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活動家一丁あがり!

"独善的で傲慢なイメージが『活動家』について回っているのだとしたら、その貧相なイメージを本書で葬り去りたい。なぜなら『社会にちゃんとモノ言う活動家』のいない社会なんて、つまらないし魅力もないから"2011年発刊の本書は講座記録にして社会にちゃんとモノが言える大人を育成する一冊。

個人的には、何かしら社会に違和感を覚えている(覚えてしまった)人たちが身を寄せ合う"場づくり"を私自身が身銭をきって、場所変え品変え10年以上していることから、ヒントを求めて手にとりました。

さて、そんな本書は年越し派遣村や子ども食堂支援といった一貫して貧困問題に関わり続ける著者と仲間たち『一丁あがり実行委員』が2009年代に『より生きやすい『場』をつくる人』を活動家と定義して、その社会的必要性や【どうして活動家になったのか?】または【どうやって食っているのか?】について労働と貧困をテーマに行っていた講義記録となるわけですが。

引用されているノーム・チョムスキーの(質疑応答の際)『自分が何もやっていない人は"〇〇をしてくれ"と言う。自分が何かやっている人は、"自分は〇〇をしているが、それについてあんたはどう思うか"と聞く』ではないが。著者の"何も言わない(社会的発信をしない)学者"や"カッコ悪い姿しか示さず何もしない年配の人たち"が【若者たちがネットに癒しとはけ口を求める結果になったのでは?】という他人任せしている先人たちへの憤りについては(安易な世代間分断を生む気もないが)『進行形の実践者』の1人としての経験からも強く共感する部分がありました。

また一方で『活動家』のイメージが古臭く"あまりに狭く、かつ否定的なため"現在では、その呼び名が意図的に避けられてNPOマネジメント、ファシリテーション、ソーシャルベンチャーといった名前で【新しいブランドイメージをつくってきた】風潮が、長期的に見れば断絶に断絶を、蓄積の豊かさを切り捨て【活動全体の貧しさをもたらすことにならないか】との指摘についても。一部では行政の下請け"事業"として、また学生集めの話題づくり的に、次第に表面的かつカタカナお洒落、お手軽ファッション化していく現場に【違和感と危うさを感じている】(=距離を置くことにした)事から、こちらも再確認する部分がありました。

サードプレイス、コミュニティカフェなど『名前はどうでも良いですが』場づくりをしている、しようとしている人、社会に何かしら発信しようとしている人に参考的にオススメ。

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