ヒトであることは、歪であるということ/#自分にとって大切なこと
少なくとも、私はそうだ。いつだって心の中に疑問を持つ。
何をしているのか、何がしたいのか、どこに行くのか、どうやって生きるのか、何のために生きていくか。
今まで一度だって完全に納得したことなんてなくて、その溢れ出しそうな疑問をなだめながら、生きている。
どんな場所にも、どんな環境にも、今までの人生たった1秒さえ、「やったぁ、ここは私にぴったりの場所!」なんて思ったことは、ない。
厄介だ。ものすごく厄介。
もっと楽に生きる方法を探したことがある。
けれど、楽に生きるなんて方法はなかった。代わりに、その歪でピッタリと何かに合わさることのない部分こそ、大切なものであると知った。
一つは、学生の時、星野道夫氏の写真と出会い、彼の生き方を知ったとき。
「ここに来てよかった。自分が都会で忙しい日々を過ごしている同じ瞬間、アラスカの海でクジラが飛びあがっている……そのことを知っただけでも良かった」by「長い旅の途上」星野道夫
神保町の古書店で出会った心惹かれた写真に導かれるように、たくさんの不安や未知を「希望」で乗り切った星野さん。
文化や言葉の違いさえ「アラスカに行きたい」という一心で、ぴょんと飛び越えてしまった。
アラスカの大学に入学する際、英語の点数が足りず入れないと言われたのに、「僕はここを知らなければならない」と訴えて入学を許されたという話は衝撃だった。
自分の未来だけではなく、他者さえ動かしてしまう強い想い。そういうものがあるなんて。
そして、この想いは、星野氏だけではない。誰の胸にも秘められているはず—――もしかしたら、私の中にも。
そんな「希望」と、「世界に流れる悠久の時間」を教えてくれた。
こうやってキーボードを叩いている間に、きっとアラスカの鯨は高く高く飛び上がっていたり、青く暗い海で歌を歌っているのだろう。
当たり前なのに、忘れてしまう。この世界には、そういう時間が流れているということを。
あるはずなのに、忘れてしまう。この世界に生まれた私には、未知の領域に触れる自由があることを。
心が、少し楽になった。
・ ・ ・
もう一つは、南方熊楠氏の番組を見て、その思想に心惹かれた時。
「世界に不要のものなし」by南方熊楠
学問のさらに奥、「真理」と呼べる真実に触れるために海を渡り、和歌山の自然と共存した人。
広大な自然の中に真理を見て、異能とさえ呼ばれる激しい情熱を持って、その中で生き抜き、学問が持つ本当の可能性を教えてくれた。
もちろん、この生き方が、明るいばかりではないことはわかっている。
南方熊楠氏は、自らの癇癪を抑えるため、学問にその精神力を注いだという。
そんな自分を分析・理解し、その「やっかい」と共に生き、「知の巨人」と称された。
たとえ何かの型にはまれなくても、それでいいと教えてくれた。
大変な生き方ではあっても、そういう生き方もあるのだと。
その時、心が、透明で綺麗なものに満たされた。
・ ・ ・
これだけではない。
国境と時間を超え、素敵な生き方をした、たくさんの人々に憧れた。
同じ道ではないけれど「同じように生きたい」と思いながら、その背中を追いかける。
私達は歪だからこそ、自由だ。
「もしかしたら、僕はこっちの道が向いているのではないか」
「これではないのなら、もっと違う方法があるのではないか」
知らないところへ、手を伸ばし。
わからないところへ、進んで行く。
「自分が行きたい方向」へ、全身全霊の情熱を持って。
この方向は、勝手に道になるだろう。
朝日が昇る時、海に反射する一筋の光のように。
―――気が付けば今、好きではなかったはずの「働くこと」が、行きたい方向と重なっていた。
・ ・ ・
「この子は、心の中にキラッと光るものを持っている」
子供の頃に、そう言われたことがある。
その人から言われた「キラッ」としたものを守りたくて、汚したくなくて、失いたくなくて、生きている。
その「キラッ」としたものを、この二人の中に見た。
いや、もっと、とてつもなく眩しくて大きな「キラッ」だ。
私は歪だ。だからこそ、自由だ。
きっと、これを読んでくれた、あなたの胸にも。
「キラッ」としたものが、必ずある。
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