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ためらいの倫理学 戦争・性・物語

"言っていることはずっと同じである(中略)それは『自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性より、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ』ということになるだろう"2001年発表、著者の処女作である本書は、知性として『自己批判能力』【逡巡することの大切さ】を教えてくれる一冊。

一読者として個人的には、本書では『強者』として取り上げられている上野千鶴子、宮台真司、サルトルといった方々の著者も楽しませていただいているのですが。【親近感という意味では】一番敬意を覚えているのが著者ということもあり、原点としての本書も手にとってみました。

さて、そんな本書は『身内』だけに読んでもらうつもりで1999年からWEBサイトにアップし続けたテキストが注目を浴びて出版されるといった、今でこそ普通ですが【当時としては先駆け的な経緯】を経ているわけですが。著者が『なぜ語らないか』として『戦争、性、審問の語法』をテーマに語り続けている本書。最近の話題や読者を多分に意識した著作も好きですが、比較して、より【好き勝手に自由に書いている奔放さ】が気持ちよかった。

また、私が著者に親近感を抱く理由として『もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ』の村上春樹エルサレム受賞スピーチではないが。著者が"正義を振りかざし審問する強者"の側ではなく、仮に思想や信条には賛同せずとも【『異議申し立て』をする側を評価し続ける】点があるわけですが。【なぜそうなるに至ったか?】生い立ちや思考プロセスも本書からは垣間見れて興味深かったです。(うん、私も『どちらか』ではなく『ねじれ』と向き合い、声を上げる方々を応援し続けていこう。と、あらためて)

最後に自戒的に抜粋。"私たちは知性を計算するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを査定に入れない。そうではなくて、その人が知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する"

著者の根底に流れる思想や知性を感じたい人、あえて語らない事から『浮かび上がる言葉』に興味ある人にオススメ。

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