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真夜中、死についての私見



「いつ死んでもいい」

と私はたまにヘラヘラしながら言う。本気かどうかは自分でもよくわからない。ほしいものはきっと手に入れてしまった時に即不要になる。来るものは拒みたいし去るものは追いたくなってしまう。きっと死ぬまで不幸に酔いしれて、心の貧しさを馬鹿なふりしてエモいと感じながら旅立つのだろう。

もう本当に本当に無理、限界ってなったら、細かいことは考えずに空を飛べばいいのではないでしょうか。私はそうしたい。たとえそれが二十歳の誕生日の前夜でも、気になる異性とデートする日でも、十数年ぶりに肉親と再会した翌日の朝方でも。



その時が来たら高所から都会の街並みを見下ろし、蟻のように行き交う人々が昨日よりもマシな今日を生きられることを祈り、追い風を待って私は空を飛び一生を終える。



本当のさよならには、さよならと言う暇がない。気が付けばすべてが終わっている。終わってしまったことに気付いてから、それが愛だったことを知る。



限界もきっとそう。

限界だと心が悲鳴をあげる直前に、きっとこの儚く脆い命は終わりを告げる。

昨日も今日も明日も、毎分毎秒、そんなふうに数々の命が星になる。だから、宇宙は生命で満ち満ちている。地球に光を届けてくれるのは、かつて地球で生きていた者たちの命であると、私は信じている。





だから、さよならを言う前に別れてしまったあの人は、本当に消えてしまったわけではない。


少しだけ長い間、北のほうへ旅に出たのだ。


そして私たちも、いつかはそこへ辿り着くことができるのだと思う。そう、信じていたい。

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