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中国が、第24回冬季オリンピック をどうしても自国開催したかった理由

物々しいタイトルになってしまったかもしれませんが、政治や人権問題などを話題にしたいのではなく、ただ純粋に開会式の演出面でのお話で、かつ、私が勝手に想像した舞台裏のお話ですので……どうぞ、あしからず😁


🔷24からのカウントダウン

さぁ、いよいよ開会式。

カウントダウンで徐々に緊張感が高まる……どころか、いきなり意表をつく24からのカウントスタート!

これは、今回が第24回大会だから? 
そう。でもそれだけじゃなくて、中国の文化や生活に根付いた文化である二十四節気(にじゅうしせっき)と絡めた演出が、これから繰り広げられる合図でもあったのです。

・二十四節気(にじゅうしせっき)

二十四節気とは、簡単に言うと、太陽の位置を基準にして、一年を24の区切りに分けたもの ですね。
季節を表す24の言葉(下画像 参照)、日本のカレンダーでも見かけることがありますよね。

太陽と地球の位置関係に基づいたものなので、いわば「太陽暦」的な暦(こよみ)ですが、いっぽうで月の満ち欠けにもとづいて一ヶ月の区切りを決める「太陰暦」と組み合わせて「太陰太陽暦」を作るとき、この二十四節気が重要な役割を果たします。つまり、いわゆる旧暦(:太陰太陽暦)で、とても重要な役割を担っている考え方。

二十四節気のうち、日本人にも馴染みが深いのは、夏至冬至、そして春分秋分、あたりですね。太陽が出ている時間が一番長いのが夏至で、一番短いのが冬至。そして、その2つの間に来るのが、昼と夜の時間がおなじになる春分と秋分。

もうちょっと正確に言うと、「春分の日」は、春分の『瞬間』を含む、ある1日 のことを指しますが、二十四節気は一年を24に分けた区切りなので、『二十四節気の春分』は、春分の日から始まる半月程度の期間、となります。

『春分の日』と『二十四節気の春分』の区別

そして、一年を四季で分けて考える場合、立春~穀雨の期間が春、とされます。つまり、立春は、文字から連想される通り、春の始まりという意味ですね。
そして、春夏秋冬の1年が春から始まる、と考えると、立春はまさに一年の始まり、でもあるわけです。

ちなみに、旧暦(太陰太陽暦)のカレンダーでは、一ヶ月の区切りは太陽ではなく月の満ち欠け周期で決まります。立春の日のころが、新年の始まりとなるよう、旧暦では雨水(の日)を含む1ヶ月が、一年の初めの月、つまり正月(1月)となります。

旧正月と立春の関係


オリンピック開会式の演出は、自国の文化を世界にアピールするまたとない機会。一方で、立春の頃は、冬季五輪を開催するのに最高の季節でもあります。
だから、二十四節気で自国の文化を存分にアピールしつつ、一年の始まりを象徴する立春の日に、世界のアスリートが集うスポーツの祭典の開始も祝う、というストーリーが、開会式演出に見事にハマるわけです。


・開会式は、2月4日。

そう、皆さんお気づきでしたか?
開会式の日が、まさに2022年2月4日、つまり立春の日だったのです。

もしかしたら、「第24回だから、ダジャレで2月4日にした」とか、「2月4日は金曜日だから、夜ふかしして開会式を見るのに都合がいい」、と考えた方もいるかも知れませんね。
これらも好都合な条件かもしれないですが、それ以上に、「立春の日に、開会式を行う」ということが、絶対に譲れない条件だったはず。

中国が第24回冬季五輪に立候補した時点で、すでにこの開会式のストーリーまで必然のものとなっていた……と、わたしは勝手に想像しています😁

🔷シンプルさで、圧倒する

もうひとつ、開会式の演出で流石だな、と強く感じたのは、シンプルでセンスの良い構成。2021年の東京大会や、2008年北京大会(いずれも夏季五輪ですが)と比べると、そのシンプルさゆえの鋭い力が、際立ちます。

コロナ禍だから、人数を減らしたり、滞在時間を短くしたりする配慮が必要だった面も大きいでしょうが、それだけにとどまらず、ある意味「主張しすぎないことの強さ」をフル活用した、と私は思いました。

・2008年夏季五輪を前フリに

同じく北京で開催された2008年夏季五輪の開会式では、とにかく圧倒的なスケールで迫ってくる演出が圧巻でした。成長著しい大国の、余りあるパワーを見せつけてくるような、それこそまさに国威発揚そのもの、という印象の、もんのすごい大迫力演出。

https://olympics.com/ja/video/opening-ceremony-beijing-2008-great-olympic-moments

しかし今回は、スケール自体はコンパクトでシンプルに纏められており、とにかくセンスの良さが光る作りだったように感じました。

とくに象徴的だったのは、やっぱり聖火台
聖火ランナーが持ってきたトーチをそのまま使うという、極端なシンプルさで、またも意表をついてきました。

わたしたちの多くは、2008年の、とにかく盛大で圧巻だった2008北京大会での大規模演出の印象を強く持っています。中国が、大規模な演出をできないはずがないこと、あるいはやりたくないはずがないこと、をよく知っている。
でも、それをいわば逆手に取る形で、極端にシンプルな演出をするという選択をしたのです。

演出担当のチャン・イーモウ監督がいうには、今回の聖火台は「聖火の炎が大きくないので低炭素で環境にやさしいコンセプトに合致している」とのこと。
たしかに今、SDGsなどへの意識が高まり、低炭素社会を目指す動きが世界的に広まっている時代なので、万が一にも『オリンピックが環境汚染を広めている』などの不評を買ってしまうことは避けたいところ。
それも、うまくかわしてきたなぁ、と。



北京オリンピック開会式 総監督チャン・イーモウさんのねらい
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220205/k10013468901000.html>から一部抜粋 

・「簡易さ」の正義

オリンピックほどの大きなイベントで、敢えて極端にシンプルな演出で勝負するのは、相当に勇気のいることだと想像します。

それでも、時代に即したメッセージを込め、かつ他のオリンピック開会式などと比較されても、かえってセンスの良さが引き立つような仕上がりにしていた今回の演出構成、わたしは絶妙で素晴らしかったと思いました。


2021年東京夏季五輪での開会式は、複数のテーマが一貫性なく安易に盛り込まれているような印象で、雑多かつ冗長的なところがかなり不評を買っていました。
いろんな文化の要素、そしていろんな分野の有名人を、ただ混ぜて並べて……深い理解がないままストーリーを構成しようとしてるようにしか見えなかった。

いっぽう今回の2022北京冬季大会の開会式演出は、シンプルゆえに、簡潔かつメリハリが効いたストーリーになっていました。一貫したテーマに沿った見せ方も統一感があって分かりやすかったし、冗長的な感じにもならなかった。

そうそう、そう言えば選手入場が始まるのも、すごく早かったですよね。

例えば、開会式序盤、二十四節気などと絡めた演出が一段落したところで、早くも選手の入場が始まりました。

実況のNHKアナウンサーさんも、少し驚きの声で「開会式が始まってまだ10数分ですが、もう選手の入場です!」と。(もちろん、事前に原稿用意しているのでしょうが。)

選手を早く登場させることは、「選手が主役であることを、しっかりアピールしている」ことにも繋がります。ただの手抜きじゃなく、あえてこのようにしているのだ、と解釈できる状況だったからこそ、この部分も多くの人に好意的に受け止められたのではないでしょうか。

ド派手な2008年北京大会があったからこそ、シンプルな構成・演出も、手抜きだとは思われないし、また東京2020開会式が酷評されていた流れも相まって、自己主張しすぎず無駄に冗長的にしないことが、オリンピアンへの敬意であったり、自然保護への配慮などにもつながる。


そんなわけで、天体の運行とも関連の深い二十四節気の要素が、オリンピック開会式の演出にセンスよく取り入れられていたのをみて、いても立ってもいられず語りだしてしまいました。


二十四節気や立春という旧暦に基づいた文化をモチーフにした舞台演出を展開する場として、オリンピック以上に理想的な舞台は、なかなか他に思い当たりません。
だからこそ、中国としても、第24回冬季五輪は、きっとなんとしても自国開催したかったんじゃないかな、と思った次第です。

(ウラでは、外交に疲れた某国大統領さんが居眠りしてた、なんて報道も見かけましたが、せっかくのオリンピックを、政治だけの話題で片付けないで、いろんな楽しみ方をしたいものです😆)

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