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旅行屋  真剣に大したこと無いことをする仕事

早速、相乗りすることにしましょたよ。
それに伴い内容を少しだけ読み易いものに変えますね・・・
#この仕事を選んだわけ #就活体験記
多分 誰も興味のない話を、今回は描いてみることにします。
私、平成元年に、 #旅行屋  になりました。
当時は、 #バブル と後に呼ばれる、あの一瞬の輝きの終わり頃でした。
遡ること3年、私は学校を卒業しました。
翌年から就職戦線は、売り手市場に一転しますが、この年はなぜか企業の採用は渋い、そんな年でした。この時に私の人生にさざ波がたちました。
就職先はホテル業界1本に決めていました。 

#ホテル業   #この仕事を選んだわけ

 
私は、飲食業を生業にしている家の長男で生まれました。父親は、これからの飲食業の成功は自分が腕の良い料理人になる子tではなく、マネージメントが総てだと、言い続けていました。料理人は大切だけれど、自分が料理人を目指すなら、自分一人の目が隅まで届く店、それも1軒か2軒で限界だ、もしそれ以上の展開を目指すならば、自分が料理人を目指したら出来ない、料理人は雇える。マネージメントは他人に任せられないと・・・

つまり、学ぶべきはマネージメント、それもサービス産業のマネージメントだ。そうなるとホテルだ!! ホテルは、賃金面では極めて恵まれないけれど、若い私の中では、ホテルこそが私の理想でした、それはあのホテルと言う箱の中には、社会がそのままあり、ここで学ぶことが、経営者になるうえでは、最良の学びの場だと感じたからです。ホテルには、顧客満足の追求、利益の追求、秩序と法務、環境衛生、人事労務、衣食住を司るまさに一つの都市国家の様な学びがあるから、そう感じていたし、面接でもそう言っていたのを覚えています。いくつかのホテルを巡り、やがて行き先が決まります。が、卒業を目前に控えた頃に、一つのハプニングがあり、結果として私はホテルマンにはなれませんでした。

縁が無かったホテルマン 

もちろん、笑い事ではないんですよ、その時は青い顔してたと思います。自分の家業に入るか、就職浪人でもするのかと、真剣に考えました。そんな時、相談というより報告として、就活中にお世話になった他業界の幹部の方とお会いしたのですが、その方が、「就職浪人になるくらいなら、うちに来ないか?」 と言っていただいたんです。さらに、この方、が凄かった、もちろん、採用は締め切っていたでしょうし、実際同期は100名は居ましたから、そんな中、社長でもないのにうちに来ないかと、そのうえ同時に言ってくれたのが、「あくまで就職浪人をする代わりに入社して、1年でも2年でも、うちで学べるものを学んで、やりたいようにやって出ていけばいいよ、腰掛で良いのだよ・・と」結果、入社させていただき、その会社での生活は、厳しくも学びの多い時間となりました。新入社員のころから、誰でも知っている、当時は晴海で開催されていた巨大なイベントに携わらせてもらったり、逆に、地道なメーケティングと営業仕事の基礎も叩き込まれたわけです。そこに、2年と半年、お世話になった後、当初のお話通り、笑顔と握手で、退職し
そして、あの会社に入ったわけです。

旅行屋になりました


応募のきっかけは、新聞の求人 正社員募集若干名 でした。
試験は、面接と筆記を日を分けて行うもので、若干名に対して応募者は、相当な数だったと聞きました。 若干名は正確には、 20人弱の中途採用でした。この会社が、こんな簡単に正社員を採用するのか、まさか、地域限定採用、子会社、何か裏事情 疑いだしたらキリがなかったのですが、結果は、定期採用の扱いと何ら変わらぬ、普通の入社でしたね。
入社と同時に、自社の研修センターで10日間の泊まり込み研修。
旅行業の基礎、必要な知識、実務、労務管理、添乗業務に、運賃計算などなど、これでもかと座学、座学、けれど、それも9時から5時で、その他は、研修センターとはいえ、豪華なお食事、温泉、そして夜は、、同期でワイワイ、さらに、視察という、観光施設めぐり。なんか、見学先のホテルでも、観光地の物産品屋さんや、レストランでも凄い厚遇されたのには驚きでしたね。
ただし、研修が終わると現場に配属です。
同期は、バラバラに散りました
私は、当時 専門店と呼ばれた、法人需要のみに特化したが海外旅行のみを扱う店舗、社内では、使い古された言葉で空軍と呼ばれた箇所でした。
当時、あの航空会社さんが、初代鶴丸塗装から、あの極めて素敵なカラーリングに変わり始めるころ、スカイクルーザー ボーイング747ー400が飛び始めた頃でした。
そうそう、私がこの仕事に携わった最初の頃の一瞬、ですが、あの航空会社のCAさんのユニフォームは、あの有名なドラマ●●●物語のあれだったのですから、強烈に昔の話です。
タイトル画像にありますように、渡米にはVISA取得が必要だった頃です。
一部デジタル化され始めた時代ですが、まだ、それこそパーソナルに端末を使う時代ではなく、携帯電話も無く、デスク上には灰皿と、電話、朝には先輩女性社員たちがコーヒーを入れて持ってきてくれる。
今考えたら卒倒するような時代だったわけです。女性の先輩社員さんは、仕事は厳しいしミスすれば怒りが爆発する、なのに、なぜそんな新人にコーヒーを入れてくれるのか? コーヒーなんて自分で入れるから、怒らないで と常に思っていました。本当にチンプンカンプンなカオスな世界でした。その時私は既に25才になっておりました。

#旅行業   #この仕事を選んだわけ

なので、3年弱、社会に揉まれて、新聞広告で応募した旅行業、なぜ? 旅行業なのか?
この仕事を選んだわけ ではなく、得られた仕事で何を目指すか でした

25歳の動機
世界中には、行けば観れる景色があり、行けば会える人がいて、そこには、そこに行かなくては味わえない料理がある。けれど、僕らの人生は長くない、この国だけで過ごしていたら、この国しか知らずに終わる。チャンスはいくらでもなるのに、年老いてから旅を始る、そんな夢で良いのか? そう考えたら、行ける可能性のある場所に、行けるチャンスは貪欲に活かす。
それだけだ

背中を押したのは、この会社の風土もまた、同じでした。
当時の管理職は平気で、こんなことを言い放っていました。

「自分の行きたいところを、クライアントに売ってこい、そして、そこにクライアントと一緒に行け 売ればインドでもアフリカでも南米でも行け!! そのために、売り方を工夫しろ、どうしたら買ってもらえるか考えろ」
これこそが、 #航空隊 と呼ばれた人間たちの発想だったのかもしれません。

売れる商品 


本日の本題なのですが、わたし、飲食店の長男として生まれたものですから、旅行屋も、まあ、社会勉強くらいに考えていたのです。
どうせ、家業を継ぐ運命と漠然と思っておりました。まあ、結論としては、ずいぶん長いこと、この世界に居続けることになるのですが、今日の本題はこんなことなんです。

旅行屋は飲食店と変わらないということです。

つまり、大事なことは3つ

⓵喜ばれる 驚かせる 感動させることができる素材を探し出すこと。

⓶素材を最大限生かして、価値を極限まで引き上げる 仮に同じ素材を使っても、いかに美味しく召し上がっていただくかということに、心血を注ぐ 

③顧客万足は、公正に、対価に反映させることで、経済が成り立つ
お代を頂戴するという事に、拘りぬく。等価交換の重要性

これ、観光旅行の世界だけでなくて、わたしの場合は、自分の仕事で、旅を美味しく召し上がって頂くことで、例えば、こんなことがあったわけです。

⓵日本には無かった画期的な施設や産業が生まれた

⓶旅に出たことで、貴重な人材のポテンシャルが激変した

⓷旅先にも、人、もの、こと、が生まれた

それらに、共通するのが、机上のアイディアが実現する瞬間に立ち会う。これこそが醍醐味かもしれません。もちろん、現場に行かないタイプの人もいますが、わたしは常に現場が好きでしたね・・・

現場は常に、私を育ててくれました、出来事から学び、起きたことに反省し、改善して活かす、その繰り返し、自分のミスも人のミスも、同じで常に起きる出来事を、最良な方向へと持っていく。現場で解決できない問題は、この世界では、永遠に解決できないのだから。
と言う世界です。

具体的な仕事と教訓

平成初期の私たちの仕事って、世間のイメージとは少し違着ていたのかもしれません。一般的には、#海外旅行 #パックツアー #ツアコン 常に観光地直結のビジネスがイメージできますが・・ あの頃の、法人営業って、観光地はもちろん皆無ではないし、切り離せないのも事実ですが、私達って、それよりも、海外イベントや、会議、見本市、業界視察 などが中心で、それぞれ、得意分野、得意業界があり、ま、それは今も変わらないところかもしれませんが、大体、あの頃は観光パックでも、メディア販売はメインではなかった時代です。
同じ代理店でも、広告屋と旅行屋は、結構密接に組んで仕事していた時代です。

そんなこんなで、この仕事をしてきての教訓を書いておきます

仕事の教訓

①入り口の曲がった仕事は最後まで曲がる。
  だから仕事の入り口は真っ直ぐにはいること。

これは、真理です。 最初を間違わなければ、仕事はかなり強引に進めてもなんとかなります。入り口が曲がるとは、これは不思議な事です。仕事の導入部で、妥協や矛盾や蟠りがある場合、その仕事が最終的に綺麗に終わることは、まずありません。 これ、逆に言えば、断る勇気ではなく、過ちを最初に正す努力が必要ということです。依頼された仕事は、基本断らないのが私の信条でした。

②アッアツ・コロッケ買ってきて、買った直後はありがたがって、
 そうこうしているうちに冷めて超品価値がなくなる。
 冷めたコロッケもう要らないと言う

美味そうな仕事と飛びついて、実際はそうではないと気付く
  そんな時こそ、手を抜かず全力で進めることで得られるものは貴重。
さらにいえば、食べ物にも、仕事にも最適なタイミングがある。それを逃すことは重罪と考えろ、と言う話。

③どんな、困難も、どんな喜びも、最後には時間切れが解決してくれる。

最高の時も、最悪の時も、平等に時間の流れの中にある。だから、ピンチも続かなければ、幸せも続かない、だから、今できることをやるだけ。


#旅行業 結果として  #この仕事を選んだわけ

旅行屋は人生の良い時に触れる仕事

旅行屋の魅力は、原則人の楽しい場面に立ち会う仕事だということ。極端に言えば、家族の悲しい場面に立ち会うことが必至の仕事でもなく、人が嫌な思いをしている瞬間に対応する仕事でもないということ。誤解を恐れずに申し上げれば、失敗しても、命に係わる仕事ではないということ。これを言うと、命かけてやってる みたいな、人から、凄い抗議を受けたこともありますが、もちろん、仕事はちゃんとやるけれど、旅行屋ごときが、人様の命を預かるなんて、おこがましいと私は逆に反論します。楽しい場面、思い出の場面、非日常に立ち会うのは確かです。人様の、大事な思い出が、結果として我が仕事だったというケースも、実は多々あります。でも、それを目指すものではなく、それは、あくまで結果です。
だから、それはつまり

旅行屋とは?

真剣に、大したことない事する仕事なんです。

【過去のお話 私のクライアント】
これは、先様があるので書けません ただ これを書かないと、この記事の本質は見えませんね・・・
思い出はつきません

今日はこのあたりで・・・・











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