月の呼び声
月が、私を呼んでいる。
私は若木。
父母である周囲の木々に見下ろされている。
寒さと頼りなさに震える私を、いたずらな悪童である風がせせら笑いながら叩き、去る。
けれど、空を見上げて、背伸びをしてしまうのは。
月が、私を呼んでいるから。
・ ・ ・
月が、私を呼んでいる。
私はくらげ。空の真ん丸を真似して、青い静寂の中で、きらりと光っている。
ねぇ、私は綺麗かしら。
月にはない虹のような帯を持っている。半透明の白は、空に浮かぶあの子とおんなじ。あの子がきれいだから、私も綺麗でいられるの。
あぁほら。今日も彼女は呼んでいる。引き寄せている。
寂しがり屋のあの子。
月が、呼んでいる。
・ ・ ・
海が近くに見える高台から海を見下ろすと、海の月と書くクラゲが、真っ黒い海原にぷかりぷかりと浮かんでいるのが見えた。
のんびりとした景色に、思わず、笑みがこぼれる。
満月と、しなやかに伸びる樹の下で、夜のお茶会を開こうと誘われた。
彼が持ってきてくれたのは、私の好きなハーブティー。
花よりもなお、芳しい香りがなみなみと注がれたマグカップを口に運ぶ。
――熱いから、気を付けて。
――このお茶はね、淡い黄金色が、月の輝きに似ていて好きなんだ。
悪戯好きの春風が、私の髪をさらりと撫でて、去る。
自慢の黒髪、その毛先が、同じくカップを持つ彼の手の甲をくすぐったので、慌てて髪を抑えた。
――あ、残念。
悪戯っぽく、彼は笑う。
――好きなんだよね、君の髪が風に流れるの。なんだか神秘的でさ。
彼は、少しだけ口をつけたマグカップをテーブルに置き、天上についた満月を見上げた。
――知ってる? 昔の人は、女の人は満月を見てはいけないって言っていたんだ。理由はいっぱいあるんだろうけど……、本当に怖かったんだろうね。
――怖い?
思わず聞き返す。空を見上げながら。ただ美しいだけの満月を。
――そう、だってさ。あんなに綺麗なんだぜ? それに、どうあがいても手が届かないから、きっと男たちは怖くなったんだ。あの月の美しさに、自分の大切な人が捕られてしまうと思って。
女の人は綺麗すぎるんだ、と、彼はふてくされた子供のようにつぶやいた。
手が届かないところを知る女性たち。あらゆる神秘をその身に宿す女性たち。
大切で、壊したくなくて、それでも、すべては理解できるものでなくて。
――おかしいね、人なんて、理解できないのが普通なのに。
どれぐらい近くにいても、溶け合うように相手と吐息を重ねても、それでもすべて理解できるわけがない。
私はそれを知っている。彼だって、それを知っている。
―――だから、捕まえていい?
え、と口から声を出す前に、彼はどこからともなく、なにも持っていなかったはずの手の中に、乳白色の石が付いた指輪を呼び出した。
さすがは、手品師。
彼は自慢げな顔で、不安に揺れる瞳で、月に愛されたように、狂気じみた熱を魂の奥に滲ませて。
もう一度、彼は言う。
―――捕まえて、いい?
私の手は、捕まっていた。彼の手に。
私の指は、捕まっていた。彼が着けたムーンストーンの指輪に。
『月』が呼んでいる。私を捕まえたくて。
私は墜ちていく――いいえ、飛んでいく。
月が、手を繋いで一つになることを決めた、私達の道を照らしている。
月は、呼んでいる。
未来へ続く道へと、生きとし生けるものを導くために。
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