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占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間

"今日の日本に、あるいは"平和"もあり。"民主主義"も"国民主権"もあるといっていいのかも知れない。しかし、今日の日本に、"自由"は依然としてない。"1989年発刊の本書は、アメリカによる『自由の旗印の下で』周到かつ秘匿化し行われた、占領地としての日本の思想や文化破壊を目的にした『検閲』を明らかにした良書。

個人的には『安全確保』を理由に中止された愛知県の芸術祭の1企画をめぐり、表現の自由の侵害だ!検閲だ!といった意見が"関係者"の間で飛び交っているのを眺めながら感じた違和感。【ーこの国の表現や言論の自由って、そもそも本来的に以前から機能してたかな?】を確認したく、平成元年発刊の本書を手にとりました。

さて、そんな本書では著者がワシントン市にあるウィルソン研究所で研究員として取り組んでいた、日本敗戦後のアメリカ占領軍が実施した検閲調査の集大成的な2部構成の一冊として、1部では"日本での検閲をいかに準備していたか"と、軍事勝利を目前にしたアメリカ軍が【特殊な言語文化空間である日本で検閲を実施する為に】体制や人材を周到に確保して準備を進めていった過程が、続く2部では"検閲をいかに実行したか"と【支配地施策としての眼に見えない戦争、思想と文化の徹底した殲滅戦】そして今も続く"埋め込まれたプログラム"としての【日本人自身による新しいタブーの自己破壊や増殖について】を膨大な一次資料と、おそらくは著者の使命感的な熱情をもって描いているのですが。

いやはや受け止め方はそれこそ【それぞれの自由】で良いかと思いますが、私には確認したり、頷かされる所が多々あって、まるで【女性研究者が軍部に依頼されて】日本文化を分析した日本人理解の名著『菊と刀』の続編、あるいは補完的内容を読んでいるような、あらためて衝撃的な読後感でした。(特に"戦犯"とされた東條英機の答弁、弁護人の発言記録は胸に響きます)

また地政学的な常識理解として、自国の利益や【平和の為に】隣接地には、矛先を向けさせない為に、いわゆる【対立や紛争を内部で煽り続ける】のが、ハリウッド映画的平和の為に戦うヒーロー像とは違う某国の常套手段であるわけですが、戦後の【軍部の暴走vs国民】といった意図的に日本ですりかえられた図式は当然として、いつまでたっても解消されない隣国との関係もひょっとして?などと想像の翼を広げさせていただきました。

敗戦後にアメリカにより占領地支配として実施された検閲について確認したい誰か、あるいは平成元年に出された本書を通じて、あらためて平成を振り返りたい誰かにオススメ。

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