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かもめ

"今ならわかる、わかったのよ、コースチャ、舞台で演技をしようと、小説を書こうと、わたしたちの仕事で肝心なのは、名声とか、栄光とか、わたしが夢見ていたものじゃないの。肝心なのは耐える能力なの。"1896年発表の本作は四大戯曲の1つにして"恋だらけの物語"

個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとったのですが。饒舌な同時代人のトルストイやドストエフスキーとはまったく違う【簡潔さ、洗練度合い】に驚かされた。

さて、そんな本書は戯曲として19世紀末ロシアを舞台にして、作家志望のトレープレフと女優を夢見るニーナの関係を軸に、著者の医師として働く間にみてきたあらゆる種類の人々の人間観察をもとに【周囲の小市民的な恋愛模様】が繊細にいくつも描かれているわけですが。

著者の自伝的要素も強いと言われる本作、部分的なセリフとしてはトレープレフと恋敵とも言えるトリゴーリンとの間で語られる【普遍的な芸術論争】が。そして(こちらイメージするしかないが)全体としては当時の演劇の主流であった大げさで劇的な仕草を犠牲にして呈示された『長い間、間のびする対話、ありふれた日常的な議論』が【一体どれほど観客達に革新的に映ったのだろうか?】そんな事が最初に印象に残った。

また、あまりにも有名なニーナの『私はかもめ、いいえ、違う、私は女優』という悲劇的なセリフや、村上春樹も『1Q84』で引用した『チェーホフの銃』ー芝居や小説に銃が出てきたら、それは最後に発砲されなければいけないーを地でいくラストなど。こちらも【伏線回収の巧みさや小道具演出が流石】な一方で、解釈の余地もあり。これは何度も舞台化されたり2次創作されるのがよくわかるな。と思いました。

演劇に関わる人はもちろん、ドストエフスキーやトルストイともまた違うロシア文学の魅力を感じたい人にもオススメ。

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