昔話に学ぶ⑨
今日は何を見てみようかな。
日本のがいいかな
外国のものがいいかな
『マッチ売りの少女』
なんかはいかがでしょうか。
あらすじは以下...
あるとても寒い夜のことでした。
日が沈みあたりはもう真っ暗で、
しんしんと雪が降っていました。
そんな寒い夜の道に、
1人のみすぼらしい少女が歩いていました。
少女は
お母さんのぶかぶかの木ぐつをはいていたので、
馬車をよけようとしたときに
すっぽりぬけてなくしてしまいました。
寒さで足がじんじん痛みます。
少女は一束のマッチを握りしめていました。
かごの中のマッチを売らなければ、
家に帰ってもお父さんにぶたれるだけなのです。
でも、
1日中売り歩いても、
買ってくれる人も1枚の銅貨を恵んでくれる人も
いませんでした。
少女は、おなかがぺこぺこでした。
家の窓にはあたたかい明かりがついていて、
おいしそうなガチョウの丸焼きの香りが
ただよってきます。
「そっか、今日はおおみそかなんだ」
と少女は思いました。
寒さと歩き疲れたのとで、
少女はぐったりと地べたに座りこんで、
身をちぢめて丸くなりました。
寒くて寒くてたまりません。
でも、少女には、
家に帰る勇気はありませんでした。
なぜなら、マッチが1箱も売れていないから。
帰っても、お父さんに
ほっぺをぶたれるにちがいないのです。
小さな少女の手は、今にもこごえそうでした。
そのとき、少女はふと思いつきました。
「マッチの火が役に立つかもしれない」
そして、少女はマッチを1本取り出して
「シュッ!」とそばの壁でこすりました。
すると、
暖かくて明るい小さなロウソクのような
火がともり、少女の手の中で燃えました。
それは、本当に不思議な火でした。
まるで大きな鉄のだるまストーブの前に
いるみたいでした、いえ、本当にいたのです。
少女の目の前には、
ぴかぴかの金属の足とフタの
ついだるまストーブがありました。
少女はもっと暖まろうと
ストーブのそばに寄ろうとしました。
ところが、
そのときマッチの火が消えて、
だるまストーブも消えてしまったのです。
少女は次のマッチをすりました。
すると今度は、
部屋の中で
雪のように真っ白いテーブルクロスのかかった
テーブルがあり、
その上には豪華な銀食器とガチョウの丸焼きが
置いてありました。
不思議な事に、
ナイフとフォークがささったままの
ガチョウの丸焼きが少女の方に
よちよち歩いてきました。
と、そのときマッチが消えて、
また何もかも消えてしまいました。
少女がもう一度マッチをすると、
今度は見たこともないような
綺麗な大きいクリスマスツリーが
目の前に現れました。
少女が手を伸ばそうとすると、
マッチが消えて
クリスマスツリーも跡形もなく消え去りました。
少女はもう一度マッチをすりました。
すると、光の中に
亡くなったおばあちゃんが立っていました。
少女をかわいがってくれたただ1人の人でした。
おばあちゃんは、昔と同じように
穏やかに優しく笑っていました。
「おばあちゃん!
おばあちゃんは消えてしまわないで、
私を一緒に連れて行って!」
そういうと、
少女は持っているマッチの束
全てに火を付けました。
マッチの火は
太陽の光のように明るく燃え上がりました。
そうして2人はふわっと浮かび上がり、
ずっと遠い所にある光の中へ
高く高く舞い上がっていったのでした。
少女はもう寒さも空腹も感じないのです。
なぜならそこは神さまのいる所なのですから。
おわり
悲しいかな?
すごくハッピーエンドに思う。
この話は
「幸福」「幸せ」について触れるお話。
外から見れば
マッチで暖を取ろうとした
可哀想な女の子
背景も家庭内暴力に怯え
冬の寒い中外で販売をしいられてる
でも、彼女は彼女なりに
マッチを擦ることで
美しいものや美味しいものを見出し
大好きなおばあさんとも出会え
それはそれは幸せだったかと思う。
これは彼女にしか分からない。
人の幸せは他人にはパッと見分からない。
「死」は
暗く悲しい重苦しいマイナスイメージに
とられがちですが。
必ずしも無念なことだけではない。
それよりも悲しいこともたくさんある。
生きてる方が苦しいなんて叫ぶ人も
今の世の中たくさんいるのでは。
時代が変われば、世界も変わる。
自害、切腹が美学とされる時代もあった
子どものために、家族のために、君主のために
「本人が本気で名誉のために死んだ」のならば、
その人に対してだけは認めてあげたい。
だけど、本心から死にたいと思う人が
どれくらいいただろうか、とも思う。
めちゃくちゃ刺さる言葉だった。
そうだ。その時代、その場所、その状況で
その人が選ぶ選択肢によって
人生は築かれていく
その人の人生 その人の選択肢
横からとやかく言うべきではない
「死」に至るには壮大な背景がある
それを理解した上で
「死」以外の選択肢が提示出来ていたなら
どれだけよかったことだろうとも考える
「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、
最低限の幸福と社会的援助を提供する
それぞれの自己肯定感を満たし、
存在や居場所を与え
目的に向かって助け合う。それが福祉。
だけど、
「しあわせ」や「ゆたかさ」の判断は
誰がするのか。
それはその人のみ。
その人の見える世界が見えてないと
共感すら上澄みだけの行動で判断難しくなる
時代や場所、役職、立場
生きてきた歴史、知っている情報
様々な条件によって
「しあわせ」や「ゆたかさ」は変わってくる。
でも、関わる。理解する。興味を持つ。
そうじゃないとスタートもしない。
さ。頑張ろ!
日々勉強。日々邁進。
よりよい選択肢の提示が出来るように。
じゃんっ...けんっ...
ぽんっ!
もう出す前から振りかぶってグー。
サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!