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すすめ すすめ 立ち止まってすすめ

諭吉論と芸術と文系ヒット

#cakesコンテスト2020

オフィスのデスク 足元には10円玉大の陽だまりが揺れる。狭い狭い、ブラインドの隙間を抜けてきた光が、つま先の横の暗い空間に揺れる。そこだけは強烈に明るく、また手をかざせば、温かい。なんてことだ、エアコンで管理されつくした空間、温度はもとより、湿度も、換気も、そして照度さえも管理された中で、変わり映えの無い仕事を日々つつけながら。

令和と言う、なじまない元号も、過ぎ去った平成も、21世紀と言うくくりも、いつそ合理的に10年単位で考える欧米式の概念、そう #decade の方が、今の自分たちには似合うのではないかと思い始めた。

さて、枕はもういい、この辺で結論を先にいう。私は #諭吉  が好きだ、その生き様も、考えも、多く共感して尊敬をしている。その諭吉論(ゆきちろん)が時代の中で、変貌を余儀なくされた。情報が多すぎるのではなく、年は、情報を入する手段が単純かつ上辺だけの情報収集となり、人間形成の用を成さないというのが、私のここでの主張である。

天は人の上にも下にも人を作らず なのは変わらない、けれど、今、諭吉論を実践しようと本人が考える前に、親が習い事を選び、塾に入れて、学ぶ内容よりも、目指す学校の固有名詞が優先し、何になるには、何処に入る という、諭吉論からしたら、最も大事な、学びと実践からは、似ても似つかぬ、学びが繰り広げられている。試験をパスするためだけの学びに終始しては、その試験により得られた地位の中において、一から学ぼうと欲したところで、学びとは何か、すらも見えない人々が溢れた。

人は、今、素にもどり、一切の外野の声を遮断して、自らが生きるためには、いかに学び、まなんだものをいかに活かしていくかを、見つめなおす時が来たのだと確信した。

悪い民には 厳しき政府ができる

鯛は頭から腐る

こんな、禅問答とも違う、なぞかけと批判を繰り返すよりも

何が、この時代を救えるのか 人か モノか 金か それとも、今までに無かった、あらたなるリソースなのか? それを知るために学びが必要だと考える。

このところ、理系にしか、ヒットは生まれない なぜか 人間の思考が高度に発達しつつ、思考の中心がシンプルなものを求めているからに他ならない。文系でヒットを狙うには、検証に時間と手間がかかるうえに、確固たる祭採点が出来ないというジレンマをかかえる。

このジレンマでちゃぶ台をひっくり返したくなった時に、使われる救世主たるワードがある、それが #芸術  というくくりだ しまいには、「真の芸術は理解されない」という、思考停止、開き直り、愚かさの催行表現を平気で出してしまうのだから始末に悪い。そもそも、人に認められるか否かより、その見出したもので、誰かが救われた、誰かの役にたった、それこそが大切なのである。例えば、見るものを癒す絵画があるとする、そうした時点で、こ絵画は存在価値がある、文系ヒットなのだ。理系の、教科書はどうだ、理論を文字と言う発明で、人から人へ伝える、これもまた、文系ン理系複合のヒットだ。なので、理屈抜きに人の役に立つものを送り出すために、知恵を絞り、努力を重ねる、そのための学び。

仏教的には 自利 利他  そんな、難しいことを言う必要はない

ありがとう と 言われるものを 世に送り出せ 生み出せ 広めろ

そのすべてが尊いのだから 

さあ、解ったら 必要なものを 手に入れろ そのために学ぶ





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