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東京プリズン

‪"私はTENNOUの再定義を、同胞のために望みます。それが定義できなくなったから、同胞の心は乱れてしまいました。神にあらず、人にあらず、神の御言葉を取り継ぐ者だったもの。同時に幾多もいたであろう人。普通の人。"2012年発刊の本書は、今なお続く『戦後』問題に小説という形式で切り込んだ意欲作。

個人的には、発刊当時の刺激的な帯で気になっていたのですが。それから数年の本屋での再会を得て、ようやく手にとりました。

さて、そんな本書は著者と同じ名前の少女マリがアメリカに留学、今までと【異なる環境、文化に置かれて戸惑ったりする内に】ある時、教師から『天皇の戦争責任』のディベートを指示されたことで何も教えてもらえてなかった自分に気づき、勉強と考察を重ねて【隠蔽と欺瞞の上に成り立った歴史を解き明かしていく】わけですが。

まず著者自身が『矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱える器って小説しかなかった』とインタビューで答えているように、人によってはデリケートなテーマを、映像や漫画、あるいはノンフィクションといった形式ではなく【自分史と絡めた16歳の少女を主人公、語り手にした小説】を選択した事でのバランス感にやはり新鮮な魅力を感じました。

また、立憲君主制は【憲法にのっとった独裁】明治維新は市民革命ではなく【レストレーション】A級戦犯は【単なるクラスA】与えられた憲法9条は【草稿では8条】といった、少女の目線で語られる英語と日本語認識の違いは随分に大人の私でも驚かされる事が多く、どこかドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の法廷シーンや『大審問官』を彷彿とさせられる【クライマックスのディベートシーン】は圧巻で、天皇とは?神とは?自分だったらどう答えるだろうか。そんな事を考えながら楽しませていただきました。

近現代を考える上では避けれない、また忘れてしまってはいけない問題と向き合いたい誰か。あるいは小説の可能性を感じたい人にもオススメ。

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