間見た。
それは『夢』で、本物じゃないよと、君が教えてくれた。
けど、それももうできなくなる。話すことも、こうやって温度を確かめ合うことも、もうできない。
何も言葉を発せないでいると、不意に、君は思いついたように言った。
【夢で……】
【うん?】
【夢で、君に会えるかもしれない】
【でも、夢は現実じゃないだろう?】
【そう、だから。現実じゃないから、会えるかもしれない。君に】
こつん、と、小さな振動が辛うじて分厚い壁を伝ってこちら側へ届く。
【君に、全部、持っていってほしい。私の夢も、世界も、全部、君にあげるから】
【……】
【もうね、私、消えなきゃいけないから】
【こんなに、早く?】
【うん。もういいよって、言われちゃったから】
【言われた? 誰に?】
びっくりして尋ねれば、くすくすと笑う君の声。その笑い声がとても清々しい。
君が今まで抱えていた不安や恐怖がなくなったことに、僕はひそかにほっと胸をなでおろす。
けど、君は誰に何を言われたんだろう?
【知らない。君以外の熱を感じたの。大きな大きな熱。だから――私、そろそろ行くね】
その言葉を最後に、ふっと、壁越しの熱が消え去った。
僕が、何かを伝える間もなかった。
「離さないで! お願い、僕を、離さないでっ!!」
僕は、とうとう孤独になった。
僕は泣いた。誰の熱もない世界で、ただ泣き続ける。
涙色の、僕の世界。
――今の僕に、相応しい、世界。
いつしか僕は泣き疲れ、眠りの海に漂う。海の中は、橙色。君がいたという世界の色。
ねぇ、僕がいなくなっても、誰も泣いてくれないんだよね。
涙色の世界は、今の僕には遠い場所。涙色の世界が泣いている。僕がいなくなって、泣いている。
けど声を無視して、橙色の海を自由に泳ぐことにした。
だから、僕は【さようなら】と世界に告げる。
――涙色の。孤独の。絶望の世界。僕の、泣き殻。
僕は夢を脱ぎ捨てる。僕は、橙色の海に溺れる。
あぁ、君に、会えるかもしれない。
・ ・ ・
消えてしまった橙色の、君。
君は、もうすでに遠くへと言ってしまっているのだろうか。
それとも――もうすぐ僕の近くへきて、まばゆい光を纏いながら、その柔らかくて明るい笑い声を、僕の耳で聴かせてくれるのだろうか。
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